四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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30日の夕方、成田空港を出発し、深夜チャンギ空港に到着した時には日付も変わり31日になっていた。
この日は、早々に部屋に入り、簡単なデスクワークを行い、遅い深夜眠りについた。
翌朝は遅めの7時起床。それから朝食を終え、シンガポール最大のガーデンセンターと、生花の卸、ネット販売を行っている会社をご紹介いただいたので訪問した。
かなり広い敷地に、多くの植物が立ち並び、多くのお客さんが訪れていた。
また生花棟では低温での室内で国内外の花が販売されていた。価格表示は二重プライスになっていて、BtoBとBtoCで価格が違う表示がされていた。
この販売棟の広さに圧倒されたが、それよりもネット販売を企画、受注、製作、発送しているところも、活気づいていた。
いくつか質問をしてみた中での回答で特徴的に思ったのは、まず配達までの所要時間。
ちなみに午前中に受けた注文はその日の昼から夕方までに届けるらしい。また夕方までに受けた注文は当日に配達するというスピーディーさがすごかった。狭い国だからこそできることかもだが、それにしても素早い。
繁忙期には1日4000件の配達があるらしく、ほぼ一年中営業とのこと。そのパワフルさがお店のスタッフの活気に現れていた。
そのような中、社長と、役員の方と、オフィスでミーティングをさせていただき、私たちの活動もお話させていただいた。
そして、私たちのオリジナルブランドである「又右衛門 MATAEMON」のはさみや、シザーケースなどの園芸ツールや、セラミック栽培による野菜工場、Ag+(電解銀イオン水生成器)などに興味を持っていただき、今後面白い取り組みになっていくかもしれないと感じた。
ミーティングを終えると、少し移動しシンガポールでメジャーな「チキン+ライス」をご馳走になった。チキンライスといっても、日本のものとは全く違い、蒸し鶏とうっすら出汁による味のついたご飯との取り合わせである。これがシンプルでとっても美味しかった。
今回連れてきていただいたお店は、有名店でかなり行列ができていた。
食事後は自社で経営のカフェでcoffeeをいただき、お昼過ぎまでの活動を終え、一旦ホテルに戻り、重い荷物を部屋に戻した。
その後しばらくして、歩いてチャイナタウン方面へと向かった。そして近くのグリーンをふんだんに使用しているロイヤルパークホテルへと足を運んだ。
やはり話題になるだけあって、素敵なエントランスで惹きつけるものがあった。
今回は、上階まで上がることはできなかったが、エントランスだけでも十分に見応えがあった。
そうこうしているうちに待ち合わせ時間が近づき、ホテルへと戻った。
今日のディナーは、オーストラリア一番のビジネスパートナーで、グラスツリー(ブラックボーイ)の第一人者であるStation Creek Tree FarmのDanny夫妻と一緒である。
彼らとは約半年ぶりの再会である。
お互いロビーで出逢うと、再会を喜び合い、しばらく雑談し、Dannyのシンガポールでのパートナー2社の代表と合流し、ディナー会場へと向かった。ディナー会場はGardens By The Bayの近くのレストランである。
合流してくれた2社は、シンガポールでいくつもの植栽工事を行っている建設関係のような会社で、Gardens By The Bayの工事も行っていてこのボトルツリーも、Dannyが手配し、彼らが植栽したとのことで話が弾む。
そして今年、Dannyの60歳の還暦を迎えるということで、盛り上がる。
美味しい食事にお酒も入り、さらに盛り上がる
おまけに私たちの会社の活動の中で、ガーデンデザインや野菜工場にも興味を持っていただき、さらにさらに盛り上がり、この歓迎会の最後には、ある一つのプロジェクトを立ち上げようとまで、話が発展し、早速帰国後取りかかることになりそうである。
これもシンガポールへの何かのきっかけづくりになると感じ、とても興味深く思った。
このような面白い話は時間が経つのが早く、気が付けば夜中になってしまったので、再会とプロジェクトの立ち上げを約束し、名残惜しいがお開きとすることになった。
そして部屋に戻り、半分意識がない状態でこのブログを書いています。
