四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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仙台での一日を過ごし、朝からレンタカーで福島へと向かった。
コンビニで買ったコーヒーをこぼさないように飲みながら目的地をめざしていた。
都会の高速とは違って山を縫うように走る。渋滞することもなく快適である。
遠くに蔵王や、まるで天使の輪を被ったような山が見え、大自然を感じながらひた走る。
途中携帯にメッセージが入ったようで、休憩もかねてパーキングエリアに立ち寄り確認すると、以前お世話になったすし処「やすけ」の大将からの連絡であった。実は今回の訪問目的には入っていなかったのだが、お声掛けいただいたのが嬉しいのと、一人で食事も寂しい事もあり少し予定を変更して田村市船引駅前のお店へと急行した。
駐車場に車を停めるや否や、お店から大きく手を振って歓迎していただけとてもHappyな気分になる。
早速ランチの注文をし、待つ間大将と奥さんと、思い出やしばらく会っていなかった間のことをお互い懐かしく、同窓会のように話した。
しばらくすると、少しわがままを言って特別に作っていただいた組み合わせの定食が目の前に。
何が少し特別かというとヒレカツとネギトロ丼定食のどちらを食べようか迷って、ご飯をミニネギトロ丼にしていただいたのである。
どうしてネギトロ丼かというと、ここのお店は福島の山に囲まれた場所にあるにも関わらず、魚が新鮮でとてもおいしいのを知っているので、カツ好きの私には選択しきれなかったのである。
そしてメインのヒレカツもこのボリュームである。おまけにとても柔らかく本当に美味しい。さらに大将や女将さんとの楽しい会話が絶好の付け合わせになり、すぐさま身も心も満腹になった。
本当はゆっくりお話をしたかったが、次の予定が迫っているため、食事をいただくと、店舗の壁にとお願いされサインを書き、後ろ髪を引かれる思いでお店を後にした。
駐車場から出ていく私に大きく手を振り、見えなくなるまで見送っていただき、とても温かい気持ちになり、またすぐ訪れたいと恋人と別れる時のような気分になった。
そしてそこから約1時間、なだらかなカーブを心地よく運転しながら、川内村に到着した。
ここは幾度か書いているかと思うが、タイ国内に2000店舗以上展開するコーヒーチェーンCafé Amazonである。そして日本で展開しているのが青年会議所の先輩である岩本代表であり、ここが日本の第一号店である。そのご縁でここの植栽をさせていただいた。
隈研吾建築都市設計事務所の木ぐみと植物がうまく調和しながらこの地に馴染んでくれている。
少し急勾配の築山にして植栽したオリーブ。冬にはマイナス15度にもなるこの地でオリーブは無理だとも言われたが、しっかり独自の土壌設計や対策で、植え込み後に幾度か訪れた極寒にも耐えて元気にしてくれていた。また隣に植えたロストラータ ブルー・スワンも生き生きしてくれていた。
しばらく植栽のチェックを行い、お気に入りのタイティ―を持ち、再び来た道を戻るように当初からの予定地へと向かった。
右に左に揺られながら自然の中を気持ちよく走り、約2時間で猪苗代に。少し道に迷いながら、目的地「ボナリの森」へと到着した。
少し早めについたので部屋でデスクワークを行い、その後、1992年(社)日本青年会議所によって設立され、私も理事をつとめている「NPO法人 国境なき奉仕団」の会議の会場へと向かった。国境なき奉仕団とは政府と連携したNPOとして、援助を必要としている人たちに人的・物質的貢献を行うと共に、人類愛による奉仕の精神を育成するために、設立された団体である。
その会議には理事長であり、とてもお世話になっている松山政司先輩や歴代会頭、そして現役の本年度会頭と次年度まで参加し、とても豪華というか凄いメンバーで行われ、とても有意義であり中身の濃い時間となった。
翌日は朝ごはんをいただき、この素敵な施設を経営されている先輩に見送られ、全国から集まったメンバーにお別れをして次の目的地へと向かった。
昨日走った道を再びなぞるかのように海側へと向かって行った。そして給油をし約2時間で私がアンバサダーをつとめているサッカーの聖地であり、先日、来年の聖火ランナーの出発と決まったばかりのJヴィレッジへと到着した。
Jヴィレッジでも植栽されたオリーブのチェック。元気にこの土地に馴染んでくれている。
今年は実もつけてくれていたのがうれしい。
そしてアンバサダーとしての報告とチェックを行い、施設内を巡回。
広々とした施設に時折選手たちの声が良く響く。まだまだ歓声が響くまでには程遠いが、一歩ずつ前に進んでいることが実感でき勇気をもらえる。
敷地内の桜の木の植樹には、先ほどまで一緒にいた日本青年会議所第64代会頭 鈴木先輩の名が刻まれ青年会議所活動の痕跡を見ることができ、とても嬉しく思えた。
その後またひたすら車を走らせ仙台空港に到着。無事に予定通りの時間に帰阪することができた。
今回仙台、福島で人や植物との出逢い、再会が多くあった。しかし楽しいばかりではない。このコロナ禍において今まで同様に活動できない状況になっていることがいっぱいである。
互いに夢を見て、長年一緒に歩んできたパートナーとも今後についての話をせざるを得ない状況もあり長く話し込んだ。厳しい現実に悔しさも感じるが、今ここで全てが終わったわけではない。残された最後となるかもしれないチャンスに全てをぶつけるつもりで向かっていきたいと思う。
最終コーナーを悔いのないように・・・。握ったバトンを渡すために・・・