四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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昨日の午前中は、ミーティングで尼崎まで出かけており、何とか良い着地点を見つけることができたので意気揚々と車で移動をしていた。その途中でアクシデントがあり、かなり予定が狂ってしまったが、レスキューに助けてもらって、次の予定ギリギリに営業所まで戻ることができた。
帰所してすぐに、今回はWebで行われた全国花卸協会の理事会に出席した。この協会でのWeb会議は初めてではあったが、無事進行され、近くにも開催される用意が着々と進められた。
また自由討論では市場における仲卸の地位や役割などが議論され、とても有意義な時間となった。
市場によれば、現在は在宅セリや前売りだけで行っているが、今後もそのままのスタイルで運営されていくかもしれないとのこと。そうなれば今まで当たり前であったひな壇に買参人が並ぶオークション会場でのセリが大きく変化することになり、市場内仲卸の役割、存在意義も大きく変わってくると言える。
これまで、手セリ方式から機械セリ方式に変わっていったときにも大きな転換期と感じたが、今回の取り組みが実現すれば、それ以上の転換期であり、市場内の仲卸にとっては、とても重要な判断をしなければならないかもしれない。
これからは市場⇒仲卸⇒小売りというスタイルは薄れていき、それぞれが花き業界において独立した存在にならなければならないと思う。私たちも仲卸という立ち位置を越え、生産にも関わり、小売りもしていかなければならないであろう。
そしてある程度のボリュームが必要となるであろうから仲卸同士がアライアンスを組むか、企業合併をしていかなければならないのではないか。
良いか悪いかはまだ何とも言えないが、業界再編をCOVID-19が急がせたのは事実ではないだろうか。いずれにしても、先と足元との両方をしっかり見ながら進めていかなければ、大きなうねりに流されてしまうだろう。そうならないために垣根を越えた新しい取り組みをしていく必要があるが、それはそれで色々な声をいただくことになるかもしれない。
しかし、私たちにはやらなければならないことがある。それを達成するために舵を取ることに良い意味で震えを感じる。
そして、Web会議終了後、慌てて大阪青年会議所セネター会が開催される帝国ホテルへと向かった。何とか開会までに会場に滑り込むことができたが、すでに多くの諸先輩方が着席されており、多くの方にお声掛けいただきながら、十分に間隔がとられている席の一つに着いた。
総会はセネター会 山本会長の挨拶に始まり、本年度理事長JCI副会頭の挨拶の後、審議事項、決算報告など承認され、無事滞りなく終了。続いて講演となった。
本日の講演者はニューヨーク州弁護士である山口真由先生。山口先生は「そこまで言って委員会NP」など、TVでよく拝見する。
「アフターコロナの日本」と題して、コロナや経済や世界情勢などタイムリーな話題について、わかりやすい優しい口調でお話しされていた。そのような口調でありながら、ご自身の意見をビシッと発言された講演で、あっという間に1時間強の時間は過ぎ去った。
その後部屋を移動し、懇親会に参加した。懇親会ではフェイスガード着用の食事で、かなり違和感があるものの、皆さんの元気な顔を拝見することができ、このような厳しい情勢であっても、経済人としてしっかり歩んでいかなければならないと感じることとなった。また最近は多くの人が集まるような会議から離れ、Web会議などが多くなってきているため、尚更このようなリアルな会の大切さを感じる。
今日は久しぶりにスーツを身に纏い過ごした1日。汗だくにはなったが、収穫の多い一日となった。
Republic of Madagascar 60th Anniversary of
Independence and National Day!
今日、6月26日はマダガスカル共和国建国記念日である。そして今年は独立60周年という節目の年になる。先ずもっておめでとうございます。
その記念日に、大使より感謝状をいただいた。大変ありがたいことである。
昨年の同時期には各国の大使閣下や国内の要人が集まってのレセプションにご招待いただいたが、今年はCOVID-19よる影響で残念ながら開催されなかった。
色んな役割や想いで参加されるエネルギッシュな方々に会える機会がなくなってしまったが、決してその役割や熱い想いが失せるものではないので、またの機会を楽しみにしたいと思う。
私が初めてマダガスカルを訪問してからは、まだ5年にもならない。
しかしながら幾度か訪問するうちに、愛くるしい動物たち、想像を絶する植物などマダガスカル固有の生き物に触れ、現地で生まれ暮らす人びと、海外から赴任している政府関係の方々と一緒に活動し、言葉では表せないほどの感動や学びを得ることができた。
私は日本で生まれ育ち、多くの経験や学びを得てきた。しかしマダガスカルの地に降り、今までになかったものに触れたことで、身体が化学反応を起こしたように感じている。
親愛なる友人、素敵なパートナー、何にもかえがたいご縁に心より感謝申しあげます。
これからもマダガスカルで得たことを日本に。日本で培ってきたものをマダガスカルに伝えることで、互いが健康的に成長していけるよう、又右衛門も一生懸命つとめてまいります!!!
そして100周年。そこまで生きてみせるぞ!!!