見直す力が全くないので誤字脱字乱文 お許しくださいませ。
また今日の二つのプロジェクトの内容は、また後日報告できるようになればアップさせていただきたく思う。乞うご期待くださいませ。
今日の素敵な出逢いに感謝です。皆様おやすみなさい。
今日、伊丹空港から成田を経由してシンガポールに向けて出国した。
私はいつもよりでバタバタしての出国の朝を迎えた。
と言うのは一昨日8月28日の朝 義父が他界したのである。享年78歳。
長らく病と闘いながら、本当によく頑張られ立派にその生涯を終えられた。
私はこの訃報を受けて、29日 お別れとお通夜に出席のために石川へと車を飛ばし、
実家で先に駆け付けている親戚のみなさんと再会をした。
そこにはほっそりとした現役バリバリで仕事をしていたころからは、想像できないような義父が、安らかに眠りについていた。
そして、枕元でお礼と亡き義父の話などをさせていただき、納棺のお手伝いをさせていただいた後、葬儀場へと移動、お通夜に参列し、お葬式には参列せずに、私だけそのまま宝塚へと帰り、仮眠後、シンガポールへ向けての準備を行い、時間通りに出国した。
本来であれば、渡航を再検討し、近い親族として、金岡家代表として、お葬式に参列するべきであったのかもしれない。でも私には、その迷いは生じなかった。
それは義父に初めて会った時に、交わしたたった少しの会話とその表情が私に焼き付いていたからである。
その時の少ない会話は、
義父:「趣味は何だ?」
私 :「仕事です。」
義父:「日本一になれるか?」
私 :「はい。なります。」
私は、何の根拠もなく、実績もそんな力も何もないのにも関わらず、そう答えた。
今更ながら私は何て厚かましい、身の程知らずの奴である。
でもしかし、その時、厳しい面持ちの義父は、うっすらと笑みを浮かべたことをおぼえている。
正直日本一何て程遠い。でも亡き義父との約束、実父からの教え、ご先祖さまから与えられた使命を果たすため、少しでもそこに近づいていくために、四代目 又右衛門は、今日も行ってきます。
最後にあらためて、離れた地から、亡き義父の冥福を祈るとともに、今までお世話になった皆様、温かいお言葉をかけていただいた皆様に、心より感謝を申し上げます。
今日は、以前より大変お世話になっている中川暢三様の計らいにて、大阪富国生命ビルにある「まちラボ」に訪問させていただき、一般社団法人テラプロジェクト 理事長で大阪大学名誉教授の小林昭雄先生、一般社団法人シーズ・オブ・ライフ代表のジョン・ムーアさんと、面談の機会をいただけた。
そこで小林理事長が今まで手掛けられてきたことや、今後の方向性についてご教授いただき、ジョン・ムーアさんの活動や、めざすところもお教えいただき、本当に勉強になった。
そして私たちの活動や方向性を伝えさせていただくことができ、両名から過分な評価をいただくことができた。
私のような若輩が言うのは大変失礼であるが、互いの活動を理解し、共感するに至るまで、時間はかからなかった。
さらに今後大阪発信で進めていきたいことなどについて、かなり熱い議論を交わすことができた。そして「大阪から日本へ。世界へ。地球へ・・・」とつながっていく「食・植・教育」を基本に考えた「命」とう壮大なテーマで、大まかながらだが問題や目的意識、方向性も共有でき、新しいプロジェクトへの足掛かりとなる第一歩を踏み出すことができる絶好の機会になったと思っている。
そのようにして、とても有意義な時間は、経つのが早く、あっという間にタイムリミットを迎えてしまい、参加者全員がこの場を名残惜しく感じ、できるだけ早い再会を約束して、それぞれがまた次の地へと足を運んで行った。
このプロジェクトはまだきちんと動いてはいないが、近い将来、形にしたい。形にしなければならないということを痛切に感じた。
また皆さんに報告できる時が楽しみである。
今回は2泊3日のため、今日が最終日である。
昨日と同様にホテルで朝食を済ませた後、オフィスビルでお世話になった皆さんに挨拶をして、杭州市内視察へと向かった。
今日は中国では、七夕の日である。七夕の日は、お世話になった人や異性に花を贈る習慣があるそうで、店先には通常より派手な花束が多く並んでいて、とても賑わっていた。
ここにあるブルーの大きなラメバラの花束で約25,000円。そこそこの価格である。
