四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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今日の深夜に帰国の途につくので、本日が現地で活動できる最終日になる。まずはいつものように朝食を食べに行く。
まずはお気に入りのバオバブジュースを飲みほす。通常朝食は7時スタートのはずだが、ゆっくり準備のスタッフは、結局全部出そろうのに8時までかかっていた。そのおかげではないが、心地良い潮風にうたれながら、すっかりなついた友だちとじゃれあい、デスクワークをすすめながら、最後の朝食を楽しんだ。
そして、ホテルでTOMOさんと、最終オーダーシートの確認などを行ったのちに、市場調査のためMbourへと向かった。
ここMbourは大きな市場であり、多くの人が集まる。当然そのためにかなり用心が必要である。
比較的治安が良いセネガルであってもこのような大きな市場は細心の注意を払わなければならない。実際にリュックどころかポケットにも平気で手を入れてくるのである。ただこれはセネガルに限らず、人が多く集まるところでは常に起こっていることである。
海側では、魚が売られている。その匂いは結構凄い。苦手な人は数分ももたないだろう。新鮮な魚がいっぱい並んでいると言われても、地面かテーブルかわからないとこに、多くのハエがたかっている状況は、まるで岸に打ち上げられ、そのまま放置され死んでいる魚と変わりなく感じてしまう。どうしても日本の環境との違いに違和感が出てしまう。
また包丁で刺身のように切る習慣があまりないらしく、中にはすり身にして販売している人もいる。
陸側では、食品から日常品まであらゆるものが売られている。その店舗数は数えきれないほどである。
ビサップの花やバオバブの実も売られている。その他にも多くのものが売られていた。そしてこの地にはあまり長居しないほうが賢明と思い、目的のものを購入し次の区域へと移動した。
ここでは頼まれものをしていたので 見てきた。コラという楽器である。セネガルやマリで使われているものである。そこでうまく信用できる店を紹介していただけ気に入ったものを購入し、車に乗り込みこの地を離れた。
そしてTOMOさんのオフィスと工房を訪問。TOMOさんが創り出すインテリア雑貨は私の専門外ではあるがその精度やセンスの良さは私でもすぐわかる。海外で人気であるのもうなずける。きっと彼女とコラボすると面白いモノやコトができると感じた。乞うご期待といえるかもしれない。
そしてお腹もすいてきたので、近くのお店に連れていっていただきセネガルの代表的料理チェブジェンをいただいた。おすすめのお店ということもあり、かなり美味しかった。
ただそこから私のうっかりで地獄を味わうことになってしまったのである。それは付け合わせにある唐辛子から食べてしまったのである。見た目はピーマンの小さなものかと思ったので、一気に丸ごと食べてしまった。その辛さは相当であった。聞くと地元の人でも辛すぎて食べない人が多いとのことである。
普段辛いもの好きの私は今まで色んな辛いものやもっと辛いものを食べてきたので平気だと思っていたが、すきっ腹に一個丸ごと一気に食べたものだから、その辛さに反応したのは口の中より胃の中であった。
食べて数分後、胃に激痛が走る。まるで鋭利なナイフを飲み込んでしまったかのような痛みである。美味しいものを食べながら、これはやばいとすぐさまわかり大量の水を飲むが一向に収まる気配がない。たまりかねてトイレに駆け込む。あまりの痛さに、お腹を抱えトイレの中でしゃがみ込むどころか倒れてしまった。そして何リットルも水を飲み胃の中を空っぽにしようと試みるが中々そうはいかない。正直頭の中では、今日は帰れないだろうとも思いながら意識も遠のいていく感じがした。そしてまた水を飲み続けるといただいたご飯は出ることもなく唐辛子が出ていくのがわかった。何故かというと喉と口の中に激痛が再び走ったからである。
すると少しずつ胃の痛みが和らいできて、何とか起ちあがることができた。そして席に戻ると万能薬ともいえるバオバブジュースを何杯も飲み続けることで、再度動けるようになった。話を聞いていると少し大げさのように思われるかもだが本当に痛かった。結石や靭帯断裂、複雑骨折など様々な痛みを経験してきたがその中でもトップクラスのものであった。私にとってこの数十分はまるで地獄のような時間であった。
その後、TOMOさんから提案いただいていた空中からのバオバブの調査であったがこのような体では無理かなとも言われたが、この機を逃したらもうできるときはないかもしれないと思い、最後の力を振り絞って小型飛行機に乗り込んだ。
まずは滑走路を走り離陸 一気に高く上がり、眼下に街をみる。
今までバオバブは見上げることばかりであったので、上空からバオバブをみたり、同じ高さでバオバブの森を走り抜けたりするのは当然初めてで、本当に鳥になったような気分でとても爽快であった。そしてその瞬間一気に胃の傷みは消えていった。本当に不思議なぐらいに。さっきまでの地獄から天国に登れたような気さえした。
飛行中の映像は出来れば動画をお見せしたいぐらいである。可能であればFacebookであげてみます。そして短い空中調査ではあったが、バオバブが自生しているところの条件や、立ち並ぶ規則性、さらに木の成長点などを観ることができとても価値ある学びとなった。そしてさらに飛行かバオバブジュースのおかげかは断定できないが随分回復させることができたのが何よりだった。
