四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

2025.03.14

又右衛門。第2の故郷 岐阜へ。前編

先週初めの兵庫県フラワーセンターに刺激を受け、週中には宮崎からのお客様との打ち合わせ。そして木曜日からは岐阜へと向かった。

 

今回の岐阜の訪問先は、セントラルローズさんと、河本バラ園さん。そして岐阜県立国際園芸アカデミーの予定である。

まず朝一番に宝塚を出発。途中栗東にて用事を済ませて、お昼前にミニバラ栽培では著名なセントラルローズさんに到着した。

セントラルローズさんは、ヨーロッパの最新の栽培法をいち早く取り入れた革新的なバラ栽培の先駆者であり、広大な施設で栽培し全国に供給している。日本を代表するミニバラの生産者である。

この事業を創業した大西さんは、以前から日本フラワーマーケティング協会で一緒に活動をさせていただいたり、バラ生産つながりということもあったりで随分前から懇意にしていただけている先輩である。

そして今回の訪問は、現在の流通などに関することと、バラエングループが取り組んでいる資材について意見をいただきたくのが主たる目的であった。

まずは到着し、しばし歓談の後にハウス内を見学させていただくことにした。施設を訪問するのは2度目になるが、相変わらずの大規模かつ機能性高い施設での栽培には驚かされる。

まるで大規模工場で工業製品のようにミニバラを栽培しているように感じる。近年路地を中心に費用を抑えながら生産事業を始めた私たちにからすると、この機能的な施設や栽培法は、真似のしようもなく、凄いと言うしかない。あらためてバラ生産をこのような大規模生産体制にしてきた大西さんには感服する。

そしてお昼ご飯を頂きながら、生産や流通、業界の方向性など意見交換をしっかり行うことができ、多くの学びや情報をいただくことができた。そして食事の後、私の祖父金岡喜蔵(2代目 金岡又右衛門)の第2の故郷とも言える揖斐郡大野町へと同行いただいた。


なぜ第2の故郷かと言うと、金岡喜蔵は宝塚でのバラ生産を、岐阜県揖斐郡大野町と山梨県笛吹市に移し、その地で住居を構えて活動をしていたからである。そして同行いただいた大西さんからも岐阜の同地区にバラ生産を持ち込み、現在日本を代表するバラ生産地となるきっかけづくりとなったと教えられた。そしてその活動を始めるにあたり、一緒に取り組んでいただいたのが、河本バラ園さんとのことであった。河本さんは、現在もバラの育種や苗生産を手掛けられる日本を代表する存在である。

そして昨年当時一緒に活動をされていた河本弘元様がご逝去と大西さんから教えていただき、今回私を河本さんまでお連れ頂いたのである。本来であれば昨年にでも駆けつけるべきであったかもしれないが、海外などで訪問することができず今日となったのである。そして現在の代表である茂樹さま、2代目育種家である麻記子さまにご挨拶もさせていただくことができ、短いながらもとても大切な時間を過ごさせていただいた。

大変お忙しい時間にアポなしで訪れたにも関わらず、親切に対応いただいた河本さんには感謝である。そして河本さんを後にするときには、祖父2代目金岡又右衛門が毎日見ていただろう山々が目に入り、そしてその先には私には珍しい青空が広がっていた。きっと祖父が喜んでくれているのであろうと思えると同時に、同じ地の空気を吸うことができ、心が満たされたような気がした。

その後、大西さんに岐阜でも活動する開花園さんにお連れ頂き、情報交換などをさせていただくことになった。そこでの内容については今回控えさせていただくが、今後何かの繋がりになっていけばと思っている。そうこうしているうちに気がついた時には夕方になったので移動をすることにした。

 

今回、祖父やバラ繋がりとは言え、半日というとても長い時間を割いて、私のお相手いただいた大西様には本当に感謝である。おかげでとても大切な時間を過ごさせていただくことができました。そして再会を約束して、この地を後にし、私は再び一人で宿泊地である可児市へと向かった。可児市のホテルに着いた時には、すっかり陽も落ち暗くなったので、近くの飲食店で簡単に一人ご飯を食べて、その後部屋にこもって明日の会議の準備を行うことにした。さて明日は、岐阜2日目。明日も良い日になりますように。