四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

早朝、お世話になったB&Bを静かに旅立ち、レッドクリフからのパートナーであるナーセリー「Station Creek Tree Farm」へと向かった。

途中、カフェのテイクアウトで朝食をゲットし、車で揺られながらとても大切なパートナーのDanny氏が待つ街をめざした。

いつもは時間を優先してシティーを抜ける道路で向かうのだが、今回はせっかくなので、ナショナルパークを通る山沿いの道で向かうことにした。

途中レインフォレストや乾燥地など、はっきりと変わる植物がとても面白い。

また今まできいたことのない鳥のさえずりとマイナスイオンのおかげで、心身ともに癒される。

そのような最高に贅沢な時間を駆け抜け、オフィスへと到着。Dannyと奥さん、そして愛犬ロカに再訪の挨拶をして、早速日本から持ち込んだお土産を渡しながら普段のお礼を伝えさせていただいた。

 

その後、ビジネスミーティングを行い、互いの現状報告をし、続いて今後について屈託のない意見交換をさせていただいた。そして今後も引き続き今まで通りの形での強いパートナーシップのもと、互いを尊重し合いながら頑張っていくことを約束させていただくことができた。

そして昼前にはオフィスを出発し、ここで昨日今日とお世話になったKaoriさんとはお別れ。そして再会を約束して、明日入山予定であるグラスツリーが自生する山の近くの街へと向かった。

その途中でも長く続く景色の中に、時折見える興味深い植物やシトラス畑を車窓から楽しみながら、出発から約5時間、距離にして約400㎞で、目的地近くの街「Gayndah」へと到着した。

そして本日の宿のモーテルにカバンを預けて、ディナータイムまで少し街を歩いてみた。

この「Gayndah」はクイーンズランド州で一番古い街とのこと。こじんまりしていて過ごしやすそうである。

また街にはボトルツリーも植わっており、オーストラリア感をめーいっぱい味あわせてくれた。

そのうちの数本は、ボトルツリーの大きな体からは想像ができないような繊細な可愛らしい花を咲かせていた。

そして、街歩きを終えスーパーで買い出しをしてからモーテルに戻り、みんなで食事をしながら歓談し、お腹も満たされたので各自部屋に戻った。

その後一人部屋を出て、暗く静まりかえった街を再び歩きながら、透き通った夜空に輝く星を見つめていると、色々と自らを見つめなおすことができた。

さ~~明日は、早朝この地を出発し、離れた地に、ネイティブプランツが待つ山に入ることになる。楽しみにしながら眠ることにしよう。おやすみ~~~。

 

今回は、オーストラリアのパートナーナーセリーより、重要なミーティングがあるとのことで、ブリスベンへと向かうことになる。その模様をまたブログにてアップさせていただきたいと思う。

マダガスカルから帰国後、バタバタとたまっていたミーティングや作業を終え、当日の朝まで出国の準備を行い、時差ぼけですっきりしない身体が、再度飛行機に乗ることで元通りになることを期待しつつ、再び空路で目的地へと向かう。

今回は、伊丹空港―羽田空港―シンガポール―ブリスベン 出発から到着までちょうど丸一日24時間ぐらいである。

少し早めに見送りのネコたちにお留守番をお願いして自宅を出発。伊丹空港に到着し、搭乗手続きを行い、羽田空港へ向かう。

機内で珍しくウトウトしているうちに羽田空港に到着。出国手続きを終え、しばしラウンジで出発前最後の事務作業。そして飛行機は定刻に離陸した。

機内ではパソコンによる作業とまるで小さい子どものように食事をこぼしてしまったシャツの汚れを拭いながら、ドタバタしているうちに、シンガポール チャンギ国際空港に到着。

トランジットの間は、数日前立ち寄ったローカルルール満載の上海浦東空港と打って変わった快適な時間を空港内で過ごし、再びブリスベン行きの飛行機へと乗りこんだ。

そして、無事定刻に到着。空港にはバオバブ サバイブ プロジェクトをはじめ、私のオーストラリアでのプロジェクトを幾度もサポートしてくれているKaoriさんが早朝にも関わらず迎えに来てくれていた。

1年ぶりの再会を喜び合い、早速車に乗り込んで移動。途中のカフェで朝食をとりながらミーティングを行い、再び車を走らせ、レッドクリフで新しいパートナーのYukikoさんと合流した。

