四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

週初めの都内でのエキサイティングなミーティングに始まり、いくつかの重要な案件が同時に進み金曜日に再び都内へと向かった。

 そこでは自ら予想しきれていなかったスピードで新しいプロジェクトが進みそうで、正直驚きと興奮を隠せない状況である。

 

そのようなエキサイティングな時間を都内で過ごし、週末は仕事の合間を縫って横浜に立ち寄った。

横浜にはいくつか思い出があるが、その中でも印象的なのは十数年前、大阪青年会議所・日本青年会議所の現役メンバーとして活動し、毎年この地で開催されるイベントに訪れていたことを思いだす。

特に16年前?私は大阪青年会議所の国内交流員会の幹事として、また同時期に日本青年会議所 国境なき奉仕団委員会に所属していた時に、ここ煉瓦倉庫で大切な行事があり、その設営メンバーとして右往左往して空回りをしながら一生懸命活動していたことを思いだした。

 当時は、仕事と青年会議所活動とで睡眠時間はほぼ毎日数時間程度というぐらい一心不乱に活動していた。

そうして16年経った今、またこの地に足が向いたのは、今一度又右衛門として、当時のような気概で、あらためてアクセルを踏み込む時が来たことを知らせ、奮い立たせてくれるためであったのかもしれない。

私には、抜けた頭能はない。饒舌な優れた口も無い。だから正直な口を持とう。植物にできるだけ耳を傾けていこう。大地や風の香りを嗅ぎ分けていこう。

 

誰よりも愚直に。人や植物にまっすぐに向かい合い・・・

 

人一倍見える視力で、目の前にそびえ立つあの山の頂をあらためて見つめた時感じた。

その先は視界良好であると・・・。

事務所に向かうと、海外から一つの荷物届いていた。

 

パッと見た時は何の貨物かわからず、貼り付けられた明細を確認すると、それは待ちに待っていたマダガスカルからの第一便の貨物であった。

 

その中には昨年フォートド―ファンから約2時間離れた一つの村を訪れた際に、地元ボランティアの方々に協力いただき取り組みをはじめた活動の一つであるバオバブの木彫りが入っていた。

 

このバオバブの木彫りは、最後の写真のように前回訪れた際に、青年にこちらからリクエストをかけさせていただいたもので、私は、この木彫りを通じた交流で、日本の方々に現地の残された素晴らしい自然や、厳しい生活環境を知っていただく機会になり、そのことで地元の子どもたちや村民への応援へつなげることができればと思っている。

 

今回届いたのは、たった一つの小さな箱かもしれない。でもその中には、素敵な民芸品に込められた彼らの素朴な温かい心と、お互いの希望がめ―いっぱい詰まっていた。

 

まだまだ、ほんの小さなことの始まりだが、私は大切に育てていきたく思っている。

 

そしていつかは、この大地にそびえ立つバオバブのようになることを願い・・・

今日は朝一番の飛行機で羽田へと向かった。時間的には十分余裕があるのだが、遅刻は当然ながら、しくじりが許されない打ち合わせのため、心を落ち着かせるためにも早目に向かうことにしていた。


 

飛行機は定刻に到着し、ミーティングが行われる企業へと向かった。今回のミーティングは、私たちの活動などをプレゼンさせていただき、協業できることなど模索させていただいたり、指導をいただいたりするもので、参加者は日本を代表する企業の第一線で活躍されている方ばかりで、いつもと違う空気感で久しぶりに武者震いをした。

元来私はあがり症のため、人前で話すのが苦手である。それにもまして、このような状況のため極度に緊張していたが、それを察していただいたのかお気遣いをいただきながらのデジスカッションであったため、私たちのパフォーマンスや方向性を大まかながら伝えることができ、ありがたい言葉もいただき、あっという間に終わりの時間を迎えることになった。

それにしても、私たちと比べるのは失礼かとも思うが、圧倒的なスピード感の違いを強く感じ、多くを学ばせていただくことができた。それと同時に、日々動く時代のスピード感と、植物のスピード感をうまく調和させていくことも、私たち植物に関わる者の役割であるように感じた。

 

その後この場所を後にし、屋外にでると街は吹雪いていた。大雪警報も発令され、企業も強制退社を命じるところもある様子であったのと、私自身が帰阪するのが困難になりそうであったので、午後からの予定はキャンセルさせていただき、何とか欠航前の飛行機に飛び乗ることができ、無事夜に帰宅することができた。

 

 

いずれにしても自然の力の強さと、人の強さを同時に感じ、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクが凝縮されたエキサイティングな一日であった。

