四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

生花販売に関わる事業者としては、年間を通じてお盆は一大イベントである。実際にお盆の結果が1年間の収益に大きく作用するぐらいである。

通常でもそのような重要な時期であるが、今年は新型コロナや猛暑による移動や外出自粛、生産の現場での長雨による生産不良などが重なり、果たして需要はあるのか?品質は保たれているのか?など様々なシナリオが描かれる中、それぞれの担当が工夫と目一杯の努力で、何とか結果を残してくれた。

もちろん事業をしているので数字としての結果は追求しなければならないのだが、何よりも嬉しかったのが部門の枠を越えて協力し合い、体力が落ちる環境の中、誰一人体調を大きく崩すことなく、何とか踏みとどまって走り抜けてくれたことである。今まで以上に良くやってくれたと思う。本当に感謝である。

そしてお盆明け早々には、今まで温めてきたいくつかのプロジェクトが動き始めた。
中には10年以上の時間がかかっているものもあり、国内だけではなく海外に向けてのプロジェクトや、同業、異業種とのコラボによるユニークな展開にとても胸が高鳴ってくる。

厳しい状況のため、色んな意味で控えめの活動を余儀なくされ、じっと耐えてきたが、そろそろ万全を期して動き始める時がきたように感じている。

具体的なプロジェクトについては順次報告をさせていただきたく思っているので楽しみにしておいてくださいね!

今日8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。

まずもって今まで繰り返された戦争によって、かけがえのない命を失った多くの方々を追悼しご冥福をお祈り申し上げます。
そして遺族の方々、身体や心に傷を負った人びとが少しでも癒えることを心より願います。
また、多くの方々の貴い犠牲と先人のたゆみない努力によって繁栄し、平和に向かい今を過ごせていることに深く感謝いたします。

8月15日と言えば、私は小さな頃、お盆の送り火のため、おばあちゃんに連れられてお墓参りに行っていた。そして学生の頃には、家業を手伝うためにお盆期間は毎日、お花を売る手伝いをしており、忙しさのあまりに「戦争」という言葉についてゆっくり考えることはできていなかった。ただ、ある歌を口ずさむぐらいであった。

それは「戦争を知らない子どもたち」という歌で、学校の音楽の授業であったかとは思うが幾度か聴いていたのを記憶している。その時は、歌の持つメッセージを読み取ろうとはせず、単純に繰り返し聴き歌っていたことでその歌詞とリズム、何よりこの歌の題名は明確に記憶している。

そして、改めて歌詞を読んでみたが、やはり作者の想いは「これ!」なんだなということが明確には分からない。
戦争を体験した世代の方々からは、自分たちは一人前の大人と認めてもらえないということなのかな?とも・・・。戦争の実体験こそないが、その惨状を伝えてもらった私たちは、二度と同じ過ちを繰り返さないことを深く心に刻み込み、みんなで平和に向かって歩いて行くことが大事ということなのかな?とも思ったりしています。

すみません。相変わらずの支離滅裂なアップですが、今回私が言いたかったのは、いずれにしても日本は多くの犠牲と努力によって繁栄し、平和な世の中へと向かっていることは確かであるということ。
しかし世界ではどうだろう。同じ方向性、同じ速度で平和へ向かえているとは言えない。また私たちが平和と描いているところに向かうために未だに犠牲になっていることはないだろうか。人、環境などどうだろうと考えてしまう。私は犠牲の上に本当の意味での平和は訪れないと思っている。

そして真摯に向き合っていかなければならない。「平和を知らない子どもたち」平和の意味すら知らない子どもたちがあまりにも多くいるという現実を・・・・・。

今日8月8日について、ネットで検索してみると様々な記念日であることが書かれている。

“葉っぱの日”や“パチンコの日”など語呂合わせのようなものから、見た目からの“ヒョウタンの日”、少しどうかなと思われる“デブの日”などが挙げられている。

私にとって「8」という数字は縁起も良く大切にしている数字であり、世間でも末広がりなど「8」という数は吉数とされているようである。

そのような「8」が二つ並ぶ日のため、何となくときめく日でもある。

そして、そのような日に長い間リニューアルできていなかった薔薇園植物場のHPをリニューアルオープンすることができた。

http://www.baraen-rosegarden.co.jp/

本年度は創業140周年を迎えたこともあり、コンテンツも少し追加変更を行っている。

私の「又右衛門ブログ」は凝りもせず書かせていただこうと思うので、引き続きお読みくだされば嬉しく思います。

HPも新しくなり、時代とともに進めていく手法や事業は常に変化させていますが、私たちの植物に対する想いは140年不変であり、これからも志を同じくする仲間と手を繋ぎ150年、200年継続していくことができる企業をめざしてまいります。