今日は、自粛要請が解除されたのに併せて都内での活動となり、朝一番の飛行機で羽田へと向かった。
午前中は、春に植栽した樹齢約1,000年のオリーブの健康状態のチェック。
長雨で、私は足などが結構ずぶ濡れになってしまったが、水はけに重点を置いた用土のおかげでオリーブには問題なし。しっかり枝も伸ばし、すくすく成長してくれていた。さらに花もつけてくれていた。
本当なら元気な姿をお届けしたいのだが、特別な場所のため現時点では写真は載せられないので、是非来年直接見ていただければと思う。
そして場所を変え、餃子をいただきながらのランチミーティング。
午後からも大事なミーティングがあるのに餃子はないだろうと思われるかもしれないが、今はみんながマスクをして会話しているのでOKかなと思い、台湾餃子をいただいた。
そして霞が関へと移動。各省にてミーティングをし、これから来る大きなイベントなどの打ち合わせや意見交換をした。
内容についてはまだ触れることはできないが、業界にとっても地域にとっても価値あるイベントであるので乞うご期待である。
また、私たちのプロジェクトや特許技術などについても高く評価していただいた。
今までパートナーとともに長年積み重ねてきた研究がやっと役に立つ時が来るかもしれない。そんな喜びを感じることができたので、今回は無理せず、ここで一旦帰阪することにした。
朝、大阪を出る時は、雨のどんよりした天気であったが、帰る時には、澄んだ青空が現れた。まるで私の気分と同じようであった。まだまだ新型コロナウイルスの影響は心配ではあるが、視界は良好である!
日本全国で梅雨入りとなった今週、バラエンでは実に様々なことが始動・再始動した。
ZOOMに加え、社内外でリアルミーティングも再開され、バタバタの一週間であった。
その内容が多岐にわたるのと、現時点ではブログでは書けないことが多いため、前回まで数回取り上げた「●●の日(記念日)」について少し書かせてもらおう。
記念日についてネットで調べてみると、この一週間は下記のように掲載されていたので、それにあわせて私のコメントを少し・・・
●7日 - 母親大会記念日、むち打ち治療の日
むち打ち治療の日って・・・
実は私は20歳過ぎに、運転中かなりきつく追突され、2か月間入院をしなければになったことがある。入院中は点滴で腕が腫れ上がってしまいブルーな毎日であったが、同室だった電車にひかれながらも九死に一生を得た人と仲良くなり、看護師からはちょい悪入院患者コンビと呼ばれ、お互いを励まし合いながらの入院生活は人生の中での貴重な日々になった。
●8日 - バイキングの日
バイキングは、最近は新型コロナの影響もあり行くことが少なくなってしまったが、歳も歳なのであまり食べられないのにワクワクする。そして、苦しくなるまで食べてしまい、いつも後悔をするのが常である。
●9日 - ロックの日、ネッシーの日
ロックの日・・・見た目はロック好きのようにも見えるかもしれないが、又右衛門は邦楽や雅楽が案外好きである。
またネッシー・・・私は以前見たことがある、と言いたいが明らかに嘘つきと呼ばれるのでやめておこう。
●10日 - 時の記念日、路面電車の日など
●11日 - 国立銀行設立の日、雨漏り点検の日
●12日 - 恋人の日、日記の日、バザー記念日、宮城県防災の日
恋人の日・・・懐かしい良い響きがする。これ以上は控えておこう(笑)
日記の日・・・今まで何度かチャレンジしたが、最高記録でも小学校の夏休みの宿題にまとめて書いた絵日記が一週間分である。そのことを思えば今も書いているこのブログは神がかっているほど続いていると言える。
●13日 - 鉄人の日、FMの日、小さな親切の日、はやぶさの日
FMの日・・・きっとファミリーマートではなく、ラジオのFMだと思う。最近は出演の機会がなくなったが、以前いくつかの局でお話する機会をいただいたり、番組を持ったりしていた。私ほど噛む者を選んでいただいた局の方に敬意を表したい。
小さな親切の日・・・素敵な日である。毎日がこのように日になるように努めたいと思う。
●14日 - フラッグデー
●15日 - 信用金庫の日、暑中見舞いの日
信用金庫の日・・・最近は新型コロナの影響で金融機関の方とお話しすることが多くなってきてしまった。金融機関の支援だけでなく、励ましの言葉に勇気づけられることもしばしば。
正直かなり厳しい状況である。そのような中でピンチをチャンスにと言葉にするのは簡単であるが、その糸口があるのか?見つけられるのか?と不安に思うこともある。
しかし私たちには繋がりがある。絆がある。きっとこの先は新しい世界に繋がっていると確信している。今は、跳びあがるために思いっきりしゃがみ込んでいるだけである。
今回、全く意味の解らない投稿になってしまって申し訳ないです。
ただ本当にいくつもの記念日があることに驚かされた。
そしてそれと同時に、この厳しい局面をみんなで打破して、復活記念日を作ってみたいと強く思うことになった。
昨日6月5日は「世界環境の日」である。
1999年 国際的メイン・イベント主催国であった日本において、環境デーのテーマは『私たちの地球、私たちの未来、救うのは今!』であった。