そのように大げさだが天国と地獄を味わうことができ価値ある体験であった。そしてその後は最近はやってきたワックスの生地やセネガルテイストのものを探しに行きサリーというにぎやかな街へと向かい、見学をしてきた。
そして夕方、一旦ホテルに戻り、汗びっしょりの身体を洗い流して、帰りのパッキングを行った。
そしてTOMOさん一家と夕食兼最終ミーティングをホテルで行い、夜9時半本当にお世話になったTOMOさんと再会を約束して、お別れとなった。本当に手際よく献身的に助けていただいたおかげで、予定の数倍のことができたのではと思う。本当にありがたく思った。
そしてガソリンスタンドで頼んでいたものを受け取り、ブレーズ・ジャーニュ空港へと向かう。そして無事到着した。ここで長い期間ハンドルを預けていたドライバーチームと固い握手を交わしてお別れとなった。
後はチェックインを行い、このいっぱいの荷物を無事に日本に持ち帰れば今回の任務は終了となるのだが・・・。
まずは荷物を預けようとチェックインカウンターに行くと重いから預け入れ荷物は1個のみと言われる。そんなわけないでしょ?と強くいい、メンバーズカードを差し出すと、もう一個追加を受け入れてくれた。ただそのためには段ボールのままでは不可能なのでラッピングをするようにと指導され、結構高額なラッピングを行った。
そして再びチェックインカウンターに行き、荷物を預かっていただき、チケットをもらい出国手続きの長蛇の列に並んだ。しばらくしてやっと順番がまわってくると思ったときに、ふとチェックインカウンターで渡したカードがないことに気づく。財布にもポケットにもない。まさかカウンターで渡したまま返してもらってないのではと思い再びチェックインカウンターに戻る。
そうすると案の定、軽い感じで「あるよ!」と当たり前のように渡される。確かに返してとは言ってないが、明らかに返し忘れでしょ!と思ったが、まー何よりも戻ってきたことで十分なのでホッとし、笑顔であらためて出国手続きの長蛇の列にならんだ。そして数十分後無事手続きを済ませ、定刻からかなり遅れた飛行機に乗り込むことができた。その頃には日付も変わっていた。
本当に今日も色んなことを経験できた貴重な一日となった。さ~後は無事に帰りつくだけである。早くネコたちにも会いたいものである。
今朝はいつもより少し遅めのスタートのため、ゆっくりデスクワークの後に、出発した。
車で約1時間半。JICA隊員と待ち合わせのジョフィオールの市役所に到着。1時間ぐらい早着したので近くを独り歩きしてみた。
ここはセレール族が多く暮らしている。セレール族は比較的シャイな人が多いらしい。子どもも私をみて寄ってくるのではなく、恥ずかし気に距離を置く。
大人たちは挨拶することを重んじ、行き交う人が私に「サヴァー」「ボンジュール」と挨拶をしてくれる。たまに「オラー」などとも。もはや私はどこの国の人?と思ってしまう。
そしてぶらぶら歩いていると前方からJICA 佐藤隊員が歩いてきてくれた。実は前日に事務局で簡単な挨拶をさせていただいたので、任地での再会である。
まず佐藤隊員は近くの人への挨拶を丁寧に行っていく。そしてその時、先ほど私が独り歩きしている時に、周りの方々に挨拶をきちんとできていなかったことをご指摘いただいた 。そしてあらためて、きちんとご挨拶させていただき優しく迎え入れてもらうことができた 。
その後まずは「腹が減っては、戦はできぬ。」とばかりにランチをいただき、その帰り道でプチマルシェを訪れた。
そこには大きな袋に詰められた古着などが多くあり、販売をされていた。
決して良いできとは言えないが地元で採れた野菜や輸入の果物が売られていた。
そして移動し農業訓練校を訪問。ここで村人は農業を指導員から学んでいる。多くはフランスからの指導員とのこと。
落花生やオクラなどが植えられている。訓練校ということもあり、普通の畑よりきれいに管理されている。基本はオーガニックである。
続いて種屋さんではなく、苗屋さんを訪問。野菜や花の苗を種から栽培し販売をしていた。
ちょうどそこに女の子がビサップジュースを凍らせたものを販売に来ていたのでいただいた。
かなりのピンボケで申し訳ないです。一袋約5円とのこと。早速いただくがかなり甘い。というのもセネガルの人は半端ないぐらいに砂糖を使う。そのため糖尿病も多いとか。確かにそれもうなずけるほどの甘さであった。
そして糖分補給もできたので畑へと向かった。ここで佐藤隊員は村人と一緒に活動をしている。
村人は8時過ぎから10時ごろまで働くと帰ってしまい、また17時ぐらいに集まり仕事をするとのこと。比較的自分ペースであるので中々前に進まないことも多いとのこと。口にこそされなかったが、きっと多くのご苦労があるであろうと察することができた。
今回私が訪れたのが、お昼過ぎからであったので村人には会うことができなかったが、佐藤隊員と一緒に草ひきなどをさせていただけた。
私の行った部分は本当にほんの少し。なんちゃってのフィクションと言われてもおかしくないぐらいしかお手伝いはできていない。性格上美化するようないい加減なことやフェイク報道は嫌いなためあらかじめお伝えしておくことにします。