最後にHPにも記載している私の挨拶を転載いたします。

 

四代目 金岡又右衛門(金岡信康)

『素晴らしきパートナーと共に、しあわせを創り出すバラエングループをめざして。』

私たちバラエングループは 2020 年、創業140周年を迎えることができました。 そして、150年に向かうバラエングループの代表としての私の使命は、企業理念に基づき、「もっと愛され、もっと必要とされる企業づくり」を完遂することであると考えます。 私が入社した頃は、「もっと花を安く仕入れたい、数多く売りたい」を優先させ、「ライバルに負けたくない。もっと大きな会社にしたい。もっと権力のある会社にしたい。」と思っていましたし、業界の内外で活躍される人びとに認めてもらいたいという気持ちから「もっと見た目に優秀な会社にすべきだ!」という考えにとらわれていた時期もありました。しかし、私は世界中を自らの足で駆け巡り、多くの出逢い、再会を繰り返しながら、目的を共有し、共に歩んでいける素晴らしいパートナーと出会うことができました。

それこそが一番の宝物であると気がついた今、このバラエングループを、大きくはなくとも、地位や権力がなくとも、外観が華やかであるよりも、人からも植物からも「もっと愛され、もっと必要とされる 会社にしたい。」そう強く想っています。 ある人の一言が私の頭に残っています。 「人は植物が無ければ生きていけない。しかし植物は人がいなくても生きていける。」 花き園芸に従事する私たちは、他のどのような業種の企業よりも、植物と身近に接し、その恩恵を受けながら活動をしています。 であるならば、誰よりも、植物の持つ力を全身で感じとり、その力の可能性を疑うことなく、その力の素晴らしさをより多くの人に伝えていくことが私たち責務であるはずです。 私たちバラエングループは、花き園芸業界の一員として、植物からあずかったメッセージを伝え続けていくために、収益活動と社会活動の両輪をしっかり駆動させ、植物の力で「しあわせを創り出す」ことができる花き園芸総合企業をめざしていきたいと考えます。 私は、四代目金岡又右衛門として、先人の熱き想いと築き上げてきた全てを受け継ぎ、この厳しい時代を「乗り越える」のではなく、素晴らしいパートナーたちと共に「創りかえる」気持ちで邁進してまいります。 そして、「世界の感動を日本に。日本の感性を世界へ。」をモットーに、自然や大地への尊厳の念を持ち、植物の「生(いきる)」 にこだわりながら歩んでいきたいと想います。

今日8月6日は広島平和記念日・原爆の日。
先月広島に行った際に案内されて観覧した原爆資料館の光景が頭に浮かんでくる。

写真で見ただけでも目を覆いたくなるような光景。実際に目の当たりにした方々にかけられるような慰めの言葉を見つけることができない、戦争を知らない子どもたちの一人であった私である。

祈念公園で慰霊碑に向かった際に、そこに刻まれていた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という言葉が胸に刺さっている。

過ち・・・核兵器、戦争がそうであろう。本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
しかし人類が犯した過ちはまだまだ他にもあると思える。

 

人間本位の開発などもそうであると言えるのではないだろうか・・・・・

文明・発展という名の大義名分のもとに繰り返されてきた開発による影響は、今の地球環境や社会現象として各地で顕著に表れている。それをよく知っているのは、実際に経験した先進国と言われている国々ではないだろうか。

にも関わらず新興国に同様の開発を促し、協力しているのを見かけることがある。
是非、日本はそのような国々と競い合うのではなく、まずはその国の文化・自然を守ることを優先するべきだと思う。そして自ら体感した社会問題を二度と繰り返さないようにしなければならないと強く思う。

 

また、毎年この時期には「平和祈念」という言葉をよく耳にするが、私は違和感とまではいかないけれど、少し考えさせられる言葉に感じる。

全ての生き物は必ず平和であって欲しいと思っているのではないだろうか?
それに異議を唱える者はおらず、みんなが同じ方向を見ているはずなので、すぐに実現できるように思う。しかしそれが実現できないのはなぜだろう。

個々がそれぞれに平和について自分都合の勝手な解釈をし、自分自身のみの安全や不自由ない生活のことを平和と思っているからではないだろうか?

