四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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昨日は思いがけないほど、移動に時間がかかってしまい、深夜に就寝。朝4時起床のため仮眠だけでホテルを出発することになった。
朝、パートナーの車で、ドンムアン空港へ向かう。途中アクシデントがあったが、何とかギリギリチェックインをして手荷物検査場へ向かった。
検査に手間取り、時間を要してしまい、出発ギリギリになって搭乗口へと向かったところ、乗る予定であったAirAsiaの係員はすでに搭乗を締め切ったとのこと。まだ目の前に飛行機があるのにお願いしても無理とのこと。これ以上言っても仕方ないので、一旦外に出て、次に一番早い飛行機を探して、チケットを買い直すことになった。国内線で出発定刻の10分前であったので間に合うと思っていたのが甘かった。ただ日本のようにチェックイン時に係員からの一言があればと思ってしまったが、ぎりぎりになってしまったことに原因があるので深く反省である。しかしドンムアン空港は国内線でも出発の30分前が搭乗時間とのことなので、皆さんも要注意である。
次の飛行機で一番早いのがNOK Airであったのでチケットを買い直して、再び手荷物検査を受けて、今度は早めに搭乗口へと向かった。 NOK Airは遅延が多いので心配はしたが、定刻より早めに出発でき、少し早くチェンマイ空港に到着することができた。
空港でメキシコ訪問の時も大変お世話になった深井先生と合流した。今回再び深井先生にご無理を言ったのは、メージョー大学のプリーダ先生は、香川大学にて学ばれ、深井先生も良くご存知であったので、今後研究をうまく進めていくために深井先生にもアドバイスをいただくためである。心強い存在である。
合流後レンタカーを借りて生産者を一件訪問し、途中ランチ代わりに簡単にソーセージをいただき、目的地であるメージョー大学へと向かった。
移動時間約1時間でメージョー大学に到着。プリーダ先生とノック先生に再訪の挨拶をさせていただき、早速メージョー大学における「マリネックス」の試験と共同研究の打合せをさせていただいた。
まずは大学試験方法などの提案を説明いただき、そして意見交換を行わせていただいた。その中では、私の農学の足らなさと語学力の低さで、理解とうまく伝えることができずであったが、同席していただいた深井先生のおかげで、その場をしっかりまとめていただくことができた。さすがである。本当に大助かりであった。
終わりには研究のための大学と私たちの契約の話を進めて、早ければ来月末から始めることが可能なところまで漕ぎつけることができた。今まで東南アジアでも多くの成功事例を持っているマリネックスではあるが、きちんとした公的に発表できるものがなかったので、今回の取り組みによって、その成果をデータで示すことができれば、今後に大きな意味を持つものになるであろうと考えている。楽しみである。
そしてミーティング終了後は、また飛行機に遅れるわけにはいかないので、大急ぎで空港に向かうことにした。
さ~~。昨日に続きて多難の日が続いたが、何とか大きな一歩を踏み出すために重要な1日になった。あとはこの研究がうまく出航し、到着するために気を抜かずに取り組んでいきたいと思う。大いに期待である。
今日から今年初めてのタイ訪問である。今回の目的は地元大学との共同研究の締結と新しい大学との研究打合せ、著名な生産者との連携協議、日本の生産者との連携プロジェクト、そして昨年より関わらせていただくことになったとても素敵な施設の方々をタイに迎えての現場ミーティングで、いつもより少し長い日程ではあるが、スケジュールはパンパン。荷物もスーツケース30kg弱のパンパンである。そのような感じで荷物を抱えてまだ暗い中、小雪まじりの自宅を出発した。