ただ限られた時間の活動ではあるが、隊員と一緒に草をむしりながら、ネットや報告などでは知ることができない話などしていただき、とても勉強になった。
そうして私の帰る時間となり、ここで佐藤隊員とさよならである。佐藤隊員には、任期残りの10か月くらいをこれまでと同じようにしっかり活動され、多くのことを伝え伝えられながら任務を全うしていただきたいと思う。そして元気な姿で、日本で再会できることを楽しみにしています。本当にお世話になりました。
任地からの帰り道の約1時間半。JICA隊員から学ばせていただけたことを思い浮かべていた。このセネガルにおいてまだまだ伝えてあげられることがあるのではないだろうか。又右衛門として何ができるかなどを考えていた。そんな機会を与えていただけたJICA職員、隊員に感謝し、敬意を表したいと思う。
そして植物を通じて一緒にできることを今後も模索し、いつか形にしたいと強く思うことができた。皆さん本当にお世話になりました。
ホテルに戻り、持ってきた非常食をいただきながらこのブログを書いています。
さて明日はとうとう最終日。夜に帰国の途につきます。明日は何が待っていてくれるか楽しみです。では明日も大事に活動します。おやすみなさい。
今日は大事な訪問とミーティングが3つあるので、遅れないように準備を整えホテルを出発した。
ドライバーは前回と同じである。ダカールの手前ではとても渋滞をするので余裕を持って出たが、2時間半以上かかり、結果としてはちょうど良い時間の到着となった。
まずはJICA セネガル事務所を訪れた。ここでは事務所長の森谷様と土井様にご対応いただけた。そして私たちの自己紹介と、今後セネガルに期待することや可能性などのお話をさせていただき、またJICAとしての考え方やセネガルの現状などについて親切に多くのアドバイスをいただくことができ、とても貴重な時間となった。
そして昼食後、車で移動し日本大使館を訪問。ここでは在セネガル日本国大使館特命全権大使でいらっしゃる大森様にご面談いただくことができた。
大使閣下にも、私たちの活動や、今回セネガルに来た意味や、今後についての私の考えをお伝えすることができた。そしてアドバイスもだが、是非との激励のお言葉を頂戴し、今後の私たちの活動に対し大いに励みになった。本当に有難い時間であった。
そして時間となったので、次回訪問時は形にして報告にまいりますと言葉を残し、次の目的地をめざした。
大使館から約45分 セネガルの農業省に到着。ここで活動される児玉様とミーティングの機会をいただくことができた。児玉様とは今後について具体的にできそうなことをお話しすることができ共感もいただけた。そしていくつか面白く価値あるプロジェクトを具現化していくことができると確信することができた。
今回の訪問はどちらも約1時間という限られた時間ではあったが、皆さんに私の訪問を歓迎いただき、挨拶だけではなく、とても中身の濃いディスカッションをさせていただくことができ、実際に大きく前に動き出せそうな感じがした。
そして帰りの車の中で、又右衛門としての役割も明確になってきたと同時にその重要性をしっかり肝に銘じ今後も兜の緒を締めて頑張っていかなければならないと感じた。
今日は本当に意義深い1日となった。私のために時間を割いていただいた方々、この場をセッティングしていただいた方、きちんと私を指定の場所に時間通りに連れていってくれたドライバー、そのサポートしてくれた皆さんのおかげです。本当に感謝です。
そして約1時間半でホテルに到着。そして今日の自分へのご褒美として一人ディナーでお肉を食べようと注文した。が、肉には間違いは無かったのだが、イメージしていたものとは全く違う料理がでてきてしまった。フランス語は全くわからない(^^;)
こういうときだけは、私は何よりも植物と話せればいいという持論に疑問をもってしまいます(笑)
さ~セネガルでの活動時間も残り少なくなってきた。最後の最後まで気を引き締め頑張ります。
明日も良い1日になりますように~~。おやすみなさい。
昨日は日付が変わる前に寝ることができたので薄暗いうちから起きて、かすかな灯りでデスクワークを始めた。コンセントもWi-Fiもない。おまけに机もないので、ベッドのサイドテーブルを蚊帳の中に引きずり込み仮設デスクにてはじめてみた。
あたりは波の音に時折風の音が混じりとてもいい気分。そのような中で仕事?と思うかもだが、このような場所だから進む仕事もあることを実感することができた。きっと今のコンクリートや新建材の壁で囲まれたオフィスのリノベーションに、うまく活用できる応用できるのではと思っている。
そしてパンとコーヒーのみの質素な(笑)朝食をいただき、その後、お目当ての植物を求めて島を歩いてみることにした。
決して自然以外はめぐまれているとは言えない状況であることは一目でわかる。
しばらくして黒ヤギさんに出逢う。何故か急に頭を「黒ヤギさんがお手紙食べた♪」のフレーズが流れ、少し悪い子のような気がした。
でも20日からの儀礼祭では多くのヤギがお供えとなってしまう。黒ヤギさんもお供えの対象かはわからないが、少し可哀想にも感じてしまった。もしそうであるならあと2週間、手紙でも、お札でも何でも好きなものを食べてしまえばいいよと思ってしまう。
そうこうしていると2種類の植物が絡み合っている珍しい植物に出逢うことができた。相当な年月を経てこのようになったのだとその不思議さに驚きを感じた。
