四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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今回タイに行ったのはもちろん仕事であるが、同行の岩本社長と一緒に活動していると、ある一つのことが思いだされる。
それはGTSである。
GTSとはGlobal Training Schoolの略称であり、国際協力活動において、参加者が様々な学びを得るという青年会議所の活動の一つである。この活動は青年会議所の中でも、普段積極的に活動しているメンバーからの参加が多く、それら能動的な人の参加希望者によって成り立っている事業である。
私の所属していた大阪青年会議所は2000人以上のメンバー数を有する巨大な青年会議所で、世界一の規模である。大阪青年会議所は、入会時に1年間は会員開発委員会所属の新人会員として活動し、その後、その活動内容によって正会員として認められ、2年目から様々な委員会に配属されるのである。ある意味、新人会員は会社でいえば試用期間の研修メンバーのようなものである。
私は15年前の2001年に大阪青年会議所に約150人の同期メンバーとともに入会をした。その入会時に所属する会員開発委員会の委員長が、岩本氏であり、私がその時の世間知らずの新人会員であったのである。簡単に言えば新人1年間の親代わりといえる存在である。
そんな私が入会して、いきなり多くの先輩たちに、口説かれ岩本先輩にも一緒に参加しようとお声掛けいただき、意味も分からず参加した事業が、GTSであり、当時150人近くの新人の約10%の参加者の一人であった。前置きが長くなったが、そのGTSの開催地がタイであったのである。と言うわけで、岩本先輩とタイを訪れると、真っ先に当時のことが思いだされる。
その時のGTSの活動は、タイの中でも、特に厳しい生活を余儀なくされている地域での国際協力で、孤児院での活動であった。その内容は初めに参加者一人に孤児一人がペアになり、言葉の通じないなかでも、コミュニケーションをとりながら、孤児たちと学ぶための施設づくりや、水道のない地区での井戸掘りなどを通じて、孤児たちとの直接触れ合い、そこで様々な学びを得るものである。
そして私とペアになったのは12歳の女の子であった。私は彼女と何かにつけて一緒に活動をしたのだが、私のコミュニケーション能力のなさから、全然私に心を許してくれなかった。一緒の参加者の中には、ぎゅっと手をつないでいるペアもいる。中にはどこかに行ってしまった孤児もいたようである。私とペアの女の子は、逃げては行かないまでも、距離感をもってしか活動をしてくれなかった。
そして、数日間の孤児たちと一緒に過ごす最後のイベントは運動会であった。彼女とは依然コミュニケーションはうまく取れず、逃げないながらも距離感をもって、着かず離れずにいた。当然笑顔などかけらも見ることが出来なかった。私は少し途方に暮れてしまい、何もできることは思い浮かばずにいた。時には私に問題はなく彼女が問題だと思うことすらあった。あとから思うと、きっとその浅はかな私の心の隙を彼女は見透かしていたのだと思う。
最後のプログラムは二人三脚であった。無心になって彼女の手をつないでの二人三脚であった。その時の気温は約40℃。日本の参加者には倒れるものもいた。そんな中でも彼女と一生懸命走り抜き完走することができた。その時彼女はいつもより、ほんの少しだけ私の手を長く握ってくれたのである。そして初めて彼女の口元は緩んだような気がしたが、それまでの表情や他の孤児と比べると、私に心を許したとは全く思えるようなものではなかった。
そして運動会を終え、全てのイベントが終了し、孤児は帰宅し、参加者は荷物をまとめ、帰国のためのバスに乗り込んだ。そのような中、多くの孤児は、出発直前のバスまで近づき、参加者を見送りに来ていた。その表情のほとんどが笑顔であった。
ひょっとして私のパートナーである彼女も来ているのではと厚かましくも思ったり、来るはずないよなと妙に納得したりの時間を繰り返し、とうとう出発の時間となったが、やはり多くの人ごみの中に、彼女の姿はなかった。
そしてバスが動き出し、ゆっくり村を離れようとしたときに、みんなの離れたところに、ポツンとたたずむ彼女の姿はあった。
その時の表情は今でも記憶に残っている。彼女の表情は決して笑顔ではなかった。そこにあったのは、ほぼ無表情の中に、涙を浮かべ、少しだけ口元の緩んだ彼女の表情であった。そしてじっと私を見つめ、動く私の顔を追いかけていた。
彼女はその表情だけでは、何を言いたかったのかはわからない。でも私は彼女から大きなものをいただき、大切なものを芽生えさせてくれたような気がする。
そしてその時に抱いた気持ちは、今でも私の中でしっかりと息づいている。そんな貴重な体験を通じ、私の生き方に大きな影響を与えてくれたのが、青年会議所活動であり、GTSであったと言っても全く過言でないと思う。
その後数年間、岩本先輩とは別の委員会に所属しながら、一緒に青年会議所活動を行い、多くの経験をお互いに積ませていただいた。そしてお互い青年会議所を卒業し、それぞれ社会で活動をしながら15年経った今、あらためて一緒にこのタイの国を訪れたときに、岩本先輩の中でも、このGTSでの活動が確実に息づいていると感じる出来事があった。
岩本先輩は当時のGTSでお世話になった現地の通訳の人を、メンバーに加えて、15年経った今、一緒に活動している。それだけではない。現在も恵まれない人たちのいる場所を訪れ、彼の独特の手法で一人ひとりに愛を伝えている。病に苦しむ人に手を携え、涙を流しながら人助けをしている。普段の厳しさとは違う、そんな一生懸命な一面を見た時、先輩の体の中にもGTSで培ったものがあり、さらにそれが何倍にも拡大し、その結果として、今のスケールの大きなビジネスにつながっているのだというのが実感することができた。
10年以上の月日が経った今でも、それぞれの心の中に、しっかりと心に息づいているGTSでの様々な出逢いに感謝するとともに、かなり強引にでも私の手をひき、私を無理矢理GTSに参加させてくれた先輩方々に心から感謝したいと思う。
そんなこんなの心のスーツケースにしまい込んでいた大切な何かを呼び起こしてくれる意味深いタイ訪問になった。
意味のわかりにくい長文、乱文にお付き合いいただきありがとうございました。そのままアップする失礼をお許しくださいませ。