四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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日本時間深夜にシンガポールを出発し、朝、羽田に到着。
午後には伊丹空港に到着した。
今回、オーストラリアとシンガポールを訪れて、南オーストラリアでの新しい出逢いに始まり、各ナーセリーでの再会。
さらにシンガポールでの様々な出逢いがあった。
初めて訪れた南オーストラリアのビクトリア州では、大自然に包まれながら、素晴らしい植物や人と出逢うことができ、
また新しいことが始まろうとしている。
クイーンズランドの、Station Creek Tree Farmでは、2年前に互いが力をあわせ、私たちの最後のミッションとして、日本向け輸出方法を確立させると、手を握り合ったときのままの、変わらずの温かく、そして熱い心に触れることができ、まさに今年その答えが出るかもしれない。
最後に訪れたガーデンバイザベイでは、私が日本でSole Agentをつとめさせていただいているビジネスパートナーからの生き生きした植物が多く立ち並んでいて、多くの人を魅了していた。その植物たちの雄姿を眺めていると、自分たちパートナーの偉大さと、その人たちのビジネスパートナーであることに誇りを感じるとともに、まだまだ小さすぎる自分と、色んなものへの足らなさを痛感させられたが、それと同時に多くの人が支えてくれていることを感じることができた。
そしてこの行程の全てにおいて、数年前Asakoさんを通じて知り合ったKaoriさんやMegumiさんに本当に助けられた。
縁というのは本当に不思議であり素晴らしいものであると思った。
巷では出逢いは赤い糸で結ばれているとよく言われる。私もそのように思う。
きっとDannyともそうであろう。それが互いを信じ、尊重した結果、細かった赤い糸が太いオレンジ色の紐にまで育ったように思う。
その証として願いを込めて、小さなボトルツリーにくくりつけてきた。
読んでいる人は全く意味が分からないと思う。ブログでは失礼な話であろう。でもあえて書かせてもらった。素晴らしきパートナーへの尊敬の意を含めて・・・・・
ロシア、オーストラリア、シンガポールと2週間で周り、まるで四季を渡り歩いてきたかのような感じすらしています。2週間で一つ歳をとったかもです(笑)
確かに疲れてないと言えば嘘になるかもしれない。でも多くの人に助けられて、それにも勝る大きなものを今回も得ることができました。
また新しく多くの扉が開いたように思う。縁という鍵によって・・・・・
相変わらずの稚拙な文章、誤字脱字ご容赦願います。本来なら人にお見せできるような文章ではないのですが、恥をしのんでアップしていることの本意を受け取っていただければと思っています。
ありがとうございました。
早朝、連日お世話になったクッキーさんの家を出発。渋滞に巻き込まれながらも無事予定通り、ブリスベン空港に到着した。
そしてここで今回もお世話になったMegumiさんとはお別れである。通訳もさることながら、常に笑顔を振りまいて、私たちをなごませてくれた。本当にありがたいことである。
また近いうちの再会と、互いの成功を約束し、笑顔で互いの目的地をめざした。
長かったような、短かったようなオーストラリア訪問もここで終わり、トランジット先のシンガポール空港へと向かった。
移動中はちょうど昼まであったので、そのまま置き続け、ひたすらデスクワークをつとめた。
たまった仕事や、稚拙なブログ原稿を書いているうちに、気が付けば6時間ぐらいが経っていた。
ただここから羽田行の飛行機まで時間があるため、シンガポールで一時入国をして、