引き続き島内を周り、時間となったので再びボートに乗り込み、マングローブを横目に丘へと戻った。
そして沿岸部でも生息しているバオバブを確認してきた。この辺りは海水なので実際は海水でも育つということがわかる。本当に強い植物だとわかる。
バオバブの小島もあり、その雰囲気はとても素敵であった。
その他に豊富なバオバブをうまく利用したツリーハウスを見かけた。そのユニークさは文字で表現はできないので写真をふんだんに・・・
機会があれば是非泊まってみたいものだと思った。
そしてそこからほど近い所に「聖なるバオバブ」と呼ばれるセネガルで一番大きいと言われるバオバブがあるという情報が入り向かうことにした。
確かに大きい。樹齢は850年とのこと。何となくもう少しあるのではと感じる。
そしてここのバオバブは少し違った使われ方をしていると教えてもらう。
何とお墓である。オーストラリアでは牢獄にしていたりしたがここはお墓である。ただどんな人でも入れるお墓というわけではない。グリオと呼ばれる昔からの言い伝えなどを繋ぐ語り部を埋葬するところであるとのこと。
文字を持たない民族のため語り部の役割は大切であり、崇められていたのでこのバオバブに埋葬しているとのことである。
家になったり、お墓になったり、食料になったり、セネガルにおいてバオバブは本当に密接にかかわっているのだということを知り、色んなことを学んだりすることができた。
そして夕方となったのでホテルをめざす。その帰路でまた珍しいものに出逢う。
白いバオバブが目に入ってくる。写真ではわかりづらいだろうが他のバオバブに比べて明らかに白い。何故白いのか?枯れているのかどうなのかを確かめてみたかったが、立ち入りの許可がいるかもしれない場所なので、今からの時間では許可をもらうことは厳しいため、至近での調査はできなかった。
今後の課題と思っている。
そして街中を走り抜け、ホテルの近くまで戻り、今日お世話になった同行者とディナーをいただき、日付が変わる前に何とかホテルに到着することができた。
明日は大事なミーティングや面談が分刻みで待っている。その準備をしてから眠りたいと思う。そしてまた皆さんに良い報告ができるように頑張ります。
おやすみなさい。
今朝は4時に起床し活動を始めた。当然あたりは真っ暗である。急ぎの用事があるというわけではないがホテルにいる間だけが何とかネット環境が保たれているのでデスクワークと、今日の宿泊地が変わるため一旦荷物をフロントに預けていくためにパッキングしなければならないからである。
そしてある程度目途が立ち、7時30分ごろ朝ごはんを食べに行こうと部屋を出ると、友達が迎えに来てくれた。それも今回は子ども?を連れてきてくれた。きっと紹介してくれたのだと思う。
そして昨日と同じ海が見える屋外に腰かけ朝食をいただいた。普段と違う景色での朝食は色んなことを感じさせてくれる。おまけにグラス越しに写真を撮るなど、なんちゃってではあるがカメラマン気取りもさせてもらえるのが面白い。
そして朝食も昨日よりグレードアップされている。実は昨日は少し手抜きであったみたい。それをフロントの人がスタッフに注意をしたため、今回はクロワッサンにチーズやフルーツもついていた。さらにハムまでも出してもらえ、お腹いっぱいいただいた。
そして出発のため、荷物を翌日までフロントに預けようと持ち込んだら、フロント曰く、週末で混んできているので、一旦部屋をリリースすると帰ってきても部屋がないかもしれないとのこと。こちらにすれば明日からの2泊も予約済みだからそれは無いでしょ?と強くいったが、必ず部屋を確保したいなら、一泊分の代金を支払って、荷物を置いていった方がいいよと言われ、ありえない会話?交渉?の末、結局部屋に荷物を戻し、部屋の鍵を持ったまま視察に出掛けることとなった。
平日であればかなり渋滞するが今日は土曜日ということもあり約1時間半でナーセリーへ到着。
ナーセリーと言っても日本でいう植木団地のようなところである。海外ではよく見かける光景である。
当然日本で流通している植物とは大きく品質が違う。特に気になる植物はない。
たまにビスマルキアなどは見かけるが、この地から輸入することはほぼ無理であろう。
そして車で移動しながら何軒かを見学させていただいたが、特に興味があるものは見かけられない。
小腹がすいたのでバナナをいただいた。そしてまた他の店も見させていただいた。特に何も見つけることはできなかったが、この国の状況はある程度把握できたかなと思うので、この辺で終わりにして、高速にのって移動した。
途中でランチをいただく。フランス系のドライブインのようなところで、チキンと野菜のワンディッシュにコーラがついて約1,000円。決して安くはない。日本の方が安くて美味しい。地元の人がいく食堂であれば一食300円ぐらいであるだろうが・・・
そしてバオバブを横目に観ながら車で約1時間30分移動し、アシスタントをかってでていただいているTOMOさんに教えられ、あるナーセリーに入った時に一目惚れするようなものに出会うことができた。
何とも惚れ惚れするヤシである。名前を教えてもらったが、ググってみても何となく違う。数人に聞いても同じ名前を言っていた。ただナーセリーの人は品種や名前など特に気にせず販売しているので、正直あてにならないとも言えるので、帰国後もう少し調べてみたいと思う。
そして一旦ホテルの部屋にもどり、パッキングしたものから1泊の荷物を取り出して、ある植物のルーツやユニークな自然に触れるため次の目的地に向かった。
