四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

先週、お盆が明けて色々なことが動き始め、そのままの感じが続いている。
週初めの月曜日には新しくバラエングループに加わってくれたマリネックス社でのミーティング。

最近は、マリネックスの主成分でもあるフルボ酸を活用した有機栽培や健康食品、環境改善へのさらなる関心の高まりや、自給自足の必要性の高まりのためか、様々な業種の方々からの問い合わせが増えてきて、未来への可能性をとても感じられている。
ただマリネックスは、限りある原料をほぼ天然のエネルギーのみで製造しているため大量生産ができず、希少なため、大切に販売をしていかなければならない。

その分、一つひとつの製品に感謝し、想いと一緒に取引先やエンドユーザーに届けることができることが嬉しくも感じる。まだまだ未知なるポテンシャルに期待するとともに、様々な社会問題を解決してくれるのではと考えている。

また水曜日は、春に植栽したシンボリックな植物の定期点検のために都内へと向かった。

長い梅雨が終わってからの猛暑に心配していたが、植物の状態はすこぶる好調である。
私はヘルメットから汗がタラタラ落ち、熱中症にかかるのではと思うぐらいの暑さでへこたれそうであったが、むしろきつい日差しを大喜びするかの様に、堂々と大空に向かって立っていた。

ただ、まだ暑い夏が続きそうである。POT植えの植物は地温が上がりすぎると根の先端を傷めてしまうため、根を護り修復するためと、土の温度を少しでも下げるために、天然由来のオリジナル有機資材(MM土)を散布し、万全な対策をこうじてきた。

ヘルメットからの大量の汗を拭って、次の場所へ移動。そこでは新しいプロジェクトの打ち合わせというか、キックオフミーティングのようなものを行った。
パートナーは、以前の私の発言や目標、日々の活動をヒントに具体的なスキームを考えたそうで、素敵な提案をしていただけた。簡単に達成できるものではないかもしれないが、可能性があり夢が膨らむ。感謝である。
それもただ単なるビジネスではなく、以前から懸念していた花き業界や社会の課題を解決できるものになりえるため、何とか形にできればと思っている。

このような新しいプロジェクトや、マリネックスなど、収益よりも社会問題の解決策となりえるものに積極的に取り組んでいくことに力を入れていければと思う。
様々な出逢いから色んなものが日々産み出されていることに本当に感謝の気持ちでいっぱいであり、気温の上昇以上に、魂の温度が高くなっていくことを実感できている。
違った意味での熱中症にかかっているのかもしれない・・・・・。

生花販売に関わる事業者としては、年間を通じてお盆は一大イベントである。実際にお盆の結果が1年間の収益に大きく作用するぐらいである。

通常でもそのような重要な時期であるが、今年は新型コロナや猛暑による移動や外出自粛、生産の現場での長雨による生産不良などが重なり、果たして需要はあるのか?品質は保たれているのか?など様々なシナリオが描かれる中、それぞれの担当が工夫と目一杯の努力で、何とか結果を残してくれた。

もちろん事業をしているので数字としての結果は追求しなければならないのだが、何よりも嬉しかったのが部門の枠を越えて協力し合い、体力が落ちる環境の中、誰一人体調を大きく崩すことなく、何とか踏みとどまって走り抜けてくれたことである。今まで以上に良くやってくれたと思う。本当に感謝である。

そしてお盆明け早々には、今まで温めてきたいくつかのプロジェクトが動き始めた。
中には10年以上の時間がかかっているものもあり、国内だけではなく海外に向けてのプロジェクトや、同業、異業種とのコラボによるユニークな展開にとても胸が高鳴ってくる。

厳しい状況のため、色んな意味で控えめの活動を余儀なくされ、じっと耐えてきたが、そろそろ万全を期して動き始める時がきたように感じている。

具体的なプロジェクトについては順次報告をさせていただきたく思っているので楽しみにしておいてくださいね!