Garden by the Bayへと向かうことにした。
入国審査を済ませTAXIに乗ろうと思ったが、あまりにもすごい行列に驚き、近くにあったシャトルバスに乗り込もうと考えた。
カウンターで聞くと、あと5分ぐらいで出発とのこと。シンガポールドルを持っていないが、ともあれ飛び乗ろうと思い、バス乗り場に直行した。
そこでスタッフに間に合いましたか?の問いかけに、OK ここで待て!と言われ、ホッと胸を撫でおろした。
それにも関わらず定刻にバスは来ない。結局ここで30分待たされることに。こんなことなら両替の時間が十分にあったと嘆いてしまった。
そして、シャトルバスにてガーデンバイザベイへと向かった。でも待たされるのはここだけではなかった。
ドライバーはコースを離れ、ガソリンスタンドに入った。それだけならまだ我慢ができるが、給油で並んでいたのだが、バスの前のタクシーが車を放置し、後続を待たせ、中のショップでゆったり過ごしているではないか。あり得ない。
さらにバスのドライバーもクラクションを鳴らしながらも、ただひたすら待つだけで、他の給油レーンへと動こうとしない。どうなっているのだろう。車を放置していくドライバーに、それを待つドライバー。どっちもあり得ない。そうこうしているうちに約20分を費やし、空港からガーデンバイザベイまでタクシーで約15分の距離をバスで1時間30分の時間がかかってしまった。
そのためにここで私の過ごせる時間は、約1時間になってしまい、どこのエリアを最優先して視察しようかと思いながら、足早にバスを降りると、そこには大柄の男の人が立っていた。
そしてその人にまさかと思いながら、声をかけると「Hi Kanaoka!」と返してくれた。ブリスベンのビジネスパートナーであり、師であり、友人であるStation CreekのMr Dannyが、ガーデンの要人に連絡を入れてくれていたのである。
そして私は彼に導かれ、スタッフカートに乗り込み順番に視察をさせていただいた。
まずは最重要のフラワードームへ突入。
ここには、今回訪問したパートナーのDannyから送られてきたグラスツリーやボトルツリー、キャサリンのパートナーである Joeから送られてきたバオバブなどをはじめ、とてもユニークなものが、これでもかというほどに植栽されていた。
正直私はこの光景に圧倒されてしまいそうになった。中には管理がかなり難しい植物も多くありながら、こんなにも素敵に並んでいる。確かに自生とは違うが、かなり力強い。
ただ茫然と立ち尽くす時間もなく、カートの乗り降りを繰り返し、スカイウォークなど全ての施設を足早に約1時間で駆け抜けた。
通常なら1日かけてもみたらない。要所だけでみても3~4時間かかる行程を、とても素敵な配慮で、強引ながらも1時時間少々で視察を終えることができた。
お世話になりました。本当にありがとうございましたと挨拶させていただき、お互いがお互いの背中を優しく見送ることになった。
このガーデンバイザベイでのあまりにもの素晴らしさに驚かされた。でもこの施設の植物に驚いたのは、恐らく一般の人よりも私の方ではないかと思う。
何故ならば、自分が追い求めてきただけにわかる希少性の高い植物を、物の見事に管理をしているからである。本当にすごい。さすが世界が認めるドクター タン氏のみができることであると思った。残念ながら今回は急すぎたため、面談をいただく機会は、いただけなかったが、いつの日かまた近いうちにお会いできればと思った。
そしてまた、降りた同じところでシャトルに乗り込むことができた。
今回は待ち時間は5分程度で済んだ。これで何とかシンガポールドルを持たず文無しで、入国したのだが、無事空港に戻ることができた。
そして空港の一角で時間と意識がある限りでこのブログを書いている。