いくつかの街を通り抜ける。よく似た光景だが、売っている物や、品質が少しずつ変わっていくのがわかる。
面白いものである。
渋滞しながら2時間ぐらい走っただろうか、自生しているヤシやバオバブが多見えてきたので車を降りて探索。
そして奥に進むと倒れながらも、しっかり生きているバオバブに出逢う。
ここまで完全に倒れながらも、また芽をふかせ、しっかり根をはらせるであろう何とも凄い生命力に感動した。
そして目的地近くの港に到着。ここで車を置いて、ボートで宿泊地へ向かう。
緩やかな風を受け、静かな海をボートで進む。何とも爽快な気分である。まるでリゾートで訪れたかのような錯覚をさせてもらえる。
そして30分ぐらいでホテルに到着。ちょうど素敵な夕焼けを観ることができた。
しばらくして、夕食をいただいた。
肉厚の白身魚にクリームソースがとても美味しかった。
そして部屋に戻り、今日の視察整理のためデスクワークをしようと思ったが、この島には電線が通っておらず頼りは小さなソーラーパネルなので電気は大切に使わなければならない。そのため部屋にはコンセントもない。机もない。ここに来たら仕事から離れて自然を満喫しなさいということであろうと妙に納得し、夜のデスクワークは諦めて、早朝から陽が登ればやろうと切り替え、その後しばらく光り輝く空を見上げながら、日付が変わる前に真っ暗の部屋で一人就寝した。
時差ぼけも無く、少しの痛みは残るが快適な朝を迎えることができた。
ホテルは海沿いのため素敵な景色が拡がる。この海を眺めながらの朝食は最高である。と皆が羨むようなアップをしたいところであったが、少し思惑とちがった。
コーヒーにクロワッサン。特にハムや玉子がある訳ではなく、全く以てシンプルな朝食であった。
お盆を前にして忙しくしている同業にとっては少しクスクスって笑えるかもしれないが・・・。
但し大好物のコーヒーはおかわり自由であったので、そこは満足である。ホテルの朝食であれば当然かもしれないが・・・
そして食事をしていると、お客様が来てくれた。
私の渡航にはつきものであるかのような来客である。一気に心が和む。
そして一つのパンを分け合いながら、ほんの少しの間リラックスした時間を過ごさせてもらうことができた。
その後ホテルを出発し車を走らせていると、市場に買い物の人やマンゴや土産物売りを多く見かける。
そしてバオバブも見かけることができる。道は比較的整備されていて快適に走ることができた。この国では中国が高速道路の建設に力をいれていて、地元ではとても喜ばれていた。
私は仕事柄、色んな国に出かけることが多いが、中国に対しては批判の声を多く耳にするがここセネガルにおいてはとても評価が高く、喜ばれ期待されているのが意外ではあった。
そしてホテルより1時間少しぐらいで一つのナーセリーに到着。パッと見て少し興味深いものがあると感じた。
一通り植物を拝見し打ち合わせをさせていただくことができた。ただそのまま輸入するのではなく、時間はかかってしまうが、一ひねりした形で面白い提案ができればと思っているので乞うご期待である。
広大な農場を細かく見ていると、お昼を大きくまわったので、ランチ代わりに熟れ熟れのマンゴとバオバブジュースをいただいたが、その味は格別に美味しかった。そして夕方近くになったので、一旦ホテルに戻ることにした。
その後パートナーの家族に招待していただき、地元の新鮮な魚介をいただいた。
ムール貝に、生かき、生うに。ここではシンプルな食事かもだが、日本の都会に住むものには何とも贅沢な食事である。
そして右を観ればマングローブ。左を観れば夕焼け空に風を受けながら漂うペリカン。
まさにアフリカを感じることができ至福の時を過ごさせてもらうことができた。
そしてホテルに戻り、このブログを書きながら、約1年前のマダガスカルでおきた悲劇の記憶がよみがえらないこともないが、それはそれ。とても素敵な1日となった。
やはりアフリカはネット環境が良いとは言えないのでホテルにいる時だけがギリギリ使える状態である。現地でFacebookのアップなどができれば良いが少し難しい感じである。
さてと、夜も更けてきたのでこの辺で。明日も良い日になりますように。そして体の痛みがおさまり、お腹も痛くなりませんように。そのことを願って、おやすみなさい。
搭乗後 深夜にも関わらずわりにしっかりとした食事がでてきて、もったいない症の私は少し食べ過ぎてしまった。そしてひたすらパソコンと向かい合うのだが、周りが真っ暗で斜め前の人のいびきがなければ機内は本当に静まり返った状況のため、できるだけ電気を落とし、ノートパソコンを半開き状態にして、静かにキーボードをうち続けた。
時折寝てみようとチャレンジするのだが、やはり中々難しく、また資料を眺めてみる。その繰り返しで何とか到着2時間前の朝食タイムとなった。
朝食は特に・・・という感じであったが、スプーンとフォーク、ナイフの量はすごかった。まるで手術ができるぐらいの数だ。ただこれだけのものが揃っていても、実際に私が使ったのはフルーツとヨーグルトとキッシュを食べるスプーンとフォークだけであったが・・・
ただ秀逸であったのはコーヒー。さすがエチオピア。少々ぬるいのが気になったが、いや随分気になったが、それはぐっとこらえたとしたら、味は数ある航空会社の機内で出るコーヒーの中でも個人としての好みではトップクラスであった(そんなにも多く乗ってないかもですが)