恐らくこれと同じものが日本で売っているとは思わないが、あるとしたら価格差はそうないのではと思った。
この他、日本にはない中国ならではの染め蓮の花びらをバラのように折り込んだものもあったのや、相変わらずのクマ使いがユニークに感じた。
その後近くを散策し、西湖経由で空港へと向かった。
浦東空港にはほぼ予定時間に到着し、出発まで今回の訪中での決定事項の再確認を今後のスケジュール調整を行い、それぞれが別れて出発のターミナルへと向かい、私たちは関空をめざすことにした。
普段であればこのブログは飛行中の機内で書いたであろうが、今回はここからが大変であった。
ほぼ定刻に飛行機に乗り込み出発待ちをしていたら、悪天候のため待機中とアナウンスがあったので、早く出ないかな~~と思いながら時間が経つこと約2時間。あらためてアナウンスがあった。
それは下記のよう・・・
「上海浦東空港上空に積乱雲が発生し全便出発を見送っています。現在のところ出発を待機している飛行機は80機。そのうちこの飛行機は25番目です。天候回復までしばらくお待ちください。」
とアナウンスがあり、上空で食べるはずの食事が配られた。
そして80機中25番目が早いのか遅いのかもわからないまま、ひたすら待ちながら、
機内で待つこと5時間弱やっと浦東空港を飛び立つことができた。
そして何とか関空に到着し、そこからりんくうまでタクシーで移動し、そこから運転して宝塚に戻りました。
そして今自宅に帰って眠気と戦いながら、このブログを書いています。
今回もトラブルがありながらも素敵な出逢いがあり、大きく前に一歩踏み出せたように思う記憶に残る訪中になりました。
そうこうしているうちに時計に目をやると4時をまわってしまい、誤字脱字意味の分からないところも多いであろうこのブログをみなおすこともできずに、失礼とわかりながらアップし就寝します。
おやすみなさい。
この日は、朝から会議室にて私たちの取り組みについてのプレゼンテーションを行った。
その後、今後の進め方などについてのディスカッションを行ない、双方から前向きな意見交換がなされ、目的共有することができ次へのステップを踏むことができた。
午前中いっぱいでミーティングを終えて、午後は植栽用花木の確認のため、浙江花木城に向かった。
ここには日本から来たであろうイヌマキやサルスベリなどかなり大きなものがあった。
中には10メートル以上もあるサルスベリもあり、もしこの木からサルが滑ったら、さすがに即死するのではないかなど、暑さのあまりか変な心配をしてしまった。
施設内を一周して暑さのあまり大きく体力を消耗したため、その後の市内視察を明日にまわし、オフィスに戻り、合意書など契約のための準備を行った。
そこで大まかな合意書を作成することができ、今回のプロジェクトは大きく前に動いた。
そしてテクノパークが一望できるオフィスビルの最上階からあらためて今回の施設を再確認し、ここでの取り組みに夢を膨らませることができた。
そうこうしているうちに時間も経ったので先方の総経理による皆さんとの晩餐会に参加し、さらに色んな夢を語り合うことができた。
晩餐会終了後、場所を西村さんの行きつけの日本食レストランに場所をうつし、最終の打ち合わせを行い、部屋に戻った。
部屋に戻ると、ベッドメイクのスタッフから1枚のメッセージが置かれていた。
少し疲れた身体にこのメッセージは何よりのカンフル剤になった。
とてもうれしく思えたのと、さらにこの地で頑張るぞ!という気持ちを植え付けてもらえた。ここのスタッフに本当に感謝である。
私はこんな素敵な気分に包まれながら、眠りにつくことができた。
18日から20日 弊社グループのプロジェクトチーム4名で中国 浙江省 杭州 蕭山区へと向かった。私は今回で3回目の訪問である。
訪問の目的は、日中園芸交流マーケティングセンターおよび緑化秀との、今後の展開と契約についての調整である。
中国の緑化秀とは弊社が関わらせていただいたセラミック栽培技術が、一足先に取り組みを始め、続いて私たちの植物を使ったガーデンおよび空間デザイン、その他オリジナルブランド展開をめざしての打ち合わせである。
昼過ぎに浦東空港で4名が集合、そこに中国側からお迎えに来ていただき、空港内で簡単な食事を済ませ、早々に車に乗り込み約3時間弱で、目的地である伝化科学技術城に到着した。
そして簡単なミーティングをしたのち、早速現地の進み具合を確認した。