さて後は、日本へ帰るだけである。羽田に午前中に到着し、午後には大阪に戻れるであろう。
少しホッと気分で、コーヒーをゆったり飲むことにしよう。
では、今夜もまた日付が変わってしまったのでパソコンを閉じることにします。
次回で最後です~~。無事帰国したら、最終稿をアップします。
早朝、お世話になったクッキーさん宅を出発。
この日は私が運転するためレンタカー会社に立ち寄り、私の名前の再登録手続きを済ませ、ビジネスパートナーのナーセリーへと向かった。
オーストラリアでの運転は、基本は日本と同じなので、違和感がない。
ただ日本ではないロータリーでの転回などが、慣れない私には強敵である。
それと厳しい交通ルールと罰金・罰則。
日本では10km/hぐらいのオーバーであれば、スピード違反で捕まることなどまずない。だがここオーストラリアでは、市街地にも監視カメラが多く設置され、数kmオーバーや信号無視などを記録され、後日違反通達が来るとのこと。
これには普段違反をしない私でも、かなり神経質になってしまった。
さらにレンタカー会社によっては事故の免責額が50万円。事故を起こしてしまった場合は損傷の程度に関係なく50万円が必要とのことで、それにも驚いた。これは慣れない日本人にとっては、かなりストレスとの戦いになるであろう。
そして出発から1時間強、いつもの川を渡り目的地であるStation Creekに到着。いつものように、Dannyをはじめ、皆さんが私たちを温かく迎えてくれた。
車を降り、家に入ると食事の準備をして、私たちの到着を待っていてくれた家族と一緒に、楽しい朝食をとらせていただいた。
朝食後、早速、昨年から日本向けに出荷準備を行っているザンソレア(別名グラスツリー ブラックボーイ)グラウカの仕上がり具合をチェック。
ご存知の方も多いが、このグラスツリーという植物は、土を落とすと、多くの個体がストレスなどから枯れてしまうのである。
だからと言って、日本向けに出荷するには、この作業だけは手を抜くわけにはいかない。
特に国際ルールを重んじる私たちにとっては、ひとかけらの土すら残すことができないのである。
その作業は重機でグラスツリーを吊り上げながら、高圧洗浄機で洗浄をするのだが、それだけでは確実には土は取れない。さらにノミのような細いものやブラシを使い、根を傷つけないように、まるで古墳の発掘作業の様な作業を、何度も繰り返していくのである。
それはとても気の遠くなるような作業である。
そのようにして、丁寧かつ正確に、一本一本仕上げていくのである。
生息地の土をそのまま使用したものと同様には仕上がりにはならないが、今回、色んな研究者とナーセリーオーナーと私たちで取り組み、チャレンジしてきた方法が、十分に発揮され、何とか良い感じで仕上がってきている。本当にうれしいことである。現地での努力に最敬礼である。
そしてもう少し養生させ、根が一定のラインまで張るのを確認できたものから順次、日本へと動かし始めることになる。
早いもので今春からの入荷になるであろう。是非期待していただければと思う。
そして、グラスツリーの確認を終えて、再びオフィスでミーティングに入った。
そして驚きの事実を聞かされる。それはザンソレア グラスツリーの輸出に関することである。その詳細については、確実な情報を取得してはいるものの、再確認ののち、皆さんに報告をしたいと思う。
ただこれだけは皆さんに言える。ここで出国待ちのグラスツリーが、無事 日本に到着した際は、どれだけ貴重なものになるであろうかということを・・・。
そして、さっきの驚きによって、多くのことが頭の中を駆け巡り、少し動揺はしたものを落ち着かせてくれたのは、温かい心のこもったランチであった。
どうですか~~。このボリューム。それもチキンのみ!