そしてソウル(インチョン)を出発し、約11時間弱でエチオピア アジスアベバ空港へと無事到着した。エチオピアと言えば8年前にJFMAの視察で訪れたことがある 。ただ今回は乗り継ぎだけである 。
空港は多くの人でにぎわっていた。土産物屋 をのぞいてみると、何となく気になった絵が・・・。Facebookにアップすると案の定似ているねとのコメントを多くいただいた。この方が誰かを私は知らないのだがきっと偉い人であるのであろうと思う。このようなアップをして失礼になっているのであれば、ここで謝罪をさせていただきます。申し訳ございません。
そして空港内でコーヒーセレモニーがあった。さすがエチオピアと感じた。せっかくなのとコーヒー好きの私は、ひょっこり腰かけて遠慮なしに一杯頂戴してきた。あ~美味しい。
そして目的地に向かう飛行機に乗り込もうと手荷物検査場を前にした時に、日本からかぶってきた帽子を忘れてきたことに気づく。とりあえず慌てて戻ったら、ちょこんとさっきまでいた場所で私の戻るのを待ってくれていた 。そしてあらためて帽子と共に、再びエチオピア航空で最終目的地であるダカールをめざした。
機内に乗り込むとアフリカでは多い、出発前の殺虫剤散布が行われた。機内でこの殺虫剤が散布されるたびに、本当に人体に影響はないのかとかなり疑問に思ってしまう。正直苦しさも感じる。ただ私はこの臭いが嫌いではないので苦にはならないのだが。
そしてこのフライトも先ほど同様に、パソコンを片手に仕事を繰り返してしていたのだが、異変が現れた。それは私の体調ではなく、愛用のノートパソコンである。充電が不安定であるだけなら良かったが、HOLD状態からボタンを押しても解放されず、何の操作もできない。シャットダウンや再起動など何を繰り返しても解放されない。これでは仕事もブログも書けないと嘆いていたら小一時間後 何がどうなっていたのかわからないままHOLDボタンが解放された。まるで誰かが遠隔操作をしてくれたとしか言いようがない。
そして離陸から約6時間後、目的地であるセネガルの新空港であるブレーズ・ジャーニュ空港に到着着陸かと思いきや、何となくそのような空気ではない。そして気になり真剣にアナウンスに耳を傾け、モニターに目をやるともうすぐBamakoに到着と出ている。
一瞬乗るべき飛行機を間違えたのか?と青ざめた。いやいやチェック しているしそのようなことはないだろうと自分に言い聞かせながらもかなり焦った。
そしてどこの国かもわからないBamako空港?に到着して多くの人が降りていった。そして、たまらずCAさんに聞いてみると、ダカール ブレーズ・ジャーニュ空港に行く人は、このまま降りずに乗ったままで良いですと言われた。全身に血が再び流れ始める ような安堵感があった。それにしても、e-チケットにもどこにもBamakoとも書いてない。きっとアナウンスでは流れていたのだろうけど現地言葉と、早い英語で私はついていけなかったのであろうけど、もう少しわかりやすくしてほしいとも感じた。
そうしてそのまま飛行機に乗っていると、ざわざわと清掃スタッフが乗り込んできて、ゴミ袋とほうき、塵取りで掃除が始まった。今まで一旦降機して、清掃をして再度乗り込みというのは経験しているが、乗ったままの清掃と出発準備というのは初めてであったので、少し面白かった。
40分ぐらいするとここから搭乗の人が機内に乗り込んできた。最終的にBamakoには約1時間駐機し、再び離陸し、ダカール空港をめざした。
そして2時間弱 で、今度こそ目的地であるダカール新空港のブレーズ・ジャーニュ空港に到着。入国手続き書類に記入し、イエローフィーバー(黄熱病)の予防接種証明を提出し、無事に入国ができた。
空港の到着ゲートには、今回の滞在期間ハンドルを預けるパートナーに 迎えに来ていただける予定であったが、飛行機が約30分早着したため、お迎えがまだ着いていなかったので、空港内をキョロキョロ探していたところ、私が油断をしてしまったため、少しトラブルになってしまい、一時はかなりまずい状況に陥りかけたが、何とか最低限で難を逃れることができた。何があったかについてはまた個別にお会いした時にでも・・・。
そしてトラブル回避し、やっとのことでお迎えのパートナーと出会うことができ、早速彼の誘導の元、車へと向かい、そのままホテルに直行した。その途中、セネガルでは日本円から現地通貨には両替してもらえないので、持参したユーロをとりあえず両替してもらうことにした。
そして陸路約1時間でホテルに到着することができた。日本の自宅を出てから約36時間である。やはりアフリカは遠いと実感した(笑)
ホテルでチェックインを済ませ、しばらくして今回の視察のアシスタントを務めていただけるパートナーに来ていただけ、打ち合わせを兼ねたディナーをご一緒させていただき、訪問中の予定など諸々を確認させていただいた。
そして食事を終えると、私はホテルにもどり、このブログの最後を書いている。今回パソコンがかなり不安定なためいつまで書き続けられるかわからないが、パソコンが使えるうちはできるだけアップしていきたく思っていますのでご期待ください。
またFacebookでもネット環境が整っていたら順次アップしていきますのでご覧いただければと思います。
ではでは~~。明日までに明日までには痛みが和らいでいるのを期待して眠ります。
おやすみなさい!