今日8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。

まずもって今まで繰り返された戦争によって、かけがえのない命を失った多くの方々を追悼しご冥福をお祈り申し上げます。
そして遺族の方々、身体や心に傷を負った人びとが少しでも癒えることを心より願います。
また、多くの方々の貴い犠牲と先人のたゆみない努力によって繁栄し、平和に向かい今を過ごせていることに深く感謝いたします。

8月15日と言えば、私は小さな頃、お盆の送り火のため、おばあちゃんに連れられてお墓参りに行っていた。そして学生の頃には、家業を手伝うためにお盆期間は毎日、お花を売る手伝いをしており、忙しさのあまりに「戦争」という言葉についてゆっくり考えることはできていなかった。ただ、ある歌を口ずさむぐらいであった。

それは「戦争を知らない子どもたち」という歌で、学校の音楽の授業であったかとは思うが幾度か聴いていたのを記憶している。その時は、歌の持つメッセージを読み取ろうとはせず、単純に繰り返し聴き歌っていたことでその歌詞とリズム、何よりこの歌の題名は明確に記憶している。

そして、改めて歌詞を読んでみたが、やはり作者の想いは「これ!」なんだなということが明確には分からない。
戦争を体験した世代の方々からは、自分たちは一人前の大人と認めてもらえないということなのかな?とも・・・。戦争の実体験こそないが、その惨状を伝えてもらった私たちは、二度と同じ過ちを繰り返さないことを深く心に刻み込み、みんなで平和に向かって歩いて行くことが大事ということなのかな?とも思ったりしています。

すみません。相変わらずの支離滅裂なアップですが、今回私が言いたかったのは、いずれにしても日本は多くの犠牲と努力によって繁栄し、平和な世の中へと向かっていることは確かであるということ。
しかし世界ではどうだろう。同じ方向性、同じ速度で平和へ向かえているとは言えない。また私たちが平和と描いているところに向かうために未だに犠牲になっていることはないだろうか。人、環境などどうだろうと考えてしまう。私は犠牲の上に本当の意味での平和は訪れないと思っている。

そして真摯に向き合っていかなければならない。「平和を知らない子どもたち」平和の意味すら知らない子どもたちがあまりにも多くいるという現実を・・・・・。

今日8月8日について、ネットで検索してみると様々な記念日であることが書かれている。

“葉っぱの日”や“パチンコの日”など語呂合わせのようなものから、見た目からの“ヒョウタンの日”、少しどうかなと思われる“デブの日”などが挙げられている。

私にとって「8」という数字は縁起も良く大切にしている数字であり、世間でも末広がりなど「8」という数は吉数とされているようである。

そのような「8」が二つ並ぶ日のため、何となくときめく日でもある。

そして、そのような日に長い間リニューアルできていなかった薔薇園植物場のHPをリニューアルオープンすることができた。

http://www.baraen-rosegarden.co.jp/

本年度は創業140周年を迎えたこともあり、コンテンツも少し追加変更を行っている。

私の「又右衛門ブログ」は凝りもせず書かせていただこうと思うので、引き続きお読みくだされば嬉しく思います。

HPも新しくなり、時代とともに進めていく手法や事業は常に変化させていますが、私たちの植物に対する想いは140年不変であり、これからも志を同じくする仲間と手を繋ぎ150年、200年継続していくことができる企業をめざしてまいります。

最後にHPにも記載している私の挨拶を転載いたします。

 

四代目 金岡又右衛門(金岡信康)

『素晴らしきパートナーと共に、しあわせを創り出すバラエングループをめざして。』

私たちバラエングループは 2020 年、創業140周年を迎えることができました。 そして、150年に向かうバラエングループの代表としての私の使命は、企業理念に基づき、「もっと愛され、もっと必要とされる企業づくり」を完遂することであると考えます。 私が入社した頃は、「もっと花を安く仕入れたい、数多く売りたい」を優先させ、「ライバルに負けたくない。もっと大きな会社にしたい。もっと権力のある会社にしたい。」と思っていましたし、業界の内外で活躍される人びとに認めてもらいたいという気持ちから「もっと見た目に優秀な会社にすべきだ!」という考えにとらわれていた時期もありました。しかし、私は世界中を自らの足で駆け巡り、多くの出逢い、再会を繰り返しながら、目的を共有し、共に歩んでいける素晴らしいパートナーと出会うことができました。