そして3人でグラスハウスマウンテンへと向かった。そして自生しているグラスツリーや ユーカリなどをチェックしながら、一つの山の頂をめざした。

登山道は幾分整備されているので、車道から約40分で頂上に到達。素敵な景色が拡がっていた。そこでしばしの間、景色を眺めながら心地よい風をうけて、すぐ下山。

その後、簡単にランチをいただき、近くのナーセリーやガーデンセンターやショップなどいくつかの視察を行った。


カテゴリー分けされた花苗からネイティブプランツ、資材が並べて売られており、店員も明るく良い雰囲気であった。

その後、夕刻に本日泊まるB&Bへと到着した。するとまずはとてもかわいいネコちゃんが、私を出迎えてくれ、不眠の疲れが一瞬の間やわらぐのを感じた。

またオーナーも部屋の使い方など丁寧に教えてくれ、一夜限りの家族のような雰囲気を楽しませてくれた。

 

その後、歩いて15分ぐらいのところにあるスーパーに夕食の買い出しに向かい、ついでに夕食を済ませた。そして、部屋に戻って明日の準備を整えたので、このブログを書き終えて寝ることにします。

あしたは朝からナーセリーにて打ち合わせ。そして遠く離れた自生地へと向かうことになる。明日も素敵な一日になりますように。おやすみなさい。

当初予定をしていた以上に活動の機会があり、時間が足りずのバタバタであったが、よくありがちな欠航やトラブルもなく、若干の忘れ物や破損があったくらいで、無事帰国の途につくことができた。

少し安いチケットのため経由地が多い。現地時間で12日の昼過ぎにマダガスカルを出発。そしてエチオピア、上海で乗り継ぎ、日本時間13日の夜遅くに関空へと到着する。

そして、いつものように長いフライトの間に、このブログの最終章を書いている。前回のブログで前振りをさせていただいたが、今回のマダガスカル訪問でも豊かな自然、魅力的な植物、温かい人との出逢いが多くあった。

そして素敵な再会を果たすこともできた。それは2年前に電撃訪問させていただいたデュドネ氏である。私の過去のブログを読んで記憶していただいている方も多いと思う。この写真は当時一緒に撮ったものである。

 

彼はアンタナナリボで、とても素晴らしい活動をしているので、あらためて、今回訪問させていただいた写真を使いながら彼の活動に簡単に触れさせていただきます。

彼はとても貧しい生活を送っていた。そして約20年前から街で捨てられたくず鉄を集め、手仕事で器用に加工し、マダガスカルではよく見かける素敵なバオバブなどの置物や、小物入れなどの雑貨を作る事を始め、何とか生きていくための収入源としていた。

 

そうして産み出されたわずかばかりのお金と培った技術を、自らの貯えではなく、身体的にハンディキャップを持っていたり、通常の仕事に就くことができない人たちに教授した。さらに場所を提供し、一緒に活動していくことで、彼らの生活を支え続けてきた。

そして彼の実直な活動は多くの人に受け入れられ、その輪は拡がりをみせ、彼のもとにハンディキャップを持った人たちが集まってきた。彼はそれらを受け入れ、彼らと共に、一緒に生活をすることで、その活動は大きくなっていった。

彼の元には小さな子どもを持った人も多く集まる。そんな人たちのために子どもを預けられる保育園を作った。

 

子供は成長する。十数年続ける中で、その子どもたちにきちんと教育を授けるために小学校を作り、次には中学校、今では高校を作るまでに至った。

さらに隣接するところに畑を作り、そこで環境に配慮したオーガニック農法で野菜を作り、管理をしている。

この他にも彼は施設の中で、プラや生ごみなどにゴミを分別することで循環型の取り組みを実践し、そこで一緒に活動する人や子どもたちにその重要性をしっかり伝えている。本当に素晴らしい活動と言える。そんな素敵な彼との当時の約束を果たすために、2年ぶりに工房を訪れたのである。

施設を見学させていただきながらスタッフの方と彼を探しても見つけることができない。

もしや今日は出かけてしまったか、それと施設にはいるが、私には会いたくないために出てこないの?私のことなど忘れてしまったか?と少しさびしい気持ちになりながら、残念だけど今回はあきらめて帰ろうとしたときに、彼は少し足を引きずりながらゆっくりその姿を現わしてくれた。

 

そして私を見つけると同時に、大きな声をあげながら懐に招き入れてくれた。感動の再会である。彼は前回に出逢った時より、ひげをのばし、少し歳をとったように見えたが、元気そうで、私のこともしっかり覚えてくれていた。

 

工房は音が大きく声が聞き取りにくいため場所を変え、比較的静かな農園に向かい、そこのベンチに腰を掛け、再会の喜びを分かち合いながら、お互いのこれまでの歩みや現状の取り組みなどについて、しばらく話をさせていただくことができた。

そのような会話をしているところに、突然とても明るい2人組の男性が大きな声をあげながらやってきた。彼らもまたデュドネさんと抱き合い喜び合っていた。話を聞くとデュドネさんは彼らともしばらくぶりの再会のようである。デュドネさんの紹介によると彼らは絵や音楽の素晴らしいアーティストであるとのこと。そして彼らも同じように貧しい生活の中から這い上がり、今では名の知れたアーティストにまでなったとのことである。本当に素敵な話である。