シンガポールでの重要なミーティング、都内での初出展の展示会で締めくくられた決算月でもある7月をパートナーやスタッフのみんなの支えで何とか乗り切ることができ、新年度を迎えることができた。
1日は恒例である自宅、本社、営業所の神棚をお祀りさせていただき、各地氏神様に御礼の参拝をさせていただいた。
普段であれば、このままデスクに向かい作業を始めるのであるが、今日からの海外出張のため慌ただしく、資料準備から病院までバタバタで各準備を進めていった。
ただ病院というのは、そんなにもネガティブなものではなく、子どものようなものである。
私は恥ずかしながら小さいころから楽しみな事や不安な事があると体調を少し崩す傾向がある。遠足のようなたのしいことの前になると熱が出てしまったり、テスト前になるとお腹が痛くなったりする。実は見た目に寄らないかもだが海外出張は後者にあたるのだと思う。
病名をつければイヤイヤ病ということになるのかもしれない。
その理由はわかりやすく、飛行機の中で眠れないのが大きな要因の一つ。そのためひたすらデスクワークをして現地へと向かうため、長距離になると到着したころには結構衰弱してしまい、一般の方レベルの体力に落ちてしまう。(笑)
でも気力はそれでは減らないのと現地で植物に触れたとたんに一気に蘇生し、活動を始めるヒト科 又右衛門の特性である。
さて今回は8月1日の出発となったのだが、本来8月の初旬に海外出張を入れはしない。というのも業界の方はみんなご存知のお盆という1年間の収支に大きな影響を与えるイベントがあるためである。しかしながら色々予定をやりくりしたのだが、どうしてもこの日程でしか組むことができずに、1日の出発となった。そして今回の旅程はまずは関西空港 ― インチョン ― アジスアベバー ― ダカールとなる長旅である。
夕方に関空に到着、一通り出国手続きを済ませて、ラウンジで最後のデスクワークも 済ませて、定刻に出発。
定刻にインチョン空港に到着。乗り継ぎ時間は約2時間30分、軽い食事とデスクワークをおこなった。そして2日へと日付が変わった深夜1:15分のアジスアベバ行きのエチオピア航空に乗り込んだ。
さ~これから始まるセネガル訪問。どんなことが待っているか乞うご期待です。
また併せてFacebookもご覧いただければと思っています。それでは~~~。
シンガポールより帰国し、疲れている間もなく東京流通センターで開催されたタカショー
ガーデン&エクステリアフェア2018に初出展させていただいた。
25日朝一番で都内に向かい、大事な打ち合わせを行った後、展示会会場へと向かった。
到着すれば基礎工事は完成済みで、350年のオリーブなど大型の樹木も配置済みで、あとは低木や下草類を入れていく作業を待つ状態であった。
そして約3時間でほぼブースを完成させることができた。今回のブースは通路の前面には樹齢350年のオリーブをはじめスペイン産の植物をメインに作庭。
背面側はディクソニアなどオーストラリアの植物を使い作庭した。どちらの面も輸入植物や新建材などを使用しながらも、日本人が持つ美意識と感性を活かしたデザインによって今までにはない提案ができたのではと思っている。
そしてブース完成後、宿泊地である新橋に移動。又右衛門チームでディナーミーティングを行い、時間が許す限り、打ち合わせを行った。
そして迎えた初日。
朝一番に会場入りし、撮影などを終え、準備万端でOPENを迎えた。今回は、はじめての展示会ということもあり、少し勝手がわからなかったが、スタッフの方が大切にしてくださり、多くの皆様にブースにおいでいただき、また称賛の声もたくさんいただくことができ、あっという間に終えることになった。
その後、初日の打ち上げを盆栽のスペシャリスト酒井氏、弊社 矢野TEA氏 福中氏と翌日の英気を養った。
そして最終日の2日目も、初めてのご縁の方や、再開のご縁、またワザワザFacebookで見たと駆けつけていただいた方々など多くの人と、私たちの活動のことや夢を多くの人と語り合うことができ、気がつけば2日間の会期を終えることになった。
この展示会で強く思ったのが、エクステリアとガーデンデザインは隣り合わせで、また植物も近々しいところにあるにも関わらず、この展示会で会う方が知らない人ばかりであったということである。
これだけ近い所で活動しているにも関わらず接点が少ないということ、互いにとってとても大きなチャンスロスをしていると感じるとともに、まだまだ私たちの業界がしっかりとした提案をしていくことで、チャンスが残されていると感じることができた。これは大きな収穫であった。
