四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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今朝起きると、シリアでのことが報道されていた。
私は色んな想いから、今回のことを目に焼き付けるためにもネットで公開されている画像を見ることにした。その様子は予想ができなかったこともないかもしれないが、目を疑うような信じられない光景や姿が飛び込んできた。
本当に無念な結果になってしまった。直接面識のない私ですら、涙がこみあげ、憤りとやりきれない無念さを感じるのだから、ご家族の近々しい方々の悲しみはいかばかりかと思う。
今回のことで、私のような者が口を開くことは、後藤さんや多くの人に失礼なことかもしれないが、私なりに感じたことを・・・。
今回、ありえないような残虐な事件を起こした彼らには、言葉で表しきれない怒りを感じてやまないのは当然だが、それとは別なことが私の頭の中を交差する。
それは決して彼らを擁護する意味ではないのだが、彼らも生まれた時から、このような残虐な心をもった人間ではなかったはず。
とするならば、彼らのようなものを生み出してしまったのも、私たちが創り上げてきた今の社会ではないだろうか?
私たちは、
自分にとって、必要でない虫を、害虫といって殺してしまう。
自分にとって、必要でない草を雑草といって、抜き去ってしまう。
生きていくために必要な動物は、捕まえて食べてしまう。
珍しいものや、可愛い動物たちは、勝手に捕まえ価格をつけて売買している。
人にすり寄ってくる犬や猫たちはわが子の様に可愛がり、自然の中で自分たちだけで暮らしている動物たちの家や家族を開拓ということを大義名分して奪い続けている。
このように、私たちは、あくまでも人の視点で物事を考え、文明という名のもとに、自分都合で多くの自然や命を奪ってきた。私もその一人かもしれない。
それらのことが、昨今の水害や土砂崩れなどの多くの災害を引き起こし、また社会現象を生み出すことにつながっているかもしれない。
そして今回このような残虐性を持った彼らが、今世の社会に出てくることになってしまったのも、これらと因果関係が全くないとは言い切れないと思う。
自分にとって必要でないものは排除し、必要なものは自分の手中に収め、その生命を自由にしてきた社会の中で、育ってきた人が、何かのきっかけで、愛という大事な箍が外れ、そのことによって道徳心を失った人たちが、今、暴走し始めているのではないだろうかと思う。
さらに私たち文明が創り出したインターネットによって、世界中にその悲しみをまき散らしている。
何と皮肉なことであろう・・・。
これもまた人類が生み出したとても大きな負の産物ではないだろうか・・・
私にはこれらが、天からの警告に感じる。
かと言って今更過去に戻ることはできない。
であるならば、せめて慈しむ心をもって、日々をきちんと生きていかなければならないと思う。
私は、今回のことを通じ、今一度、しっかり自分を見つめ直し、活動して行かなければならないということを強く感じた。
見ず知らずの私に、後藤さんが残してくれたこと・・・
ただただご冥福をお祈りいたします。
何故?どうしてこのようなことが起きてしまったのであろうか?