そしてその明るい二人は、隣接する場所にデュドネさんと一緒に私たちを招き入れてくれて、素敵な再会と出逢いをラム酒で祝ってくれた。私は、普段は全くお酒を飲まないのだが、この時ばかりは、その素晴らしい縁に感謝し、興奮しながら祝杯をあげさせていただいた。

彼らは、私たちのために植物の音楽を流しながら、素敵な空間を演出し、仲間として一緒に時を刻んでくれた。その雰囲気も私のFacebookのアップを見ていただければ少しは感じていただけるかなと思うのでよろしければ・・・。

そしてしばらくして、私たちは出発しなければならない時間となり、ここでも新たに増えた仲間と互いの活躍と再会を強い握手で約束することとなった。

私たちのマダガスカル訪問中、ローマ法王の来訪があり、多くの人びとがアンタナナリボに集まり、街はいつも以上に活気に満ちていた。

そしてホテルに置いてある新聞をのぞき見ると、そこにはローマ法王がマダガスカルにてバオバブの植樹をされる姿が1面に掲載されていた。

決して全く驕る気持ちがあるわけでも何でもないが、同じ時に、同じ国で、同じバオバブの樹を、地球環境への強い想いを込めてローマ法王は大統領と共に、私たちは村人とともに植樹・植林させていただけたことは、偶然ではあったにせよ、今後の私の心の中で、何らかの支えになってくれるように感じている。

今回の訪問でもまた多くの素敵な縁をいただくことができた。出逢いに本当に感謝である。そして素敵な機会をくださったパートナーやスタッフの皆に感謝すると同時に、それを今後につなげていかなければならないという責任感を私たちは強く感じている。

そして最後に。マダガスカル滞在中、ずっとサポートしてくれた現地パートナーのホスピタリティーにも深く感謝である。可能であれば来春に再訪するので、その時はまたよろしくお願いします。

早かったような長かったようなこの訪問もあと少し。待ってくれているであろう猫たちに会えるのが楽しみである。

さてこれにて又右衛門 マダガスカル訪問記2019を終えさせていただきます。乱文で意味が解りにくいであろう私のつたないブログでありますが、少しでもマダガスカルの素晴らしさや、魅力が伝われば幸いです。また中々文字だけでは伝えきれないので、引き続きFacebookなどSNSでもアップもしていきますので、観ていただければと思っております。

また今回の訪問やマダガスカルについての質問などがありましたら、ご連絡をいただければです。それではこの辺で・・・・・

ヴェルーマ ミサウチャ~~!!!

マダガスカルの首都 アンタナナリボに戻り、数日間活動をさせていただき、色々な方々とミーティングの機会を持つことができた。と言ってもアンタナナリボ市内では、恒常的に道路は渋滞しているため、少し移動するにも数時間を要することが当たり前。アポ入れするのも大きく分けて午前、午後にミーティングを持つぐらいが精いっぱいであるが素敵な出逢いが多くあった。

アンタナナリボ大学で活躍する日本の方と出会うことができ、その素敵さに大いに刺激を受けた。

また行政関係の人にも出逢うことができ、私たちの事業や活動を説明すると、共感していただき、今後サポートしていただけるとのこと。本当に心強く感じる。是非、小さい活動ではあってもマダガスカルと日本の両国が共にしあわせになることを続けていきたいと、あらためて感じた。

そして近くにマーケットがあったので、ランチタイムと兼ねて、駆け足で少し探索をした。

 

マーケットではその国の状況を肌で感じることができるため、時間があるときは必ず行くようにしている。

中にはスリやペスト感染などがあるからと言い、人ごみを避ける旅行者もいるが、私はそれらがそう多いとは思っていないのと、スリや疫病には強いと自負しているので、喜んでマーケットを闊歩する。

そこには新鮮な?肉や魚や野菜、衣料や雑貨の店舗が無数に立ち並ぶ。その活気でかなりエネルギーチャージができた。さらにかわいいお土産をゲットすることもできた。その模様はFacebook(金岡信康)で公開しているので見ていただければと思う(^^)v

移動の途中、時間があれば園芸店を視察。今後の展開に活かすヒントを得ることができた。

そして帰国のための出発の朝も、ホテルのロビーでとても興味深いプロジェクトについての重要なミーティングを行うことができた。後日皆様にも報告できるのではと思っているので楽しみにしていただければと思う。