これからもエクステリア業界の方々を通じ植物からのメッセージを伝え、みどりの力を感じてもらえるような活動を提案していき、ともに手を握り合い面白いことができるようにしていきたいと思う。
今回出会った、今まで出会えていなかった方々とのご縁を大切に頑張っていきたいと思う。お越しいただいた皆様。激励の言葉をかけていただいた皆様。そしてこの機会を与えてきただいたタカショーの皆様に心より感謝です。
また次の機会を楽しみにしています。ありがとうございました。
前回から日付がずれているためこのアップは22日の内容に。
今日も早くから朝食をいただき、まずはシンガポール ボタニカルガーデンを案内させていただいた。
日曜日ということもあり朝早くから、ヨガやジョギングなどを楽しむ方が多くいた。
その中に紛れてこれから始まるロングウォーキングのウォーミングアップとして又右衛門も・・・。しかしちょっと違う?随分違う?状況である(^^;)
そしてパーク内をしばらく散策し、それぞれが自分たちの時間を楽しまれている姿を観ながら色んなことの参考にさせていただいた。
そして前回訪れた時は改装中であったChildren’s Gardenを再度訪問した。そして正式に見学を申し込みガーデン内へと入った。
施設内では子どもたちが写真に写ってはいけないので撮れなかったが、以前よりかなり大きくなったのと、楽しそうに遊ぶ子どもたちが印象的であった。
またその中で新芽を吹かしたり、花を咲かせたりしているものも観察させていただいた。
また随所に環境について学べるボードもあり、素敵な仕掛けが施されていた。このボードはWater Footprintについて書かれており、日本でも子どもたちが、このように遊びながら環境について考えることができるガーデンがもっとあるべきと感じた。
見学を終えると、続いて先月OPENした植物との暮らしなどの歴史を学べるゾーンを見学。これもまた日本にもあるべきものであると感じた。そうしてお昼前になり、ボタニカルガーデンを後にし、ランチに向かった。
最終日のランチはお決まりのチキンライス。日本でチキンライスと言えば、ケチャップのかかった赤いごはんのことを連想する人も多いが、こちらではそのままのチキンとライスである。
このお店はかなりの人気店のためお昼前には長蛇の列である。そこでささっと食事をいただき、ホテルへと戻った。そして荷物をまとめレイトチェックアウトをして次の目的地へ。
昼一は緑をふんだんに使っているPark Royal Hotel を見学した。相変わらず手入れの行き届いた素敵なホテルであった。その後少し街中をぶらっと視察。万歩計は既に2万歩を軽く超えていた。
その後、最後の晩餐としてシンガポールで巨大なガーデンセンターを営むDannyさんが展開するパン屋&レストランでディナーミーティングを行った。Dannyさんはそこそこの年齢ながら、まだまだ現役でパワフルに活動されていて、そのスケールの大きさに驚かされる。
数年後には9階建ての売り場も作られるとのこと。本当に凄いと感じた。またそのような人からの話は学ぶべきことが多く、大いに参考にさせていただくことができた。
そして、心もお腹も満たされ帰路についた。空港は夜遅いということもあり、比較的空いていた。
出発まではラウンジをはしごして、深夜1時過ぎ定刻に機内に乗り込んだ。そして日付が変わった23日深夜 機内でこのブログを書いている。
今回のシンガポールは本当に中身の濃い内容であった。2年に一度のフェスティバル。いつものようなGBBの各施設。本当に素敵であった。
ここに多くの植物を供給する世界を代表するナーセリーのパートナーである「又右衛門ワールドチーム」は我ながら本当に素敵なチームになってきたと思う。私もまた、この世界から注目される植物のテーマパーク Gardens by the Bayに日本の植物やコンテンツを供給する日本のサプライヤーである。ここまで育てていただいた方々や一緒に活動するパートナーに本当に感謝である。
でもまだまだ始まったばかり。さらに日本人の美意識と感性による提案をブラッシュアップさせて、より高いステージへと向かっていきたいと思う。そして日本からシンガポールへ。シンガポールから世界へ向けて発信をしていきたく思っている。
もう夢ではない。目的として頑張っていきたいと思う。
さて窓の外は朝焼けとともに明るくなってきた。そろそろ到着が近づいてきたかな。相変わらず機内で眠れない私はほぼ徹夜での帰国になるであろうが元気いっぱいである。それもこれも素敵な目的が見えているからであろう。
相変わらずの誤字脱字 乱文のアップを最後までお読みいただきありがとうございました。
帰国後また大事なイベントが立て続けにあるので気合を入れ直して頑張ります。