朝も早いので渋滞なく、伊丹空港に到着。荷物を預けて保安検査場へと向かった。
保安検査後、搭乗口に向かう際に、スマホが手元にないことに気づき、どこに置いてきたのだろうと記憶をたどってみたところ、保安検査場でダウンベスト脱いで、そのまま置いてきてしまったことを思い出し、急遽戻ったところ、検査場で預かっていただけたので引き取れ一安心。今回こそは忘れ物はしない。失くし物もしないと強く思っていたのだが、聞きなり出鼻をくじかれた?いや自分で挫いてしまった状況での出発となった。
無事に経由地である羽田空港に到着。しばらくして搭乗口に向かったが、搭乗時間になって準備が遅れているとのことで30分間、その場で待つことになった。今年初めの事故が重なったことからか、それか異常気象のせいか最近はやたら遅延が多い。安全第一なのでこれは仕方のないことであるが、お年寄りや小さなお子様も多いので、もう少し早めの告知があればいいのではとは感じた。
約30分後、搭乗。ドアクローズはされたが中々出発できずにいた。アナウンスでは、強風のため滑走路が1本しか使えないため、離陸の順番待ちで1時間とのことである。やれやれである。その後、やっと離陸できるようになり、滑走路で加速をしていったが、急に機体は減速し、離陸を取りやめてしまった。
しばらくして機長からのアナウンスで、離陸時に強い横風をうけ、その際にエンジンの異常を示す警告ランプが点灯し、急遽離陸を取りやめたとのことである。そして一旦機体確認及び整備のため引き返すことになり、機内で待機しながら、整備結果を待つことになった。
またしばらくして、アナウンスがあり、今から燃料補給を行うということである。飛んでもいないのに燃料補給とは、エンジンの検査で一旦燃料を抜いたのか、それとも燃料が漏れたのかなどメカ音痴の私には全くわからないが、燃料補給ということで飛ぶ可能性はでてきたことに期待と不安を抱きながら再び待つことになった。
そして定刻出発時間より約4時間遅れて再び滑走路へ。その後何とか離陸するこができた。
既に機内には4時間近くいるのでこれからバンコクまでの6時間半のフライトを足すと10時間を超すもので、前回の中東へのフライトと変わらぬ時間となってしまった。
スワンナプーム空港到着後は駆け足でファーストレーンを通り抜け、時間はおしてはいたがタクシーは使わずに電車を乗り継いで今日の目的地であるスクンビットの定宿へと向かった。
この日は遅くなってしまったので、現地パートナーと近くのカフェで簡単に今回の予定のすり合わせを行い、ホテルに戻って明日の契約の準備をして休むことにした。
さ~~このような感じで、前途多難のようになってしまったが、これで厄が落とせたと前向きに考えて気を取り直して、明日から頑張っていこうと思う。楽しみでいっぱいだ。
今日は宝塚ベガホールにて「フラワーバレンタインコンサート in 宝塚 vol.10」が開催されました。
雨にも関わらず開演の1時間以上前からお並びいただき、さらに大変多くの方にお越しいただけ、座席が足らずに補助席を用意しお座りいただくことになってしまい、本当に申し訳なく思っております。そのような状況でありながら笑顔で公演をお聴ききただけた皆様のご厚情に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
開演のはじめには、ステージから私又右衛門を招きあげていただき、皆様にご挨拶の時間をいただけました。そしてせっかくなのでフラワーバレンタインとは?についてと、2027年に横浜で開催されるGREEN×EXPO国際園芸博覧会の告知と、そのときの宝塚の花き園芸への応援をお願いさせていただけました。
公演中は、素晴らしい演奏や歌声をお聴きになられた方々が、大きな喝采と掛け声が飛び交うなど、演者と観客が一体となったステージであったかと思います。