OPENを2か月後に控え、まだまだ未完成なところもあるが、前回訪問時より着実に進行はしていた。そこで現場を見ながらの調整を行い、この日は現地でお世話になっている西村氏と食事をすませホテルでデスクワークをして、深夜就寝した。
先週一週間は、生花仲卸事業は、最終コーナーという本当に忙しい時期を迎えた。
今年は高温などによる全国的な花不足のため、皆様に希望通りの十分な提供をできなかったことをまずはお詫びを申し上げたいと思います。
ただそのような中でも数十年来、契約栽培でお世話になっている香川県 キク生産者の方々や岩手県 リンドウ生産者をはじめ多くの生産者のご協力や兵庫県生花市場はじめお世話になっている市場の皆様のおかげで、何とかお盆の繁忙期を乗り切ることができたことを感謝したいと思う。特に生産者の皆様と共に歩んできた長い月日の意義深さを痛切に感じるお盆になった。
スーパーの花屋さんでは、「花不足のため品切れ」という看板を見かけるほどの状況、
これだけの花不足はここ数十年無かったように思う。このブログを読んでいただいた消費者の皆様には、このような厳しい状況で業界の皆が様々なことを削りながら努力していたことを少しでも知っていただきご理解いただければと思う。
それに反して植物卸は比較的暇な時期に入る。それでも輸入植物などは全国各地から問い合わせいただいたり、海外から数名で弊社お越しいただいたりの日々でバタバタしていた。
海外から弊社でしか扱うことができない輸入植物を求め、世界を走り回っていたときからわずか数年で、海外から依頼をいただくことができるようになってきたのはとてもうれしく思う。
そして今週も海外へと足を運ぶ。日本の素晴らしさを背負って。
このように、私はいつもの不規則なペースを保ちながら、まだ目の前に見えない新しいことへの取り組みに、いつもの不規則なペースを保ちながら、ほとんどの時間を費やすことができるのは、お盆期間中も不眠でがんばるスタッフのおかげでと、ご先祖様のおかげであることを改めて感じることができたお盆であった。
写真はお盆に活けた切り花のハスである。
ハスは切り花では中々開花することはない。でもきちんとした行程で経れば、開花も可能である。
今すぐに全てのハスがこのように咲かせることができるかということは、流通の問題をはじめ、ほぼ不可能である。
でもしかしきっと花は咲きたいと思っている。扱う人も咲いてほしいと願っているはず。
であるならば、そこへ近づく努力を惜しまないのが、薔薇園流、又右衛門流であるべきでないかと思う。
植物への「生」のこだわり、そして尊厳・・・。あらためて私たちが一番忘れてはいけない事であるというメッセージをこの蓮の花からもいただけたように思う。
今はお盆商戦真っ只中である。そのような中、私は自ら進めていく仕事に関わらしてもらっている。問題なく全てできていると言えば、多くのお客様にお叱りをいただくであろうが、生花 仲卸 ローズガーデンでは、悪戦苦闘し、少しずつ自ら進化しようとしているスタッフを、私はあたたかく見守るだけの存在であり、そんなスタッフの心意気に感謝である。
そのようなことで、私はは海外出張などで、全くメンテナンスできていなかった デザットプランツの試験圃場を兼ねた、ローメンテナンスのモデルガーデンへ。
約一年前の植栽から、ほとんど手は入れていない。水もやってはいない。そのような中、雑草は生えたものの、デザットプランツは問題ないようだ。しかしその中でも大きな違いが出てきていた。
写真左から順にスペイン産 「ユッカ ロストラータ ブルー・スワン」。続いて
同じくスペイン産「ノリナ ネルソニー」続いてメキシコ産 「ユッカ ロストラータ」そして最後右端が再びスペイン産「ユッカ ロストラータ ブルースワン」
はじめの個体の大きさに違いがあるものの、生育に大きな差が出てきている。またメキシコ産は、不健康な状態である。恐らく両者は根の張り具合大差が出ているからであろう。
いかにしっかり発根した状態のスペイン産が、様々な耐性があり、メンテナンスが容易であることから、梅雨のある日本に適しているかということが言える。また引き続き観察を続けていきたいと思う。
そして、この植栽のメンテナンスの際に、激痛がはしった。
一瞬の出来事だったのではじめは、アガベの棘が奥まで刺さったのかと思ったがそうではない。