寒さではなく身が引き締まる思いである。さ~又右衛門 ここ一番の頑張りどころがやってきたかもしれない。アクセルを踏み込まなければ・・・。

17日 朝一番に羽田空港に向かい定刻に、グランフロントにてFM宝塚の方とミーティングをさせていただいた。

写真は先日10日に、宝塚の伝統に関わる番組の作成で取材と収録においでいただきたものであるが、その際に私たちの活動に強い関心と評価をいただけた。

※ちなみにその放送はエフエム宝塚 1月28日(日)15:30~16:00の番組内で流れますので是非お聴きいただければと思います。

 

そして今日は、それを受けて今後地元宝塚の企業として、何か一緒に取り組めないかとのお話などをいただき、又右衛門として宝塚の園芸や街づくりのお役に立てる活動になるのであれば、協力は惜しまないとのお話をさせていただきました。また具体的な事はお話ができるようになれば報告をさせていただきます。

その後は同じグランフロントの施設において、素敵な空間を演出されている企業からのオファーで、面白い案件のご提案をいただいたので訪問してきた。これもまた具体的になってきたらお話ができると思いますので楽しみにしていただければと思っています。

その後は、宝塚に戻り、あいあいパークでのイベントの打ち合わせなどで、近隣企業を訪問させていただき、バタバタながらも有意義な一日を過ごさせていただくことができた。

う~~ん。楽しい一日だった。

都内2日目。

朝から世田谷にある日本体育大学を訪れた。

まずは到着後、13か月前に開催された国際オリンピック委員会 第9代会長 トーマス・バッハ氏の日本体育大学名誉博士号 授与式にて記念植樹に採用していただいた樹齢約350年オリーブの状態をチェックさせていただいた。


 オリーブはとても元気な状態で、しっかりとしていた。葉の伸び具合からして、きっと根もしっかりついていると感じる。

この分だと、春からまた一層成長するであろうと感じ、とてもうれしく思えた。




植物チェックの後は、松浪理事長とお話をさせていただき、もうすぐ開催の平昌オリンピックと植物に対する強い想いなどを聞かせていただくことができた。今年も日体大に関わる選手では、高木美帆選手や高梨沙羅選手などがいて、メダルが大いに期待できる。とても楽しみである。

 そして帰り道に、今後の参考のためにサザエさん通りをみながら帰ることにした。

そしてサザエさん公園、長谷川町子美術館を訪れた。残念ながら時間の都合もあり、館内は観ることが出来なかったので、また来月にでもと思っている。

 その後は、場所を麻布に移し、春に開催されるイベントの打ち合わせと、夕方からは法政大学に移動し、顧問をつとめさせていただいている日本フローラルマーケティング協会(JFMA)の賀詞交換会に出席させていただいた。

久し振りに会う方々との交流させていただき、情報交換をさせていただくことができた。世代交代を進める協会に期待したいと思っている。

賀詞交換会の終了後は、小腹がすいたので新橋駅前の豚丼の超?大盛りをいただいた。最近お腹がすくことが多くなってきた。少し食べ過ぎ気味かもそれない。実際に体重も半年前からすると4kg肥ってしまった。かなりまずい。(豚丼は美味しい!)
超大盛を食べながら説得力はないかもだが、食生活は自分なりに、かなりストイックに送っているはずなのに・・・涙。ただ単に運動不足ということかな。それか不規則な生活のせいかな・・・。少しリズムを整えなければ・・・(^^;)

その後、ホテルに戻り、このブログとデスクワーク。明日は朝一番の飛行機なので4時30分には起きなきゃだから、日付も変わったし、そろそろ仕事は終わりにします。

明日から3日間は新しいプロジェクトでの打ち合わせなどで詰まっている。楽しみである。この続きは寝ながら考えます!

おやすみなさい~~~。

今日は、東京出張。

普段は日帰りが殆どであるが、今回は23日。といっても最終日は早朝の飛行機のため22日のような感じである。

初日、いつものように伊丹空港から飛行機で羽田へ。そして世田谷にある進化生物学研究所へと向かった。

 

そしてアポ時間より早くついたので、デスクワークを行うために近くのSTARBACKSに入ろうとしたとき、以前大阪でお花屋を開業するためのアドバイスをさせていただいた女性にバッタリ出会った。彼女は小さなお子さんを抱かれていたが、相変わらず若々しく、5年前とは全く変わらない雰囲気であった。現在も色々な事業を手掛けているなど、アクティブに動いているせいか生き生きしていて、そんな姿がとてもうれしく思えた。そして少しの時間であったが今後のお話などもさせていただき、またいつかどこかでというような感じで別れることになった。

そして待ち合わせ時間になったので、大変お世話になっている一般財団法人 進化生物学研究所 湯浅理事長とお会いしてきた。

 