また最後には、再び司会からステージに引き上げられ公演のお礼をさせていただきました。その後皆さんとともにステージを降り、出口にてフラワーバレンタインらしくお越しいただいた皆様に、小さなブーケではありますが、お渡しさせていただきました。
公演者からブーケを手渡される皆さんの笑顔がとても印象的で、私にも多くの方々が声をかけて、中には差し入れもしていただけました。ありがとうございました。
思い起こせば今回で10回目。途中COVID-19の影響で開催ができなかった年もありましたが、なんだかんだと10回を重ねることができたのは、お越しいただける皆様、演者の皆様、施設などご準備をいただけた皆様のおかげです。本当に感謝です。
週初めには愛猫ハクの他界で、かなり凹んでいましたが、おかげ様で、少しうつむき加減であった又右衛門も顔をあげられるようになりました。
このコンサートも、いつまで続けられるかなどは全くわかっていませんが、このような素敵な笑顔が見られるのであれば、できる限り何らかの形で関わっていければと思っています。
さ~悲しんでもいられない。前へ前へと向かっていかなければですね。
2024年2月20日 13時45分 「ハク」が永眠しました。
約1年前に病を患いながらも、私たちと一緒に楽しい時間を過ごしてくれました。ハクが旅立ちました。
ハクは子猫の時に食品スーパーに迷い込んで陳列台から出られなくなっていたときに、救出されましたが再び野に放しても同じことを繰り返し、大きな事故につながることも考えられるということで保健所に引き渡される予定でした。
その時に私と出逢い、私の手のひらの上で震えていたのを強く覚えています。本当に憶病なネコちゃんでした。このままではどのようになるかは大体の想像はついたので、一旦私が譲り受け、自分の車内で思案していたところ、家族の了解を得ることができ、そのまま我が家にて迎え入れることになりました。
我が家に来てからは、はじめは先輩ネコたちとうまく折り合いがつかず大けがをすることもありましたが、何とかすくすく成長してくれて、いっぱいの思い出を私たちに授けてくれていました。そして病気になる前には体重も約8㎏までなり、とっても福々しく子犬より立派に成長してくれました。
おどけた目、いつもおっとりさんで、食べるのも遅いため他のネコたちにご飯をとられてしまい寂しそうな背中がとても愛おしく感じる子でした。
それが1年前急に痩せ始めたので、病院で精密検査を受けたところ、大きな疾患があり、急遽手術となりました。その後経過は順調で安堵していたのですが、昨年末ぐらいからまた一気に痩せ始め、通院を繰り返しましたが、回復傾向には向かわずにいたので、食事とマリネックスを飲みながら、病と闘ってくれていました。
その時のハクは、今まで以上に食事をとりましたが、体重は減る一方で歯止めはきかず、数日前抱きかかえた時には、スーパーで出逢ったときのように軽くなっていました。きっとハクは「生きよう。生きよう。」として一生懸命ご飯を食べていたのだと思います。
毎朝、私が起きると同時にご飯をねだり、一生懸命食べてくれていて、今朝も大好きな金のだしカップを食べて私を見送ってくれました。
その後、仕事で帰省している長男からご飯をもらい、しばし元気に過ごしていましたが、お昼過ぎ家内と帰省していた次女がいる前で急変したので、沖縄にいる長女とスマホのビデオ通話でつなげ、互いがその声をしっかり聞き取り合いました。
そして出先の私からの電話の声を聞いてしばらくして、ハクは最期の言葉を振り絞り、その後静かに息を引き取りました。彼が何と伝えてくれたのかはわからないですが、私たちそれぞれは、その意味が理解できたように思っています。私は最期の瞬間を傍で看取れなかったのは正直心残りなところもありますが、それも私への精神的な配慮を考えてくれたように思いますし、私たち家族と一番繋がりやすい日、最適な時間を選んだかのように最期を終えたハクは、本当に偉い子だったと思います。