 

平和とは全ての生きとし生けるものが等しく健やかに生きていき、天寿を全うできる世の中であると私は理解している。

平和は祈念しなければ実現できないものなのだろうか?互いが思いやりの心を持ってさえいれば実現できるのではないだろうか・・・・・

残念ながら75年前に戻ることはできない。
でも当時のことから目をそらさず向き合い、同じ過ちを繰り返さず万物に対し感謝の念を強く持ち、互いを思いやる心を持つことは、今日、今からでも可能であろう。

それこそが何よりも慰霊になるのではないだろうか・・・・・。

今日は、食品衛生責任者養成講習を受けるために大阪市内の会場へ向かった。

10時からの講習ではあったが、満員電車を避けるため車で向かうことにした。ただ市内ということもあり、駐車場代も結構かかるので安い駐車場を確保するため早めに出発。6時30分に到着できた。

受付開始までの3時間、近くの空いているカフェでデスクワークを黙々と行い、時間となったので会場へと向かった。

受付開始時間早々に行ったが、すでに多くの方が来られており私で59番目。ちょうど参加者の半分ぐらいであった。

何故、花き業界なのに食品衛生責任者の講習を受けるの?と多くの方が思われるかもしれないが、バラエングループでは清涼飲料水の製造もおこなっているからである。それに加え、食品と同じとまではいかなくても、花きの安全性についても今後はこのような厳格な基準を頭において従事しなければならないのではないかと思い、まずは私が講習を受けたのである。

会場では全員マスク着用で密を避けるための距離感を保ちながら、講習がスケジュールに則り進められていった。

10時からの開始とともに、昼食・休憩をはさんで案内を含めると17時頃までの約7時間の講習で、「食品衛生責任者制度とは」「衛生法規」「食品衛生学」「公衆衛生学」について学ぶことができた。

内容は私が主軸を置く花き業界としてはすぐに必要でないかもしれないが、食中毒や残留農薬をはじめいくつかの項目で役に立つことがあった。

私自身、海外の厳しい環境に身を置いて活動をしてきたが、その中でも知らずにとても危険な場面に遭遇していたことや、実際には食中毒にかかってしまっていたことなども気づかされた。今後の活動で大いに役立てることであり、現地の人にもアドバイスができるのではと思う。
またバラエングループでは、野菜・果物の生産にも取り組んでおり、野菜工場やエディブルフラワーなど、まさに食するものと密接に関わっているため、大変勉強になった。

休憩中以外は座りっぱなしの7時間。学生時代の授業では当たり前であったかもしれないが、今になってのこの時間は結構体力を要することになった。しなしながら今回の受講で得ることができたものはその何倍も価値あるものであった。

今後は、ここで学んだことを実践し、花き園芸の安心安全な取り組みにもつなげていくことができればと思っています。

食品衛生責任者 又右衛門、頑張ります!

今日は、同時代ギャラリーで開催中の「足元の地球と遊ぶ展覧会」に参加のため、京都へと向かった。

久しぶりの阪急電車、京都線特急に乗車。
小さい頃、地元の宝塚線は窓を背にして座るロングシート席のため、京都線の進行方向に向かって座れる二人掛けの座席に憧れをもっていたことを思いだす。そしてまるで子どもの頃のように景色を楽しんでいるうちにあっという間に京都へと到着した。

烏丸で地下鉄に乗り換え、京都市役所前駅に到着。囃子が流れる商店街に風情を感じる。

到着した展示会開催場所の同時代ギャラリーは、大変趣のあるビルである。

12時のオープンに先駆けて到着し、弊社のデザイナー 矢野TEA氏と合流。
各作品の紹介と説明を受けた。矢野TEA氏はご存知の方も多いかと思うが、チェルシーフラワーショウ最上位であるショウガーデン部門にて受賞歴がある日本を代表するガーデンデザイナーである。

そして彼は別の顔を持つ。それは自然環境学習プログラマー。BBCのキャスターなどはガーデンデザイン以上にその才能を認めるほど。著書も多数ある。
https://www.teas.design/

