四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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今日、伊丹空港から成田を経由してシンガポールに向けて出国した。
私はいつもよりでバタバタしての出国の朝を迎えた。
と言うのは一昨日8月28日の朝 義父が他界したのである。享年78歳。
長らく病と闘いながら、本当によく頑張られ立派にその生涯を終えられた。
私はこの訃報を受けて、29日 お別れとお通夜に出席のために石川へと車を飛ばし、
実家で先に駆け付けている親戚のみなさんと再会をした。
そこにはほっそりとした現役バリバリで仕事をしていたころからは、想像できないような義父が、安らかに眠りについていた。
そして、枕元でお礼と亡き義父の話などをさせていただき、納棺のお手伝いをさせていただいた後、葬儀場へと移動、お通夜に参列し、お葬式には参列せずに、私だけそのまま宝塚へと帰り、仮眠後、シンガポールへ向けての準備を行い、時間通りに出国した。
本来であれば、渡航を再検討し、近い親族として、金岡家代表として、お葬式に参列するべきであったのかもしれない。でも私には、その迷いは生じなかった。
それは義父に初めて会った時に、交わしたたった少しの会話とその表情が私に焼き付いていたからである。
その時の少ない会話は、
義父:「趣味は何だ?」
私 :「仕事です。」
義父:「日本一になれるか?」
私 :「はい。なります。」
私は、何の根拠もなく、実績もそんな力も何もないのにも関わらず、そう答えた。
今更ながら私は何て厚かましい、身の程知らずの奴である。
でもしかし、その時、厳しい面持ちの義父は、うっすらと笑みを浮かべたことをおぼえている。
正直日本一何て程遠い。でも亡き義父との約束、実父からの教え、ご先祖さまから与えられた使命を果たすため、少しでもそこに近づいていくために、四代目 又右衛門は、今日も行ってきます。
最後にあらためて、離れた地から、亡き義父の冥福を祈るとともに、今までお世話になった皆様、温かいお言葉をかけていただいた皆様に、心より感謝を申し上げます。