そして棺の代わりに我が家にあった段ボール箱に、ハクが愛用していた座布団やおもちゃ、大好物のちゅーるを入れ、多くの花で埋め尽くさせていただきました。その姿はお花畑でお昼寝するハクのように安らかに感じました。そして動物霊園に向かい、ご葬儀をあげていただきました。
素敵なお数珠をつけてもらえ
最期のお別れの時もまだしっとりした肉球、先がちょっぴり曲がったしっぽは、まだまだふさふさで生きている時のままでした。
そして埋葬は、もともと飼い主がいなかったネコちゃんでもあり、みんなのもとに戻してあげるのと、一人ぼっちで旅立つのは寂しいであろうと思ったので、共同での火葬と墓地にいれさせていただくようにしました。
ハクを見送りながら、臆病で道にも迷う彼なので、とてもとてもこれからが心配ですが、きっと我が家をでて、やっとお母さんやお父さんに会えるであろうと思い込むようにしています。それでも心配で仕方がありませんが・・・・・
もし途中で道に迷ったり、いじめっ子に出会ったりしたとき、不安な時は大きな声で「僕は臆病者の捨て猫ではい。ハクだ!金岡ハクだ!!怖くなんかないぞ!!!」と言えばいい。
ハク!本当にありがとう。とても素敵な時間と想い出を授けてくれました。中々ぽっかり空いた穴を埋めることはできないけど、楽しい想い出を胸に過ごしていきます。
そしていつの日か、同じように野良から我が家に来てくれた「レン」「チー」「キジ」もそちらに向かうことになります。その時はきちんとみんなを迎えに来てあげてね。そしてそしてその先には私も向かうとことになります。その時はまた一緒に過ごせることを楽しみにしています。また一緒にピザでも食べよう。
もっともっと書き綴りたいこともありますが、少し振り返るだけでもパソコンのキーボードがびしょびしょになり壊れてしまいそうなので、この辺で終えさせていただきます。今までハクを可愛がっていただきありがとうございました。
そして最後に。ハク!!!本当に本当にありがとう。大好きだよ!絶対また会おうね!
今週の始まりは、ある新しいプロジェクトの打合せを京都市内にて行わせていただいた。最近は膝を付き合わせての打合せからは遠ざかっていたが、先日の沖縄訪問がきっかけとなり、急展開で新しいことを進めていくことになる可能性が出てきて、急遽打ち合わせをして意思の確認をし合うことになった。
そして次の日は、東の都である東京へと向かった。
場所は渋谷である。さすがに街の大きさを感じる。ここでは大先輩に私たちが取り組み自然生態系調和型植栽管理について提案の機会をいただくことができ、その取り組みに共感をいただけたことは大きな自信につなげることができた。
さらに現在進行中のプロジェクトや今後についてなど多くを学ばせていただくことができ、長い時間ではなかったが、多くの時間を私に割いていただけ、私にとってとても意義のある貴重な時間となった。
一旦帰阪し、週中は再び都内へ向かった。ここではとても大切にさせていただいている方のご依頼のプロジェクトがあり、その事前調査などをさせていただいた後に、電車で移動した。
お昼過ぎに私が客員研究員をつとめさせていただいている進化生物学研究所へと向かった。
バイオリウムの植物や動物たちに挨拶をして、相談があるため湯浅理事長のもとへとむかった。ここでも持ち得なかった知識を授けていただき、さらに先日のマダガスカル訪問のことなど生きた情報をいただけ大いに参考にすることができた。
マダガスカルで作られた新しい木彫りが届いていたので拝見させていただいたが、これがとても可愛い。かなり精度も高く、きっと日本でも人気が出そうなので現地に増産の依頼をさせていただいた。実際に届くには数か月以上はかかるであろうが、とても楽しみである。
そして現地ボランティア組織であるサザンクロスの話などをさせていただいたが、理事長の制限時間がいっぱいになったため、近いうちの再訪を約束して、研究所を後にした。
隣接する馬事公苑がリニューアルオープンしたので、帰り道の途中でもあるので、さっと見学をさせていただいたが、とても広々とした敷地に新しい施設がつくられ、とても良い空間になっていた。