一瞬恐竜に喰われたのかとも思った。でもそんなことはあり得ない。
よく見ると、植栽の奥にハチの巣があった。それに気づかずに手を突っ込んでしまい、ハチの逆鱗に触れてしまったようである。
このガーデンも化学農薬を使わずに管理しているので、ハチにとってはいい棲家かもしれない。そんな元気なハチの巣に手を入れてしまったら仕方ないことだろう。
それにしても刺されどころが悪かったのか、肩までしびれてしまい、作業が途中でできなくなってしまった。
今回は酷暑の中での作業、多く報道され気をつけなければならない熱中症対策のため、頭をタオルで覆い、分厚い長袖、長ズボン、ペットボトルを横においての作業で万全だと思っていた。
そこにハチに刺されるとは、全くの想定外であった。
この痛みをせめてもの学びにしたいと思った・・・。
先週の金曜・土曜日、山本園芸流通センターにおいて、山本納涼盆踊りが開催された。
この盆踊りは山本の各団体が力をあわせる地元メンバー手作りのイベントである。
この盆踊りを行うためには準備 本番 片付けなど多く日数が必要とされる。それをほとんど地元の有志で行っているマンパワーの凄さには、いつもながら驚かされる。
そのような中、自社の用事で、連日の睡眠不足で動きが鈍い私は、殆んど役に立たないため、
お面売り場という素晴らしい場所を与えてもらった。
勤務態度はこんな感じ(笑)
お面はショッカー。と言っても知らない人も多いだろうが・・・。
陽も落ちる頃には、この地にこれだけの子供がいたのか?と思うほどの人出である。
お面売り場の売り上げも上々であったと思う。
ただこのショッカーは中々売れない。私が被っているからではないとは思うが・・・
どうしたらお面が売れるのかや、お面の名前を覚えようとしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまい、1日目を終え帰宅した。
そして2日目。
今日も担当はお面売り場。ありがたい話である。
今日は人気プログラムであるビンゴゲームがあるため、その前後は相当な人手になる。
そんな合間を縫って、私は今日もこんな感じ。
この写真を見ていただいたように、ほとんど私は戦力になっていない。むしろ邪魔な存在である。(笑)
でもこんな私を、邪魔者扱いせずに、受け入れてくれるスタッフの皆さんの懐の深さには本当にうれしいものである。
さらに、酷暑の中、準備や片付けをいやな顔せず、子供たちのためにと、当然のことのように大汗をかいて行っている皆さんの姿は眩しいばかりである。
是非、未来の宝である子供たちには、このような多くの温かい目に囲まれた中で、すくすく、のびのびと育ってほしいと思う。そして将来この山本、そして日本を背負っていって欲しいと切に願うものである。
今日はお一日。ここ2か月、海外出張などで、不在のため久しぶりにベースキャンプで1日を迎えることになった。
まずは自宅の神棚に始まり、宝塚本社の神棚をおまつりし、氏神様の松尾神社を参らせていただく。
続いて豊中に移動。大阪営業所の神棚、ローズガーデンの神棚をおまつりし、氏神様である春日神社を参らせていただく。
これは、いつものルートであるが、この8月は毎度と違って、一つお礼と報告の際に加わることがある。
それは一年間のお礼である。というのは、私たちは7月決算のため、8月が新年度となるからである。
今年1年間も多くに人に出逢い、多くの人に助けられて、このように変わりなく新年度を迎え、お礼の報告をすることができた。本当にありがたいことである。
そして何より、決して上向きの経済を感じることがない、むしろ厳しい状況でありながら、歯を食いしばりながら、笑顔で耐え忍びながら、何とか新年度を迎えることができる結果を出してくれた素晴らしきスタッフに感謝である。
私はこのスタッフの努力に報いるというより、さらに甘えさせていただき、新年度も多くのことに挑戦していきたいと思っている。
まずは新会社の設立である。この件については、しばらくして発表させていただきたいと思っている。またこの他にも新たなことが形となって始まろうとしている。正直不安なこともあるが、明らかに希望が勝っている。ドキドキ、ワクワクである。
それにしても、多くの人との出逢いがあって、それが少しずつ形になっていく。
スタッフの努力ももちろんだが、決してそれだけではない。私には目に見えない力が後押しをしてくれているように感じている。