そして空港に行く前にも視察を行い、出逢い、再会を繰り返したアンタナナリボ市内でのバタバタな日々は、延長した今回の日程でも全く足りずにタイムリミットを迎え、大変お世話になった現地パートナーと固い握手を交わし、近い再訪を約束して、帰国の途に就くことになった。

少し肌寒いアンチラベの朝を迎え、街中で朝食。マダガスカルではおなじみの朝食であるおかゆをいただいた。少し寒かったこともあって、とても美味しく感じた。

おかゆをいただいたのち、IBITY山へと向かった。ここにはパキポ ブレビをはじめここでしか見ることができない所謂、固有種が多く自生している。そしてその素晴らしさを護るため保護区として、アメリカの支援の下、管理がなされている。所定の手続きをして、早速、山に登らせていただいた。目的地まで片道約1時間30分。歩いて登る。

色々な植物に出逢うことができる。


山頂近くにはパキポが自生してきれいな花を咲かせている。

更に岩肌を登るとアロエやカランコエが自生している。その美しさは抜群である。

山の頂上付近から振り返るととても素晴らしい景色が目に飛び込んでくる。そんな素晴らしい眺めと植物と空気で、岩山を走り回った疲れは吹き飛び、時間となったので下山した。

文頭にもあるがここには固有種が多くあり、正直全くと言っていいほど私も何があるか把握できていない。多くがユーフォルビア。そしてそれら多くの植物それぞれに、腹痛の緩和、咳止め、疲労回復など何かしらの薬効があるとのことで、本当に興味深いことであった。また時間があるときに別の機会できちんと報告をできればと思うのでとりあえず写真を数枚アップさせていただくことでお許しを。

IBITY山を降り、再びアンチラベのまちでランチを食べて、首都 アンタナナリボへの帰路についた。

 

途中ユニークな露店販売や新鮮な野菜売り場を眺めながら無事アンタナナリボ市内に到着。そしてスーパーで夕食を買い込もうと思ったが、日曜日でスーパーはお休みのため、ホテルにチェックインして、部屋で日本から持ってきたインスタント食品でお腹を膨らませた。


そしてデスクワークタイムに入ったのだが、ハズキルーペでない私の眼鏡は、移動中に自らのお尻で踏んづけることで壊れてしまい、作業が全く前に進まずのため、ストレス満載のまま深夜になり、出発からほぼ毎日ずっと乗り物に揺られっぱなしであった身体は、静かに崩れ去った。

6日から9日はローマ法王のマダガスカルご訪問につき、アンタナナリボ市内に多くの人が集まることから、普段でも渋滞する道路は大渋滞、その他も混乱が予想されている。多くの企業もスタッフを自宅待機させたり臨時休業をとるところもあるぐらいのため、私たちは郊外へと身を移す。

行先はムルンダバ。有名なバオバブ街道がある場所である。そしてこの街の近くには私が客員研究員をつとめさせていただいている進化生物学研究所の湯浅先生がバオバブの成長スピードを計測するため定点観測をしているバオバブがある。

昨夜も遅くなったので仮眠のような睡眠をとり、パッキングを終えて渋滞がないであろう早朝4時にホテルを出発。ムルンダバへは飛行機で移動する人が多いが、今回は諸事情があり車での移動である。まだ暗い道を車でひた走り、片道8~9時間 700kmの道のりとなる。(バスでは10時間以上)

朝が急に冷え込んだせいか深いモヤで視界が極めて悪い。暗闇の中から飛び出す人に何度も驚かされる。

途中視界の悪さからであろう車線から外れたトラックを何台か見かけた。もしこのトラックが道をふさいでいれば、一本道のため、ずっと通行止めで今回はムルンダバには行けなかったであろう。また引き返してもホテルが取れなかったかもしれない。運が良いと言えば事故にあった人には失礼であるが、何とか通行ができたので山道をひた走る。

途中、モヤの中から飛び出すように見えてくる牛車に驚かされる。さらに厳しい山道と疲れのせいか、車酔いに悩まされる。

そのような苦しい中でも、窓から見える美しい棚田が酔いを癒してくれる。

そして、行程を約3分の1過ぎたところにあるアンチラベに到着。ここでパンを買い朝食。シンプルなパンがとても美味しい。絶品であった!