これで今日の予定は終わりなので、明日の打合せがある横浜へ電車を乗り継ぎ移動することにした。
横浜のホテルにチェックインした時には陽も落ち、お腹が空いたのでホテルの近くでどこかないかと思い探していると、1軒のお蕎麦屋さんの、サンプルが目に留まり、吸い込まれるように入ってしまった。
そして入口で目に留まった「富士山盛り」を注文し、しばし待っていると私に出されたのが次の写真である。
まさに富士山盛りである。まさかサンプルのような大盛が出てくると思わなかったので驚きである。朝に機内から眺めた富士山より大きな山にも感じた。
食べ始めて約5分。すでにお腹はいっぱいであるが、高さは少し低くなったかもだが、まだまだ中央アルプス並みに残っている。
さらに7~8分経っただろうか、それでもまだまだ残っている。正直この辺りで、ごめんなさいと言いたいところであったが、自ら富士山盛りと言った以上、残すわけはいかないため、涙目になりながら粛々と食べ続けることにした。
そして飲み込むことすらできなくなり、意識も薄れかけた時に、やっと何とか完食することができ、そこには富士山の姿ではない、見事な関東平野が広がっていた。今回何とか完食することはできたが、明らかに体調は悪くし、大きく反省をしなければならないことになった。
皆さんも富士山盛りを注文するときは年齢と健康状態と相談してからお食べになることをお勧めしたいと思います。
部屋に戻り胃薬数種類を飲んでから倒れるようにベッドに横たわり、苦しみながら一夜を過ごすことになった。
翌朝、大切な会議に出席し、午後の飛行機で帰阪し、そのまま西ノ京(奈良)と向かい所用を済ますことになった。
週末の今日は、今週2回目の京都に向かい、打ち合わせなどを行うことになった。週初めの京都、東京、大阪、東京、奈良、京都と今週は京都に始まり京都に終わる、まるで都参りのような1週間となった。
そしてそのどれもがとても重要な取り組みでやりがいのある楽しみなものばかりである。その任務遂行と達成のために自らの体調管理もしっかり行ない、くれぐれも食べ過ぎには気を付けていきたいと強く思った今日この頃であった(;^_^A
今日は、午前中のミーティングを終え、大阪・淀屋橋の住友ビルで開催される青年海外協力隊プラザ・大阪の理事会に出席させていただいた。
私は縁あって昨年に本会の理事に就任させていただき、参加させていただいた。理事に就任されるほとんどの方がJICA隊員経験者の大先輩である。昨年の就任の時に、来年に還暦になりますと伝えたところ、還暦か!若いね!!と声をかけられたことがとても印象に残っている。
理事会が開催され、とても活発で熱がはいった意見交換がなされていて、その雰囲気にのまれてしまいそうなぐらいであった。
最近では多くの会で、若返りを口にされる場合は多いが、あまり意見を述べる若手が少なく儀礼的に行われる理事会もある中、今回の理事会を通じて、会の若返りとは年齢ではなく、意識と行動力であると言うことを強く感じた。
確かに体力は衰えていくが、精神がアグレッシブであれば、その方が会は生き生きするように思う。是非私も我欲を優先せずに、積極的に取り組みながら歳を重ねていかなければならないとあらためて感じさせていただけた。当たり前だが何年経験を重ねても先輩は、やはり先輩である。ありがたい存在である。
日曜日の高松日帰りに続いて、昨日は秋田へと向かった。ただ関東地方悪天候のため少し心配な旅程である
というのも今回も少しでも安いチケットをと思ったら、羽田空港経由であったため、雪に影響があるかもしれないためである。念のため朝一番の飛行機で伊丹を出発。いつも楽しみにしている富士山の姿は全く観ることができずに、羽田空港に着陸した。