早くもその時から10年以上が経った今、あらためて振り返りながら、目標は掲げるだけではなく実現させることが大切であると感じる。
そのような日に青山というとても魅力的な場所で、生産者や環境に対して志を同じくするフタバフルーツの成瀬さん、そしてご紹介いただいた素敵な方々と出逢え、新しいことへの種まきができたことは、決して単なる偶然ではないと思う。
きっとこの場所から世界に向けて様々なモノ、コト、オモイを産み出すことができると感じた。もっともっと学ぶことができる。とても楽しみである。
この素晴らしい場所に植物も動物も皆で集い、掛け声だけではなく、しっかりと形にして未来の担い手にバトンを渡さなければならないと強く思った。
また時を同じくして、大阪では花き業界ならほとんどの人が知っている某雑誌の取材があった。
薔薇園植物場/ローズガーデンのかけがえのない植物、スタッフを取り上げていただき、本当に嬉しく思う。
スタッフたちには、いつの日か「何が大切か、何をしなければならないか」を自分で考え、私たちが何があっても離さず握りしめてきたバトンを未来へ渡せるようになってくれることを願っている。
今日、6月2日はローズ(バラ)の日ということらしい。
何故ローズの日になったのかをネットで調べてみると、「6=ロー・2=ズ」で、「ローズ」の語呂合わせであるのと、この時期はバラが美しく咲くからということからも、日本記念日協会に正式に認定、登録された記念日とのことである。
せっかくローズ(バラ)の日なので、何故私たちの会社名が「薔薇園植物場/ローズガーデン(バラエングループ)」であるのか?について少し触れたいと思う。
最近の私たちや又右衛門の活動をみると、私たちは花き園芸の仲卸会社や輸入植物を扱う会社であると思っていらっしゃる方も多いかと思う。
もともとは、明治初期に初代金岡又右衛門が園芸に深く関わり、そして薔薇の生産を行ったことから「薔薇園植物場」という屋号で活動をさせていただいたのが始まりである。
大正時代には、業界ではいち早く輸出や通販を始めており、二代目のパワフルな活動には今更ながらに驚かされる。そして学生時代には何級も飛び級で学年を上がった二代目はハイカラであったのか、「ROSEGARDEN」という屋号でも活動をしていた。
その後、宝塚では薔薇の生産が思うように拡げられなかったために、半分を岐阜に移し、今の岐阜が日本を代表する薔薇の生産になる礎を築いたようである。今でも岐阜に行くと多くの方々に当時のことを教えていただける。
またもう半分を山梨の甲府に移し、現在のコマツガーデンさんの創業者の方々と薔薇生産に取り組んだ。
今は、後藤みどりさんをはじめ多くの方がご活躍されていることを二代目も天国で喜んでいてくれると思う。
そのようなことから、三代目、四代目と薔薇園植物場という屋号を引継ぎ、気がつけば今年で創業140周年を迎えることになった。
三代目の時代には、はじめは薔薇の生産に関わっていたが、しばらくして薔薇の生産から離れ、国内での通販や造園、量販店においての小売り事業を行なってきた。
そして私、四代目は、園芸小売りから生花加工業、仲卸を始め、現在があるのである。
私の時代になると薔薇の生産からはかなり離れてしまった。
ある時、薔薇の生産を行っていないのに「薔薇園植物場」という屋号は分かりにくいし誤解を招きやすいということから、社名の変更を提案したのだが、先代に烈火のごとく怒られたのを記憶している。
今になっては私も、変えていなくてよかったのであろうと思っている。
ということで今も「薔薇園植物場/ローズガーデン(バラエングループ)」という名前で活動しているのである。
そんな私が壁にぶち当たりくじけそうになった時にいつも思いうかべる先々代のメッセージがあるので、それをここで書かせていただき、私のローズ(バラ)の日のメッセージにしたいと思う。
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文化は国防の一翼
現存の諸事情は國民の物質的生活の縮小を餘儀なくして居る。勿論我々はどこまでもこれに堪へてゆかねばならぬ。
然し乍ら物に於いて貧しくなるからといつて心までも貧しくすることは世界をリードする大國民らしくない。 尚の事聖業達成に今後幾十星霜人を追ひ詰めるべきではない何處かに餘裕を残して置くべきであらう。國民的基礎の上に立つ生産的な文化政策、健全なる娯楽の必要は今日痛切である。
(中略)
漸く我が園藝界が世界の水準に到達したやさき、 公の為に水準低下などとは斷じてなし得べき事ではなく、益々優秀品の生産に新種の作出に無報酬の努力こそ今日我々に課せられた公榮有る職域奉公と信ずるわれわれには父祖の残した偉大なる歴史を繼承し、更にこれを發展させて次代の日本國民へ譲り渡すべき重大な責務が有る。
一億一心持ち場持ち場の御奉公、やがては我園藝界が世界の最高水準となり得ることをここに御約束して置きませう。
金岡喜蔵 (二代目 金岡又右衛門)
年号 昭和16発行 バラエン植物目録 第三百七十六號(376号)より転載
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