そしてここから先約500kmの道は比較的緩やかである。田園風景が美しい。

前を行くタクシーブルースを追い抜きながらひたすら走り続ける。運転は安全と知りながらもやはり何度かヒヤッとする場面がありスリリングである。

また途中では、砂金を採る光景を見ることができる。いろんな村から砂金を採るために人がやってきて、新しい村ができてきている。

そして行程の半分を過ぎたぐらいでランチタイム。先ほど買ったパンとソーセージをパッと食べる。普段あまりパンを食べないためなのか、このシンプルさがとても美味しく感じた。

そしてすぐに出発。ひたすら走る。ただ走る。

途中マダガスカルが本家本元であるビスマルキアの群生にも出会えた。どんな光景が目に飛び込んでくるかわからないので、おちおち眠ることもできない。

そして何とか明るい間にムルンダバへ到着することができた。そしてバオバブ街道周辺の環境をチェックした。

そうこうしているうちに陽は落ち始めて、しばしバオバブ街道で太陽が沈むのを複雑な思いで眺めていた。

そのうち完全に暗くなったのでホテルに向かった。今日の宿はBAOBAB CAFÉ

日本のような便利さや清潔さとは違うが、趣があるホテル。日本のツアーも訪れるホテル。虫がでることやシャワーが水しかでないこともあるのは致し方ない。

ここで簡単に食事をとる。いかのニンニク炒めと、良く冷えたガスウォーターが、お酒の飲めない私にはごちそうである。そしてお腹は満たされたので、長時間のドライブによってきしんだ身体で部屋に入り、お湯の出ない冷たいシャワーのショック療法で、いったん元気を取り戻す。そして残った体力をギリギリまでデスクワークにつぎ込み、この日は日付が変わるころ倒れるように眠った。

朝は4時起床。再びバオバブ街道へ行く。ここで日の出のバオバブを少し眺めて、アンチラベへと今まで来た道を折り返した。

途中、眠気覚ましのコーヒーを身体に注ぎ込み気合を入れて、定点観測のバオバブをチェックし、周囲のバオバブ(グランディディエリ、フニィ、ザー)を眺めながら、来た時の道と同じ道をひたすら走った。

そして途中何とか木陰を見つけて、ランチ。今日はサンドと途中で買ったバナナ。シンプルで美味しいが、パンは少し飽きてきていたのでバナナがとても美味しく感じた(笑)

途中 旅人の木が応援してくれているように感じながらひたすら走る。そして砂金を掘る光景に出会う。当たり前である。同じ道を通っているので・・・・

そして予定通り夕刻に、昨日朝食をとった街 アンチラベに到着

ここで日本からこの地に赴いている協力隊員とお話させていただく機会を得て、彼らの素晴らしく輝いた眼と前向きな姿勢に多く勇気づけられ、再会を約束して別れ、その後はアンチラベの静かな夜を過ごした。

4日早朝、目覚ましに関係なく4時ごろ浅い眠りから目覚める。

しばらく出発の準備をしていると、窓の外からきれいな朝焼けが見えてきた。今更ながら何となく外国に来た~~という感じになる。その後簡単な食事をいただきホテルを出発。

 

今日は南のフォール・ドーファンへと向かう。

あらかじめ空港近くのホテルを予約していたので、渋滞に関係なくスムーズに空港へ到着。

搭乗口付近でしばらく待ち、無事飛行機が来てくれていたのを確認でき、まずは少しホッとする。
何故ホッとするかというと、日本とかでは考えられないほど、欠航や遅延、ダブルブッキングなどが多いからである。以前は予約をしていても乗れるのも早い者勝ちみたいなこともあり、国内線でも2時間前にいっていち早くチェックインを済ませ、ボーディングパスを手にしなければ安心できないぐらいであった。またボーディングパスを持ちながらも、飛行機の到着を待っていると天候不良とかでもなく急遽欠航ということもあったので、余裕がなければ、飛行機は不安定である。

かといって車で行くには片道で3日間、雨期なら5日間ぐらいかかるから、よほど滞在期間に余裕がなければ無理なため、私たちには向いていない。また途中 山賊などに出逢うこともあり、危険も伴うので、選択肢は飛行機になってしまう。

 

少し話は逸れたが、運営会社が変わった国内線に乗り、プロペラ機のため時間がかかり約2時間でフォール・ドーファンへと到着。

そこには「みどりのサバイブプロジェクト」でお世話になっているNGO サザンクロスのRivoさんが迎えに来てくれていて、早速、以前バオバブの植林と木彫り品を作っていただいた村 RANOMAINTY(ラナマインティー)へと向かった。

フォール・ドーファンを出発し、街中だけは道路が良い状態(日本と比較すると悪路)のため10数分はスムーズに進める。

そして鶏やフルーツを売っている村を通る。せっかくなので少し見学。

ここではライチはちみつをペットボトルに入れて売っていた。はちみつ好きの私なので、かなり興味津々であったが、ここは我慢して次へとすすむ。

途中、ジャックフルーツがなっているところや、エレファンティフォノの自生を見たりしながら進んでいく。そしてこの辺りからの道路は、かなり昔に整備されたきりで、今ではほぼ舗装が崩れてしまっているため、まるでモトクロスの競技場かとも思えるぐらいの悪路である。そのような悪路をロデオ状態で進み、何度も車の窓ガラスに頭をぶつけながらフォール・ドーファンから約1時間30分でナショナルパーク付近まで到着。

ここでランチタイム。サザンクロスジャパンのリヴさんの奥さんが作ってくれたサンドウィッチ。中身は揚げ春巻き。日本ではあまり考えられないサンドだが美味しい!!!