羽田空港で少し時間があったので秋田へのお土産を買い、テレワークをしていると掲示板には相次ぐ欠航の表示がでていた。私の乗る予定の飛行機は、無事に出発できるようだが、次の秋田行は欠航のようである。欠航で影響が出た方には申し訳ないが何とかいくことができることに安堵した。
雪化粧が美しい山なみを観ながら定刻より少し遅れて秋田空港に到着した。そして秋田駅行のリムジンバスに駆け込み、秋田駅へと向かった。
バスは、私が乗ったときはとても少ない利用者のため隣の座席にコートを置いていたが、順次お子様連れの家族の方々などが乗ってこられたので、席を開けるために足もとに色々詰め込んでいたら、周りの方はハンドバッグや通路側に座るなどをされていたためか、私の横に座っていただけた。ただ羨ましいほど体格の良い大きな方であったので、バスでは密着度が高く、体温が伝わるほどであったため、私の来ていた極暖のインナーと、ダウンベストが呼応し、ほとんどサウナ状態になり、そのような状況で事務所とラインのやり取りを行ったため、車酔いをしてしまい、ほぼ拷問状態。おそらく強制的にあと30分乗りなさいと言われたら、どんなことでも自白してしまうような状態であった。
そのような状態でギリギリ秋田駅に到着。そこには先乗りのスタッフが迎えに来ていただけていたので軽トラにて現地へ向かうことにした。
自分たちの生産地へ向かう前に、前回訪問し、先日の日本植木協会にて講演させていただいた時に再会できた会社を訪問し、貴重なアドバイスを受けることができた。
MTGと現地見学を終えて、生産地へと向かった。
地元の氏神様を参拝し、ご挨拶をさせていただいた後、生産を引き継がせていただいた加賀谷様と急遽用意していただいた食事をいただきながら、前年の振り返りと、今年の考え方などを伝えさせていただいた。
加賀谷さんと懇意にしていただいているパートナーの方に、お約束していた出雲のお土産を手渡し、楽しく歓談させていただき、きりたんぽ鍋のおかげもあって、身も心も温まることができた。
しばらくして、夜が更けると道路も危ないので食事会はお開きにして、私は秋田駅まで送ってもらい、ホテルにチェックインをし、机の上で色々な用事を行い、日付が変わったのでベッドに横たわることにした。
早朝に起床。ホテルで朝ごはんを食べる時間がないので、そのままリムジンバスで秋田空港に向かう。まずは羽田行きの飛行機が条件付きになっていないかなどを確認し、問題なさそうなので予定通り羽田経由で伊丹空港へ向かうことにした。
そしてコンビニでご飯を買って、いつものなまはげくんに挨拶をして、手荷物チェックを行うまでの間、待合室で過ごしていると、地上係員の方から、「金岡さんですよね。」と聞かれハイと答えると、「搭乗券を落とされたのが届いています」とのことであった。あれだけしっかり持っていたはずが、大事な通話に気を取られていて、落としたことに気がつかなかったようである。またやってしまった。
2日前の香川では切符を入れ間違え、係りの方に手間をかけてしまい、飛行機の方が安心と言った矢先のことである。でもこのように飛行機はチケットを落としても、パスポートを置き忘れてもかえってきてくれる。多くはいつもお世話になっているJALの皆様のおかげである。このような方々の支えによって私はいつも国内外を移動できている。本当に感謝である。
無事に羽田空港で乗り継ぎを終えて、伊丹空港へと向かう。この飛行機は、出発前にスーツケースにバッテリーか何かを入れられたのか、そのチェックのためかで遅れての出発となったが大きな遅れはなく伊丹に向けて飛び立つことになった。
この遅れで午後の予定は大きく変更になるが、まずは無事に帰ることができるので、そのことを感謝しよう。
今回、短い滞在で、限られた訪問先ではあったが、とても貴重な学びや情報を得ることができ今後に向けて有意義な時間を過ごすことができた。さてとりあえず大雪は、去ってくれたようなので、週中もバタバタするが気を引き締めて積極的に頑張ろう。ではでは。