そして今回の展示会は、そこに重きを置いた作品とワークショップの開催である。

石や道草を使ったプログラム。とてもユニークな作品がいっぱいである。ちなみに販売もしていて、その価格はグラム売り。この売り方もとてもユニークである。

壁掛けの作品もあり楽しませてくれる。

そしてワークショップも大変好評であった。今後はこのようなワークショップを各地で行っていければと思う。

訪問者はアーティストやデザイナー、行政や美術館関係者、教育従事者と多彩である。
世界であまりにも著名な画家のお弟子さんが来ていたとのことで、本当に驚きである。
また、中には著名なデザイナーや街づくりを行ってきた方もいて、私たちの活動に賛同いただけ、これから一緒に色んなプログラムを行っていこうと意気投合。
お互いの得意なところを融合させて、更に魅力的なものとして、国内にとどまらず海外に向けて、より広く発信、伝播していくこととなった。
まだまだやらなければならないことはいっぱいだが、同じ意識と温度感をもつパートナーが加わり、共に歩むことができることは何よりも幸せである。きっと又右衛門だけの活動では足らなかったことを大いに助けてくれると期待している。

チーム「with the world」世界に向けて頑張っていきます。

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【足元の地球と遊ぶ展覧会】
ガーデンデザイナー・矢野 茶による展覧会です。
会場:京都市 同時代ギャラリー
会期:2020年7月21日(火)〜7月26日(日)
時間:12:00〜19:00(最終日は17:00迄)

広島市植物公園を出て市内中心部へと向かい、「ひろしま はなのわ 2020(第37回全国都市緑化ひろしまフェア)」会場近くに車を停めて、ミーティングの前にランチをとった。

肉感たっぷりのハンバーガー。最近慌ただしくマクドナルドにお世話になることが多かったが、久しぶりの本格的なバーガーもとても美味しくいただけた。

そして地元の方の案内で新しくなった広島平和記念資料館を観覧した。
以前のままであっても新しくなっても、様々な資料からその時のことが伝わってくる。当時の人の何万分の一の苦しみや悲しみも味わっていないであろうが、それでも全身で感じることができる。
これ以上のことは私の表現では伝えられないため、是非ご自身で感じてもらえればと思う。

建築者の想いであるかどうかは分からないが、資料館の展示の終わりの通路を渡る時には、私には、暗い先に見える光にむけて市民が一生懸命歩み現在まで来ることができたという風に感じ取れた。

また案内していただいた青木さんが一枚の写真を紹介してくれた。この花はカンナである。

後にも紹介するが、被爆後に語られたものに、「この地には75年間は草木も生えない」と言われた広島で、カンナが芽生え、多くの人に生きる力を与えたとのことであった。本当に植物のもつ力は無限大であると感じた。

慰霊碑にご挨拶をすることができました。

その先にある原爆ドームをあらためて見つめた。

そして、第37回緑化ひろしまフェア ひろしま はなのわ 2020会場へと向かい、まずは事務局を訪問。主要な方々とご挨拶をし、今回の取り組みや、今後の方向性をお聞かせいただけた。

その後メイン会場周辺を囲む「はなのわ」から順番に丁寧にご案内いただいた。

ひろしま風景ゾーンには広島県にあるユネスコ世界遺産や無形文化遺産、日本遺産や国名勝など世界に知られる文化や風土が植物を用いて再現されていた。

やまの景として、山間部の風景を再現したものや

広島にゆかりのあるイザナミ神を多肉植物で再現した迫力満点で美しい作品。
ここでは古田さんが深く関わり作庭をされていたので、コロナによって中々来ることができなかったが、何とか一緒に見ることができてとても嬉しく思えた。

その後は原爆が投下されてからの75年の歴史がつづられた「未来に向けた思い出年表」と名付けられたコンコース。ここは慰霊碑から記念公園~原爆ドームの延長線上である。

その入口には先ほどのカンナのことが書かれたものがあった。この言葉には実際の被爆にあったわけでもない私でさえも大きく勇気づけられることになった。

その延長線上には目立たないが平和の鐘があった。この鐘は被爆後に復興を信じてくず鉄を一生懸命集めて、皆の手で作り上げたとのことであった。くず鉄のため鐘の音はあまりよくなかったということであるが、その響きは恐らく天から地の万物の心に響いたことであろう。