そして残念ながら管理が行き届いていないパークを少し見学したのち、再び目的地をめざす。

途中アガべの花が、多く咲いているところなどを通る。

またオペルクリカリア デカリーの群生を観ることもできる。このオペルクリカリアの皮は現地では育毛の効能があると言われていて、昨年ブラマヨのTVに出演させていただいた時にもご紹介させていただいた。ブラマヨの小杉さんが興味を示してくれていた(笑)

そして悪路を再び走り、フォール・ドーファン出発から約3時間で目的地であるラナマインティー村へ到着。

そこではすでに村長や学校の先生や多くの村人が私たちの到着を待ってくれていた。彼らは私のことを「木彫りを買ってくれる日本の人」という風に覚えてくれていて再訪をよろこんでくれていた。

 

そして村人と一緒に、バオバブの植林へと向かった。その場所の名前は「子どもの森」

何故「子どもの森」というかというと、植林をする意味を子どもたちに伝えるために一緒に活動する場所だからとのことである。近藤先生や湯浅先生、サザンクロスの活動には頭が下がる思いである。

植林現場に着くと、まずは以前に植林されたバオバブの成長を観るため計測を行った。続いて村人みんなで植林を行った。通訳兼学生インターンとして参加させた娘も積極的に参加をしていた。

そして記念写真を一緒に撮って、また村へと戻る。

村でつくられている木彫りを拝見し、次回の打ち合わせやオーダーをさせていただいた。

その後、湯浅先生からの届け物を村長と学校の先生に渡して、出発の時間となったので名残惜しいが再訪を約束して、この村を後にした。

そして隣村のANTANIVINANKYに移動し、ここでも植林をさせていただくことになった。
私の到着を待っていてくれて、どこに植えようか考えていると、この場所の中心にある岩に囲まれたところのシンボルの木が、以前のサイクロンで倒れてしまったので、是非その場所に植えて欲しいとリクエストがあり、僭越ながらその場所に植えさせていただくことにした。

この村でも、バオバブやコミフォラの木、合わせて10本ご用意いただき、皆さんと一緒にシンボリックな1本を植えさせていただいた。

そしてこの村でも時間が来てしまったので、再訪を約束して帰路についた。

来るときと同じく2時間30分くらい悪路に身をゆだねながら、黄金に輝くユーフォルビアに魅了されたり、山から村へ炭を運ぶ人たちや、牛を連れている人たちとすれ違ったりしてフォール・ドーファンの街へと戻った。

 

そしてNGOサザンクロスジャパンのRivoさんの家で、奥さんが用意してくださった歓迎のディナーをいただいた。その料理はどれもが本当においしい。

さらに大好物の生カキも用意してくださっていた。でもしかし以前の私のブログをお読みいただいている方ならわかるかもしれないが、さすがに中々手を伸ばせなかった・・・

それでも、Rivoさんと奥さん、一昨年 一緒にサザンクロスの事務所で植林をしてくれたNorioくんとNorikoさん、そして私たちの7人で、楽しく懐かしく食事をさせていただくことができた。

 

そしてワイワイ話をしていると、急に強い雨が降ってきた。乾季なので中々雨が降らないハズであるにも関わらず断続的に降ってきて、恵みの雨、さすがレインマン又右衛門と喜んでいただけた。

そのような楽しい時間は過ぎるのが早く、子どもたちは明日の学校、私たちは朝から近くの視察などがあるため宴はお開きとし、別れを惜しみながらホテルへと戻ることにした。そして眠気の限界までデスクワークを行い、深夜 蚊帳の中で眠ることにした。

朝、寝苦しさと悪夢で目覚める。夢でうなされるのは久しぶりである。蚊帳が苦しかったのかもしれない。確かに朝起きたら地引網にかかったマンボウのようになっていた・・・・・。

 

その後ホテルをチェックアウト。2年前にNorioくんと「みどりのサンタ」と一緒に植えたバオバブの成長を確認後、皆さんとお別れをして空港へと向かった。

その途中、昨日山から持ってきた炭を街で集めてトラックに積み込む人、その炭をさらに中継する人、自転車で届ける人、キャッサバを運ぶ人など、多くの人とすれ違いながら空港へと到着した。

 