今日は、日帰りで今年初めての高松へと向かった。今回の用事はまず、わずかながらご支援させていただいている「第7回全国高校生花いけバトル全国大会」を観戦させていただくためとパートナーでありお世話になっている半田植物園さんを見学するためである。
朝一番、昨日のうちに手配した中山寺~高松間往復の切符を片手に、駅に向かう。少し早めではあったが隣の駅である川西池田の改札を通って、新大阪に向かう途中、切符をよく見ると、帰りの切符を自動改札に入れて入場したようである。
このままでも問題ないだろうなと思いながら一応新大阪で係りの方に尋ねてみると、問題があるようで、親切に説明いただき、ハンコを押して、今回は自動改札を使わずに、有人の改札を使ってくださいとのことであったので、案内いただけたように旅が始まることになった。それにしても電車は難しい。飛行機の方が簡単だな~~と思う情けない大人である。
新幹線とマリンライナーを乗り継ぎ、家を出てから約3時間で高松駅に到着した。車で行くのと大体同じぐらいの時間であるが、事故の可能性を感じると電車の方がはるかに低い。ただ失くし物をする可能性は、電車の方がはるかに高いので、どちらが良いか今後の課題である(笑)
駅を出るとちょうど雨が上がったぐらいか、辺りは濡れていた。年間降水率がかなり低い高松でさえ雨が降る、さすがレインマンと言われるだけのことがあるとおもった。駅には半田さんに迎えに来ていただけ、早速車で移動した。
まずは半田さんが設計・施工したレインガーデンを見学し、雨水の利用法から、その水の経路などを説明いただき、このようなガーデンの必要性をあらためて認識することができた。
またその他に、コンクリがはられた上に設置されたガーデンなど拝見させていただいた。このガーデンは盆栽のような設計がされており、このような薄い土壌でも可能であるとのこと。さすが盆栽が盛んな鬼無地区で長年活動されている方だなと思えた。
そして、半田さんに生産していただいている「大和橘(やまとたちばな)」の圃場を見学させていただいた。「大和橘」は準絶滅危惧種であり、数少ない柑橘における日本の固有種である。そのこともありこの橘をまもるために活動し、半田さんには大切な役割を担っていただいている。このように仕上げ、数量限定ではあるが会員はじめ一部全国に向けてお届けさせていただいている。
またAIR-POTにて生産していただいている株は成長も良く、その機能を大きくご評価いただいており、今後さらに増やしていこうと考えている。とても楽しみである。
視察終了後、今回の高松訪問の主たる目的である「第7回 全国高校生花いけバトル 全国大会」会場へ向かった。
会場は駅が近くとても広く、素晴らしいステージである。
そこに、長年のパートナーである菊を契約栽培していただいている合田さんの菊をはじめ、多くの花材が用意され、5分間で生け込み、会場参加者によってジャッジされるとてもユニークなイベントである。
このイベントには全国から勝ち上がってきた若き猛者たちが集い、その技術を競いながら想いを込めていけこんでいくのである。
限られた時間に作品に取り組むその姿はまさにバトルである。ただバトルといっても、同じ競技者か?花材か?それか自らか???
制限時間を終えて競技者が一言を述べる時間があり、その言葉の多くは前を向いた晴れ晴れしいものである。その言葉聞いたときに、彼らは自らと闘っていたんだなと確信することができた。
生け花と捉えれば、作法など色々な考えがあるかと思うが、このように文化部でありながら、甲子園のように熱く取り組み、中には涙しながらいる輝いた彼らの眼を見ていると、本当に素敵なイベントであると思っている。又右衛門もその姿に多くを気づかされ、彼らに素敵なバトンを渡すことができるように今後も頑張っていきたいと思えた。
今回、この設えに関わられている方々に敬意を表するとともに、運営者、学生の皆様から多くを学ばせていただけたこと、深く感謝しています。今後もこの大会が末永く繁栄していくことを心から願って止まない。