普通に訪れただけでは、見落としてしまうような物を地元の方々に丁寧に案内してもらえたため多くのことを気づかされ、そして多くを学ぶことができた。本当に感謝である。

色んな行政の取り組みを見る機会があるが、特にこの広島の取り組みは、ストーリー性がしっかりあり、伝えたいことなどが明確である。そして日本だけでなく世界におけるHIROSHIMAの役割が発信されており素晴らしいと感じた。

本年でこのイベントは終わりになるが、これからが始まりであるという力強い言葉を聞くことができ、微力ながらこの又右衛門も喜んで協力をさせていただくお約束をして会場を後にした。
そして1日大変お世話になった古田さん、青木さんとお別れをした。

帰りの道では、しっかりとした虹がかかり、まるで私たちを労いながら、希望へと導いてくれているような感じがした。

この2日間、出逢い・再会があり、とても意義深い両日となった。

最後の平和の鐘の音は実際には聞いてはいないが、明らかに私の心の中で響いている。
そしてこの慰霊碑にある言葉をあらためて自らの心に刻み込みこれからも歩んでいこうと思う。そのような心にしみる2日間であった。

朝からブッフェで120%燃料を補給してから待ち合わせ場所に向かった。
以前より親交が深いオリーブカーキ古田さんに乗せていただき、道中、設計などでご活躍の青木さんと合流し、一緒に広島市植物公園へ。

再会を喜び合いながら色んな話をしているうちに広島市植物公園に到着。まずは公園関係者の方にご挨拶し、3年前オーストラリアからここに来てくれたバオバブ「バオーン(バオバブの愛称)」に再会できた。

ここのバオバブは大規模な開発によって行き場を失ってしまうバオバブを地元のパートナー ジョーの協力を得て、11000km離れたこの地に移植することができたのである。

この写真に写っている植物園メンバーには、一緒に現地に入ってその状況をしっかり目に焼き付けてもらったこともあり、現在のバオバブの管理に大いに役立ててくれている。

今年は雨が多く日照時間が少なく、気温が低めであるのもあり、葉は茂ってこそいないが、しっかりと新葉を展開させてくれていた。

移植後は日本一のバオバブということでテレビや多くの報道から注目され、「バオーン」という愛称もつけてもらうなど地元の皆さんにもとても可愛がっていただけている。
先日、広島を訪れタクシーに乗った際には運転手さんから、「広島に来たなら日本一のバオバブが来てくれたから植物園に見に行った方がいいよ」とお声掛けいただいたこともあるぐらいである。
また、「生きている間に実際にバオバブの樹を見れると思ってなかった」と涙を浮かべて話すお年寄りの言葉を聞くと、この日本一のバオバブはその大きさというより、日本一愛してもらっているバオバブであると確信ができた。

この他にも大温室ではボトルツリー、グラスツリー、マクロザミアムーレイなど多くの植物たちが全て元気に暮らしていてくれていて再会できたことがとても嬉しかった。

その他にもフクシア(ホクシャ)が美しい。貴婦人の耳飾りと言われるだけのことがある。何とも魅力的な発色である。

ユニークな形、特性など見れば見るほど興味が湧いてきて、吸い込まれそうになる。

少し気を許すとこんなことにもなりかねないので要注意である。

他にもバラ園などもあり、限られた時間の中であったが、関係者の皆さんと以前を振り返りながら今後について話をすることができた。とても素敵な時間を過ごすことができ、再訪を約束して後ろ髪を引かれる思いでこの地を後にした。

少し長くなったので昼からのことは次回にて書かせていただきます。では今日はこの辺で。

今日は、二つの用事があり朝一番から淡路島へと向かった。

連休前ということもあり渋滞もなく約1時間で淡路島へ上陸。
随分前の話になるが、明石大橋ができるまでは、タコフェリーで上陸して産地を周っていた。面倒ではあったがその頃が懐かしくも感じる。
今は数分で渡れるので、行き来しやすく本当に便利になった。

午前中は兵庫県立淡路景観園芸学校を訪問。しばらくぶりに豊田先生と再会することができた。
豊田先生は植物のもつ力について研究をされていて、人の健康に与える効果などを発表されている。いずれもイラストなどを用い、とてもわかりやすく表現されている。