飛行機は、はじめ30分の遅延と聞かされたのだが、結局は1時間30分ほど遅れて空港に到着。

そして、乗り込むときにボーディングパスを出すと座席番号を赤ペンで消され、自由席でよろしくと伝えられ、え~~っと思いながら乗り込むことに。さらに、座っていると経由地の空港から新たな人が乗ってきて、私の席ですよ、と言われる始末。それでも欠航にならなかっただけ有難い、と、ほのぼのとした気持ちにすらなったのは、さすがマダガスカルの国内線、という感じがする。

日本の航空会社がいかに素晴らしいかも、あらためて感じることができた。

遅れはしたものの、何とかチュレアール空港経由で無事アンタナナリポまで戻れた。朝食を取る時間はなかったのだが、昼食も簡単なもので済ませ、夕方からは新たなご縁による大事なミーティングを行い、とても重要な情報を教えていただくことができました。

 

その後、スーパーで今日の夕飯と、明日移動しながら車で食べる朝食と昼食を買い込んで、車に積み、ホテルの部屋に戻ってブログを書いています。

明日は3時起床、4時前には出発のため、早く準備をして眠ります。今日はうなされませんように・・・・・ おやすみなさい。

3日の昼過ぎにアンタナナリボ(通称 タナ)に到着。

空港は1年前より少しきれいになっており、そこには今回もアテンド役を担ってくれるセルジュ氏が待っていてくれた。

そして久しぶりの再会の挨拶をして、早速 まずはお世話になっているJICA マダガスカル事務所を訪問させていただいた。

そこではJICA マダガスカル事務所 梅本所長はじめ皆様とご挨拶をさせていただき、今回のマダガスカル訪問の理由と、私たちバラエングループの取り組み、今後の進め方についてディスカッションをさせていただいた。

やはり現地で活動されている方々の声を聞かなければわからないことも多くあり、短いながらも意義深いミーティングとなり、学ばせていただくことができました。

このことを無駄にしないように、今後も積極的につとめていきたいと思っています。

 

その後は、明日朝が早く、準備も必要なため、ホテルに向かったのだが、明後日のローマ法王の訪問にあたり、その警備や各地から集まってくる人々のおかげで、通常よりひどい渋滞となっていた。

 

それでも何とかホテルに到着し、その後食事もとることができたので、今日は早めに準備を済ませて、約2日ぶりに眠らせていただきます。おやすみなさい。

 

 

 

TICAD7(第7回アフリカ開発会議)を終え、今度は私がマダガスカルへ。その模様を何度かに分けてブログアップさせていただきます。ただマダガスカルは通信状況が少し不安定なのと、前半は田舎に行っていますので、まとめての投稿になるかもしれませんがご了承をいただければです。よろしくお願いいたします。

 

さて2日深夜?早朝?に起床。暗い中、なまった身体を動かすために少し運動し、氏神様への参拝をしてから、事務所で準備を整え、その後リムジンバスに乗り込み、関西国際空港へと向かった。

お昼過ぎということもあり道はすいていて定刻到着。その後、お土産を買い込んで、バタバタと飛行機に乗り込み、関空を定刻に飛び立つことができた。

そして機内では、ダイエット中の又右衛門は、あらかじめ頼んでおいた低糖質の食事をいただいた。おかずは赤身のお肉で、通常メニューより少しお得感もあり小さな幸せを感じながら、あっという間に経由地である仁川空港へと到着した。

ここで次の飛行機まで約6時間待ち。ラウンジで食事をし、ひたすらパソコンで宿題を手掛けて、ボーディングタイムが近づいてきたので移動し、飛行機へと乗りこんだ。

そして深夜エチオピア航空で、アジスアベバ(エチオピア)をめざす。いつものように機内では眠れない私には結構拷問のような時間である。いつものごとく眠いような眠くないような苦しい時間を過ごしながら、ひたすらパソコンとにらめっこ。そして自分の中での無言の壮絶な戦いを繰り広げ約11時間30分後の3日の朝に、無事アジスアベバに到着をした。

この空港では乗り継ぎが約1時間しかないため、少し速足で空港内を進んだ。新しくなった?空港は、以前とは打って変わり、ありがちな近代的な空港のようになっていて、少しさびしさも感じるぐらいであった。

そして再び、飛行機に乗りこむ。離陸前には、お決まりの機内の殺虫剤散布。初めて経験するものは大概この行為に驚きを示す。私も初めての時はびっくりした。そして吸い込まないように口を押えたりしていたが、今ではもう慣れっこになり、その薬剤の香りもお気に入りにもなってきている。

機内ではCAさんが私の足にトマトジュースをこぼしてしまい、着替えの少ない私は、テンションが下がり気味。そのような中、飽き始めた4度目の機内食を食べながら、パソコン相手に眠れぬ苦しい時間を過ごして、さらに約6時間後、関空についてから約24時間後にやっとマダガスカル アンタナナリボへと到着することができた。

 

さ~~これからの約1週間。マダガスカルにての活動である。気合を入れて今回こそは落とし物をせずにしっかり頑張っていこう!

