四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

2020.01.18

国境なき奉仕団 in 京都会議

NPO法人 BRA-国境なき奉仕団の集まりのため京都へと向かった。
17日夕方、運よく無料駐車場が空いていたので無事に車を停めることができ、安心してホテルにチェックインすることができた。ホテルの近辺の駐車場は1日最大料金2,500円ぐらいするから、かなりお得な感じがする。

さらに驚くべきは、優秀なスタッフが予約してくれたホテルの宿泊代が格安で、駐車料金を有料と考えたら宿泊代はこちらが心配になるくらいの親切価格と考えられる。かといってホテルの質が悪いわけでもなく部屋はきれいである。欲を言えば、扉がオートロックの方がいいかもとは思う。というのも私は幾度か鍵を忘れたことがあるからである。
実際にこの夜も鍵をかけ忘れて、外出してしまった。ただ私の場合は、オートロックで何度も鍵を閉じ込めているので、どっちにしても問題を起こすのだが・・・・・

夜、国境なき奉仕団メンバーとの懇親会で全国のメンバーと再会。談笑であふれる楽しい食事をいただき、その後ホテルに戻り、遅くにベッドに横たわることにした。

翌朝は地下鉄で国立京都国際会館へと向かった。駅を降りるとメンバーと合流。

1年ぶりに会うメンバーと語り合いながら歩いて約十数分で会場へと到着した。

京都会議にくると、15年前までの青年会議所現役時代に幾度か足を運んだことを思い出す。
新人として訳が分からないままに緊張していた頃、幹事として理事長のセクレタリーをして、汗かきながら走り回っていた頃、理事としての志のもと参加した頃。どれもが懐かしい。
ただ思い出ばかりではない。
今の私を形成するにあたって、大きな学びを与えてくれたのがこれらの時期であったことは間違いないと言える。

そしてビデオが流れる通路をくぐり、会議室へと入った。会議室にはすでに先輩方がお越しになられていて1年ぶりにご挨拶をすることができた。

所定の席に着座すると理事会資料がUSBで配布される。この会議でもペーパーレスを推進しているため、出席者の多くはWi-Fiを繋ぎ、PCかタブレット、スマホなどで会議を進めていく。

準備が整うと、NPO法人BRA-国境なき奉仕団 2020年度 第一回 理事会が開催された。(ちなみにBRAとはThe Borderless Relief Association of JAPAN からきている)
そして議事録署名人に指名いただいた。今年になって社団法人の理事会が2度開催されたがどちらも議事録署名人である。今年は当たり年の予感・・・(笑)

そして本年度、日本青年会議所 会頭、副会頭が会場に来てくださった。正副両名が来ることは異例かもしれないが両名とも国境なき奉仕団委員会に関わられたのでお越しいただけたのであろう。両名とも理事全員と元気に挨拶と握手を交わし退室していかれた。

私は握手の際に、Jヴィレッジに深く関わっていることを告げると、会頭の地元でもあるので、驚いたように嬉しそうな顔をしてくれていた。彼らは今までにないぐらい今年一年は忙しいであろう。是非とも体に気を付けて走り抜いてくれることを願っている。

そして議事はアジェンダに沿って進み定刻に終了。休憩をはさんで総会が開催され、こちらも定刻に終えることができた。その後、メンバーは解散。私は次の目的地に向かうため、伊丹空港をめざした。

伊丹空港にギリギリ滑り込み、そのまま搭乗。これまた定刻に出発することができた。

飛行機の窓からは神戸~芦屋~西宮~伊丹~宝塚の街が一望でき17日の震災が頭に浮かぶ。

もちろん悲しい辛い思いは消えることはない。しかし窓からの景色を見ると、逆境の中からしっかり立ち直った街が見え、むしろさらなる勇気を奮い立たせていただいたように思う。

そして飛行機は約1時間で仙台空港に到着。仙台は少し肌寒く、冬を感じることができた。そこからレンタカーを走らせ、ホテルに到着。ホテル周辺を冷たい風に頬をたたかれながら、少し歩いてみることにした。

少し歩くとお腹もすいたので、体のためにも土地の料理を少しいただいた。これは「ホヤのから揚げ」である。しっかりした食感で結構気に入った。
ただ、一人では時間を持て余す私は、さっと食べてホテルに戻り、このブログを書いている。

今日もバタバタの1日であった。
明日は最終目的地をめざすために早朝に起きなければ。居眠り運転をしないように、日付が変わらない間にPCを閉じるようにする。ではではまた明日。