四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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2日から2泊3日で東北方面への出張である。
今回は家を出る間際に、車のカギをどこにやったかわからなくなってしまいスペアキーを使っての出発となった。
空港近くの格安駐車場に車を停めて空港に向かおうとしたのだが、何故かスペアキーではロックができず、整備屋さんに電話で状況を説明した後、不用心ではあるが施錠しないままでかけることになってしまった。
そのような少し不安な出発であったが、飛行機は無事に仙台空港に着陸。そのまますぐにレンタカーを借りて、初日の目的地である雄勝へと向かった。
空港から約2時間で雄勝に到着。石組みで仕上げられたガーデンが素敵である。
今この景色だけ見ると、どこが被災したのかと思うほどではあるが、震災当時は写真の電柱上部、電線ぐらいまで海水が到達したということである。そのことを聞いて、惨事の凄さを実際に感じることになった。
震災後、石巻市雄勝町を復興するために“花と緑の力で”を合言葉に市民が立ち上げた復興プロジェクトが「雄勝花物語」であり、こちらの徳水ご夫妻や鎌田さんをはじめ多くの方々が力を合わせ、ガーデンを作ってきた。そして現在はこの地に移転させ「一般社団法人 雄勝花物語」として活動をされているのである。
写真に映っているのが雄勝ローズファクトリーガーデンの徳水利枝さんと泉緑化の鎌田社長である。
そして、現在はバラや草花に彩られたガーデンをはじめオリーブ畑も併設し、様々な植物が居心地よさそうにしている。このオリーブ園には約130本が植えられていて日本の北限であるとのこと。どのオリーブもしっかり管理されて生き生きとしていた。
何故私が訪れるようになったかというと、数年前開催された「とうほく蘭展」に出展した時に持ち込んでいた100年オリーブを、泉緑化の鎌田社長から「復興の地のシンボルツリーに是非」と申し出があり、寄贈させていただいたことからご縁が始まったからである。
今ではしっかり根を下ろし、実もつけるほど健やかに成長をしてくれていて、みんなからとても愛され、大事にしてもらえているのが伝わってきて、私の方も素敵な気持ちになれた。
現在はコロナ禍によってボランティアの方々も参加しづらくなってはいるが、このガーデンのために、のべ10,000人以上の人びとが活動に参加し、手作りでこのような施設にまでもってきたのである。本当に素晴らしい活動であり、その背景には文字にはできないぐらいの大変な努力があったのであろうと察することができた。
今では多くの取材があるほどになり、まだまだこれから拡張していくとのことである。とても楽しみである。
当時は蘭展の後、オリーブをひとりぼっちで東北の地に残していくことに、正直少し寂しさを感じていたが、今では多くの仲間とともに元気に過ごしているオリーブの姿を見ると、とても嬉しく感じた。
さらにしばらくの間、腰を降ろして、色々なお話を聞かせていただけたことで、様々なことを感じ取ることができた。これもオリーブが授けてくれた素敵なご縁である。
復興の地に、オリーブと薔薇。まさに又右衛門にとっても意味深い地であると感じるとともに、微力ながら引き続きお手伝いをできればと思いながら、この素敵な地を後にした。
ほど近いところには、真新しい施設ができていた。そしてその前には震災があったとは信じられないような静かな海が拡がっていた。
しばらくこの海を観ながら、当時の報道による悲惨な状況を重ね合わせてみようとしたが合わせきれない。何故あのような惨事があったのか?もちろん自然災害であったのだが、それだけでは割り切れないものを感じる。まだまだ私の力などでは何とも解決ができず、ただただ同じことが起きないことを祈るしかできないが、将来いつか何か一つでもこのようなことが起こらないような解決策を見つけていきたいと思いながら次の目的地である仙台市内へと向かった。
仙台市内では昔からのパートナーとの入念な打ち合わせを夜中まで行い、今後について前向きに話し合った。十数年来の活動を振り返ると同時に、それぞれが危機感と使命感の両方をしっかり持ちながら前を向いて進んでいくことを確認し、もうすぐやって来るであろう互いの岐路をどのようにして迎えるかを遅くまで語り合った。
そして私は少し気になる餃子を横目にホテルにもどり、様々な準備を行い朝方ベッドに横たわった。たった1日であったが色んなことが多くありとても長く深く感じる一日となった。