湯浅理事長には昨年のマダガスカル研修や日々の研修にて大変お世話になっていて、今回も新しい研究や本年度のプロジェクトについて長い時間をとっていただきご指導をいただいた。


そして先月マダガスカル大統領が来日された際に、湯浅先生がシュバリエ(騎士)勲章を受勲され、その際の賞状を拝見させていただいた。

 

湯浅理事長は1973年以来マダガスカルを45回訪れ、研究をさることながら、テレビや書籍、ガイドなどを行い、マダガスカルを日本に紹介・親善につとめられたとのと、ボランティア団体の設立や活動もされ、マダガスカルに多大な貢献をされたからであろう。それにしても45回とは凄い。又右衛門も脱帽である。

その後温室で植物のレクチャーを受け、時間が来たので、目黒へと移動した。

 

目黒では、約10年前、私がアパレルではトップブランドのGIORGIO ARMANIとのミーティングのためイタリアに行ったとき、案内役をしていただいた音楽家の方と再会をさせていただいた。

彼女も10年前とはほとんど変わらず元気そうで何よりであった。お互い当時を振り返り、とても懐かしく、気がつけば時間が過ぎてしまうほど楽しくお話をさせていただけた。そしてこの方も、また今度どこかでと笑いながら、駅でお別れをした。

 

その後、時間は遅くなったが渋谷で久しぶりに同級生と再会し、色んな話を楽しくさせていただいた後、日付が変わる前にホテルに到着した。

今日も色んな人に出逢い。色んな人から学ばせていただけた。素敵な一日だった。

それにしても、約束しても中々会えないような人に、都内でバッタリとは・・・本当に面白く、不思議なものだと思えた一日であった。

関西では馴染みであるが、このブログを読んでいただいている方には関西以外の方も多いため簡単に説明させていただくと十日戎(えびす)とは、110日の本えびすおよび、その前後の9日(宵宮)、11日(残りえびす)におこなわれる戎社の祭礼である。その俗称は、「えべっさん」として商売繁盛の神として親しまれ、戎(恵比寿)神(「えびす様」)を奉り、参詣者が商売繁盛を願う一大行事であり、西日本では一般的である。


そして私も小さな頃から、この「えべっさん」が1年間の家族行事の中で、もっとも楽しみであったと言っても過言ではない。というのも、仕事でバタバタし、小学生であった私も休みには、仕事に駆り出され、中学生時代には、すでに貴重な戦力となっていたほど、家族はバタバタで、年末のカウントダウンも仕事をしながら迎えているような状況であった。そのような家族が集い、どこかにお出かけする機会は、このえべっさんを除けば、ほぼないに等しいため、私にとってはとても貴重な行事である。そして今回も会社有志と家族で西宮戎に参拝させていただいた。

今日の午後は雪混じりの冷たい雨が降ったり止んだりの天候のためであったためか、夕方18時ごろの参拝者の出足は、例年に比べかなり少なく感じた。

そのような中、私たちは毎年と同じように、お札を返却し、手水舎で手を洗い、参拝し、お札をいただいた。


そして毎年お世話になっている吉兆店にて縁起物を購入し、さらに神楽殿にてお神楽を舞っていただき、最後の荒えびす様参拝の後、一連の行事を滞りなく終えることができた。

 そして遅れてやってきたニュージーランドからのお客様と合流し、再度参拝と夜店を周り、おもしろおかしく、そしておいしく楽しい時間を過ごさせていただいた。


中には40年前と変わらないスタイルで今年も興行されているお化け屋敷や射的などの光景を眺めていると、時折恐る恐る近づく子どもたちや一喜一憂している姿を何度も見かけることができ、きっと自分も小さいころ同じような姿であったのであろうと思うと、変わりゆく時代によって、力ずくで脅かすお化け屋敷は、ハイテクや3Dなどでの恐怖映像に変わり、射的やスマートボールのような遊戯は、スマホなどのゲームに移行していったのであろう。その進化はとうぜん評価されるものであるが、このように昔と変わらない空間を演出されていることも大いに評価すべきものであると思う。


街は年々姿をかえていく。生活様式も変わっていく。多くのことが時代と共に変化していく。それは成長をしていくことであり、とても大事なことである。しかしながらそんな時代だからこそ、全く変わらない空間が必要であると思う。でなければ自分たちの変化を検証し、実感できないからである。私にとってこの西宮戎さまはそのような場所であるとも言える。

なので、これからも是非この場所は変わらず残り、できる限り毎年訪れたいと思う。時代の変化追いかけ、創ろうとしている自分たちをあらためて見つめ直し、自らが暴走していかないためにも・・・・・



さ~~商売繁盛!来年もみんなで参拝できるように1年間頑張ります!!!