 

TICAD7 2日目。今日は朝から晴れていた。

開場前に要人を乗せた黒塗りの車が、続々と会議場へと入ってくるのを見ていると、この会議が持つ意義の重要さを強く感じる。

今日、本会議場では全体会合がすすめられている。休憩時間には各国の要人が私たちのブースの前を行き交う。日本からも安倍総理や麻生副総理、河野外務大臣が。私たちにお声掛けしてくださいながら、多くのSPたちと会場に入っていかれる。その度に緊張感が走る。

そのような中、時間の合間を縫ってJETRO主催の展示ブースを再度見に行ってきた。そして、あるブースでリンドウの切花が飾られているのを発見。ここでは昨年?から取り組みが始まったリンドウ生産について発表されていた。

 

このリンドウは以前から又右衛門との色んな取り組みにチャレンジしてくれている岩手県八幡平市のJA新いわて(安代りんどう)とアフリカ東部ルワンダとのプロジェクトによって作り出されたものである。実際に安代の生産者が生産指導するためにルワンダまで赴くという熱の入った、とても素敵な取り組みである。

 

確か7月だったと思うが、弊社に安代生産者の方々に来ていただいたとき、せっかくの機会だからTICADにて発表すべきと進言させていただいたことから発表に至った、かどうかはわからないが、花き業界のパートナーがこのように海外でも活躍しているのを拝見できるととても嬉しく感じる。今後どのような広がりをみせるか楽しみである。

そして再びブースに戻り、皆さんにお声掛けしていると、私たちの地元から選出の山田外務大臣政務官と、大串前経済産業大臣政務官がブースを訪れてくださり、お話をさせていただくことができた。

 

その後、訪問者が途絶えたとき、マダガスカル大使館ブースでご一緒させていただいている昭和大学の土佐先生とお話をさせていただく時間を持つことができた。

土佐先生はマダガスカルで子供の口唇口蓋裂の治療を行うため、何度も渡航されているとのこと。

マダガスカルでも口唇口蓋裂が原因で、いじめなどに繋がることがあるようで、土佐先生に治療されたことで、学校に行くことができるようになったと喜んでいる子どもが多くいるとのこと。

そのため、時間の許される限り、マダガスカルに向かい治療をしているとのこと。土佐先生の取り組みには頭が下がる思いである。

しばらく同じブースでご一緒させていただき、互いの話をすることができ、分野は違えど一緒に取り組めるプロジェクトも今後は出てくるかもしれないと感じている。

そして、今日も無事1日の予定を終え、ホテルに向かう途中の大戸屋で一人ディナーをしてから、部屋に戻ってデスクワーク。日付も変わるころ自分へのご褒美に、好きだけど普段は我慢して食べていない「白くまアイス」を口にして、疲れを癒してから就寝した。

翌30日朝。外は強めの風が吹き、雨が降っている。会場まで向かう。途中かなり風にあおられたため、スーツは結構濡れてしまった。それでも気を取り直して最終日を迎えた。

最終日も同じように時は流れていく。そしていよいよ閉会式。会場では「横浜宣言2019」が採択された。

 

その後会場から安倍総理が出てこられ、私たちのブースに立ち寄って、とても丁寧に一人ずつの手を握り、ご苦労様とお声掛けしてくださった。その手には力強さがあったが、それよりも、とてもやさしい温かい手であったのが印象的であった。

 

そして午後もしばらくしてブース撤収の時間となり、皆さんとともに片づけをした後、私は帰路につかせていただいた。

今回初めて参加させていただいたTICAD(アフリカ開発会議)でも多くの人との出逢いがあった。それも普段の活動では中々巡り合えないような方々とご縁があった。

 

このような機会を与えていただいたラクトゥマララ特命全権大使や秘書官の半田様には本当に感謝である。ありがとうございました。

そしてこの機会にご縁をいただいた国内の方々やアフリカ各国の皆様とのつながりを

大切にして、私たちは今後も活動をしていきたいと思う。バラエングループは、今すぐのアフリカ進出は難しいかもしれないが、弊社独自の有機農業技術や製品、自然環境学習プログラムや「みどりによる持続可能なまちづくりデザイン」などは、今後のアフリカにとって必要になるときが来ると確信している。その時のためにも、準備をしながら今を一生懸命頑張っていきたいと思う。

最後にアフリカ諸国の皆様。遠くからお越しいただきありがとうございました。今度は私が皆様のところに行く番ですね。しばしお待ちくださいませ~~~~~。