それこそが一番の宝物であると気がついた今、このバラエングループを、大きくはなくとも、地位や権力がなくとも、外観が華やかであるよりも、人からも植物からも「もっと愛され、もっと必要とされる 会社にしたい。」そう強く想っています。 ある人の一言が私の頭に残っています。 「人は植物が無ければ生きていけない。しかし植物は人がいなくても生きていける。」 花き園芸に従事する私たちは、他のどのような業種の企業よりも、植物と身近に接し、その恩恵を受けながら活動をしています。 であるならば、誰よりも、植物の持つ力を全身で感じとり、その力の可能性を疑うことなく、その力の素晴らしさをより多くの人に伝えていくことが私たち責務であるはずです。 私たちバラエングループは、花き園芸業界の一員として、植物からあずかったメッセージを伝え続けていくために、収益活動と社会活動の両輪をしっかり駆動させ、植物の力で「しあわせを創り出す」ことができる花き園芸総合企業をめざしていきたいと考えます。 私は、四代目金岡又右衛門として、先人の熱き想いと築き上げてきた全てを受け継ぎ、この厳しい時代を「乗り越える」のではなく、素晴らしいパートナーたちと共に「創りかえる」気持ちで邁進してまいります。 そして、「世界の感動を日本に。日本の感性を世界へ。」をモットーに、自然や大地への尊厳の念を持ち、植物の「生(いきる)」 にこだわりながら歩んでいきたいと想います。

今日8月6日は広島平和記念日・原爆の日。
先月広島に行った際に案内されて観覧した原爆資料館の光景が頭に浮かんでくる。

写真で見ただけでも目を覆いたくなるような光景。実際に目の当たりにした方々にかけられるような慰めの言葉を見つけることができない、戦争を知らない子どもたちの一人であった私である。

祈念公園で慰霊碑に向かった際に、そこに刻まれていた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という言葉が胸に刺さっている。

過ち・・・核兵器、戦争がそうであろう。本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
しかし人類が犯した過ちはまだまだ他にもあると思える。

 

人間本位の開発などもそうであると言えるのではないだろうか・・・・・

文明・発展という名の大義名分のもとに繰り返されてきた開発による影響は、今の地球環境や社会現象として各地で顕著に表れている。それをよく知っているのは、実際に経験した先進国と言われている国々ではないだろうか。

にも関わらず新興国に同様の開発を促し、協力しているのを見かけることがある。
是非、日本はそのような国々と競い合うのではなく、まずはその国の文化・自然を守ることを優先するべきだと思う。そして自ら体感した社会問題を二度と繰り返さないようにしなければならないと強く思う。

 

また、毎年この時期には「平和祈念」という言葉をよく耳にするが、私は違和感とまではいかないけれど、少し考えさせられる言葉に感じる。

全ての生き物は必ず平和であって欲しいと思っているのではないだろうか?
それに異議を唱える者はおらず、みんなが同じ方向を見ているはずなので、すぐに実現できるように思う。しかしそれが実現できないのはなぜだろう。

個々がそれぞれに平和について自分都合の勝手な解釈をし、自分自身のみの安全や不自由ない生活のことを平和と思っているからではないだろうか?

 

平和とは全ての生きとし生けるものが等しく健やかに生きていき、天寿を全うできる世の中であると私は理解している。

平和は祈念しなければ実現できないものなのだろうか?互いが思いやりの心を持ってさえいれば実現できるのではないだろうか・・・・・

残念ながら75年前に戻ることはできない。
でも当時のことから目をそらさず向き合い、同じ過ちを繰り返さず万物に対し感謝の念を強く持ち、互いを思いやる心を持つことは、今日、今からでも可能であろう。

それこそが何よりも慰霊になるのではないだろうか・・・・・。