今日は朝一番の飛行機で、鎌倉をめざした。

 鎌倉は恐らく20年前と10年前に来て、今回が3回目の訪問である。そして今回の訪問は都内で活躍されるNPO法人 フォーエバー・ツリー・ネットワークの後藤瑞穂さんにいろんなお話をお伺いさせていただくための訪問であった。

お昼前に鎌倉に到着し、後藤さんと素敵なスタッフの方々とのディスカッションさせていただき、ランチもご一緒し、植物&いろんな話でとても盛り上がった。

後藤先生は、樹木医として第一線で活動しながら、メディアにも多く出演されたりしており、その中でも「じゅもくい女子会」など、魅力的な活動もされていてとてもユニークな方であった。


ランチミーティング終了後は、富士山の観える近くの現場で実際に樹木医の活動を拝見し、その活動の意義、大切さを教えていただくことができ、多くの学びを得ることができた。


そんな方々との時間が過ぎるのは早いもので、出発の時間が迫り、後ろ髪をひかれる思いでこの地を後にした。

今回の訪問で、植物や大地、人に対しての想いでは、本当に多くの共通点を見出すことが出来て有意義であった。きっと今後も多くのことでつながりが生まれてくるように感じている。

 また帰りの機内では、後藤さんたちから頂いた素敵な言葉をしみじみとかみしめていた。

 これからも又右衛門としてその言葉を胸にしっかり刻み込み、頑張ってまいります~~。

1月6日、スタッフ企画の新年会が庄内駅前の焼肉屋さんで30数名が参加し無事?開催され。

 

仕事柄、忘年会は開催が厳しいため、新年会になるのだが、ここしばらく開催が出来ておらず、また普段でもシフトの関係もあるため、みんなで食事することがまずないので、社員の中から、声が上がり、開催できたことは大変うれしく思った。

 

会は、いつものように代表である私のすべった挨拶に始まり、食べ放題の焼肉を新年大食い選手権のように、お腹いっぱいいただき、食べ過ぎ、飲み過ぎによる脱落者は出かけたものの、何とか部長の典型的な締めの挨拶で無事終えることができた。

 最後に参加者全員で記念写真を撮らせていただいたのだが、その際、焼肉店店長様からお声掛けいただき、お話をうかがったところ店長の奥様が、数年前まで弊社で活躍をしていただいていた方であったことがわかった。


本当に不思議な縁であると感じたのと、とてもうれしくも思えた。

 

今回は、シフトの都合もあり参加できない人も多くいたが、それでもこのように30名を超えるみんなが集まり、それぞれに素敵な顔を見せてくれたことは、経営者としては喜びとしかいいようがない。本当に感謝である。

 

是非、これからも恒例行事として続いていくことを楽しみにしている。そのためにもみんなの足を引っ張らないように、私も頑張ります!

今日は阪急 宝塚線 服部天神駅前のピーコックさまにて、テラ・プロジェクトはすすめる植育BOXの第一号が設置され、豊中市職員の方々や市議会議員にも参加いただき、記念式典が行われた。

 そこでテラ・プロジェクト 理事長の小林昭雄様の挨拶に始まり、私もご挨拶をさせていただきました。

 またピーコックの上芝さまよりご挨拶と、温かい豊中で作られたとても美味しいレモネードを参加者全員にふるまっていただき、寒い屋外でしたが身も心も温まりました。本当にありがとうございました。



今回の植育BOXにはレモンを採用させていただきましたが、レモンの花の花言葉は「誠実な愛」「思慮分別」とあります。私は現代 様々な世間を騒がすことが多く起こっているのは、これらのことが欠如してきているのも原因の一つではないかと思うことがあります。

 

またレモンの実の花言葉は「熱情」すなわち熱い想い、強い感情です。

 

私は、この「誠実な愛」「思慮分別」「熱情」と、今の日本には、まさに薄れかけているのではと危惧しています。私は、これから予期できない苦難や問題に遭遇した時にこの想いをしっかり持っていれば多くのことが乗り越えていけると思っています。

そのような素敵な花言葉を持つレモンの木が、ここ豊中市に増えていくことで、さらに「誠実であり、情熱溢れる素敵なまち豊中」へとつながり、さらにここ豊中から日本に。世界に向けて拡げっていくことを願っております。

 

やっと第一号の設置をすることが出来ました。ピーコック様にも本当に感謝です。また推進にお手伝いいただいた市職員・議員の皆様にも本当に感謝です。

これからも是非皆さんと手をつなぎ、一緒になってこの活動を拡げていきたく思っておりますので今後ともよろしくお願いいたします。