豊田先生とは、昨年名古屋でお会いした時以来で再会を楽しみしていた。約1時間の面談では多くのことを共感することができ、引き続き植物の力でより良い環境づくりをめざすことはもちろんのこと、同じ兵庫県にベースを置く者として協力し合って活動していくことをお約束いただけた。

比較的感性や想いで動くことが多い私なので、豊田先生のような研究者に助けていただけることは本当に心強く感じている。先生のお力もお借りしながら、「みどりの力」をより広く積極的に伝えていければと思う。

午後からは、来年度のイベントの現地調査を行った。内容についてはまた後日公式発表されると思うので乞うご期待である。

打ち合わせを終えた後、次の目的地である広島へと車を走らせた。

有料道路、高速を乗り継ぎながらひた走る。その間出会う車はほとんどがトラック。
コロナの影響であろう乗用車は少なく、観光バスなどは1台も走っていなかった。いろんなことを考えさせられながら約4時間で広島に到着することができた。

ホテルに到着後、夕食をとるため外出すると近くにレトロ感いっぱいの横丁を発見。
とても良い感じであったのでここで食事をしたいなと思ったが、少し密であり、県外からの来客で気を遣わせてはいけないと思い自重し、広々としたお店へと向かった。

お店の人にすすめられて食べた「がんす」。魚のすり身を揚げたもので、40数年前に給食でいただいたような味に懐かしさを感じながら、素敵なディナーを楽しませてもらった。
明日は1日広島での活動。楽しみである。

緊急事態宣言などもあり、しばらく行くことができなかった東北へ行くこととなった。

18日。いつものように伊丹空港からの出発。1時間少々で仙台空港に到着し、そのままレンタカーに乗り込んだ。約120km離れている目的地、サッカーの聖地とも呼ばれ、私がアンバサダーをつとめている福島Jヴィレッジへと直行。常磐道を2時間少々、打ち合わせの時間ちょうどに現地に到着することができた。

まずは新任として赴任された方にご挨拶をし、アンバサダーとしての活動報告を行った。

 

そして今後の取り組みや、延期となった聖火の出発式の話などをした後に、植栽しているオリーブのチェックを行った。全てのオリーブが順調に育っており、中には実をつけている樹もあり一安心。

その後、施設とグランドを周り、一通りの任務を終えて、来た道を折り返し仙台へと向かった。

夕方にはホテルにチェックインすることができ、少しデスクワークを行った後に、業界団体の正副会議に出席した。

正副会議では、これからの協会のあり方や、次代の担い手が学び、活動しやすい会にしなければならないことで合致した。とても意義深い会議となり、その後の国際交流の機会でも話は尽きず、ようやく深夜にそれぞれがホテルへと戻ることになった。

 

そして今日は、朝から市内視察を行い、午後は仙台で活躍される泉緑化 鎌田代表とのミーティングへと向かった。

鎌田さんは、とうほくラン展に関わられていた時に講演に招いていただいたり、2016年のチェルシーフラワーショー出展の際に多大な協力をいただいたりした方で、非常に植物に詳しく、土づくりにも力を入れられている素敵な方である。

 

しばらく事務所でお話をした後に、別事業として運営管理しておられる「泉ボタニカルガーデン」に連れて行っていただいた。

 

山あいの10haの広大な土地に様々な木々や草花が植えられ、自然とうまく調和がとれていて素敵なところである。

 

アジサイが終盤を迎えていたが、少し前に降った霧雨がアジサイに素敵な化粧をして、野の風景をさらに魅力的にしてくれていた。

また、素敵な草花、エビネランやギボウシなども顔をのぞかせており、四季を通じて楽しませてくれるであろう。

さらに自社運営のカフェもあり、美味しいコーヒーを飲ませていただくことができた。

あまりにも素敵な空気の中だったのでブログのために写真を撮ることも忘れており、飲みかけの写真で申し訳ないがアップさせていただきます。

他にも素敵な植物や小屋などもあり、どこもとても居心地が良く、ほとんど眠れていない昨晩の疲れも忘れるぐらいにリフレッシュすることができた。

そして本当であればもう少しゆっくりしたかったが、帰りの飛行機の時間が迫っていたので切り上げて帰路へとついた。

 

バタバタでの東北ではあったが、新しい出逢い、再会もあり意義深い2日間となった。帰りの機内からも素敵な青空も見ることができた。引き続き視界は良好である!