この料理が出てきた時、涙が出そうになった。私が前回、訪問した際に、チキンをおいしそうに頬張っていたのをおぼえてくれて、私にお腹いっぱいチキンを食べさせるために、他には何もつくらず、食べきれるはずもない量のチキンを焼いていてくれたのだろう。
私はこの料理を頬張った時、本当に熱い思いを感じ、今までの色んなことが交錯していたモヤモヤが吹き飛ばされたような気がした。
そして、ランチを終え、しばらくの間ミーティングを再開し、短かった素晴らしい時間を終え、ナーセリーを後にした。
帰る途中で、気になる可愛いボトルツリーを、次回用にマーキングをして帰った。
このマーキングの本当の意味を気付く人はいないと思うが・・・。
帰る途中の、すぐそばの広大に拡がった芝生が、いつもより、やけに澄み切って見えるように感じた。
そして、私たち一行はブリスベン市街に入った。ここでオーストラリアでの作業を手伝った若き助っ人を、留学のために残して帰り、レンタカーを返却し、宿泊地をめざした。
今日の宿泊も前日お世話になったクッキーさん(笑)が引き受けてくれた。連日の突然の訪問にも関わらず、気持ちよく放浪者のような私を迎えてくれる本当に素敵な方である。さらにここでも好物のチキンにめぐりあえ、心もお腹も満たされた気分になった。
そして少し冗談交じりの楽しいディナーを終え、私は再びパソコンに向かった。
ただ私が電池切れに近い状態であったので、2時間でギブアップ。日付も変わったのでオーストラリアでの最後の夜を、この行程において初めて広いベッドでゆったり眠ることができた。
さて明日から日本へ向けて、出発。
もう少し頑張ろう。
先日同様、朝5時半起床。
かなり眠い。連日の睡眠不足であまり頭がまわらない。さらに今日の最終目的地であるブリスベンでは、サイクロンの影響がまだあり、フライトの確約も出ていないので少々不安も残っている。そんな中、コーヒーと糖分を無理矢理、身体に注入して、気合をいれて手早くパッキングを済ませ、7時からのミーティングに備えた。
いよいよ。ここでの残された時間は午前中だけである。ただ昨晩済ませた準備通りで行けば何とか朝食を食べに行く時間もあるだろうと思っていたが、きっちりその期待は裏切られた(笑)
お互いこの仕事にかける意欲と将来性について語り合い始めると、アジェンタ通りには進まない。決して言い合いをしているのではない。自分勝手なことを主張しているのでもない。
ただ単に一生懸命、素直に互いの思いをぶつけあっているだけである。
そして朝食に行く時間もなく、用意していただいたスナックをつまむのが精一杯の状態で時間が通り過ぎていく。
そんな中、通訳をしていただけているKaoriさんも巻き込んでしまい、それぞれがヒートアップ。その場で続けるのが厳しくなり、しばし休憩をとりクールダウンをさせることにした。こんな熱い話し合いは久しぶりである。
そのように時間が過ぎていく中、きちんと活路を見出すことができた。それはお互いが強い期待感を持ち、互いを尊重していただいたからであろう。
そして彼は、「こんな遠くまで来ていただき、真摯な態度で向き合ってくれた人をこのまま返すわけにはいかない。あなたへの感謝と期待を込めて、特別なプレゼントとして、私たちのみが出荷できる素敵な品種の日本での独占販売権とレア植物の優先販売をします。是非よろしくお願いします。」と、そっと手を差し伸べてくれた。何とも言葉にできない瞬間である。
今でもその感触が手に残っている。毎日の作業でゴツゴツしているはずの手が、優しく力強く感じることができた。
そして、残された時間で、できるだけのことをすすめ、様々なレクチャーと、今後について話し合った。気が付けば残り時間を費やしてしまったのでミーティングを終え、ナーセリーを出発することにした。その際に、日本から持参したお土産を各人に渡し、また彼らも私にプレゼントを送っていただけた。
彼はこの場所において、金岡向けのプランテーションを計画しますとまで言っていただけき、あらためて手を握り合い、期待感、充実感、責任感を同時に感じながらこの地を離れることになった。
そして、ナーセリーからは到着からずっとそばにいてくれたオーナーの息子さんの運転で、空港へと送っていただき、無事夕方メルボルン空港まで到着した。
息子のサイモンさんと、最後の握手を交わし、彼らとの別れを惜しんだ。
そしてここで今回も通訳をしていただいたKaoriさんとお別れである。
彼女には本当にお世話になった。想い一杯で強く、時には方向性を見失うナーセリーの3名意見と、日本語すら怪しい私の熱い語りの狭間で、頭をフル回転させて頑張っていただけた。きっと彼女でなく、通常にエージェントに手配された通訳では、あきらめてできなかったかもしれないと思う。本当に自分は恵まれていると思った。
そして、あらためて彼女にお礼を告げて、ここで別れることになった。
そしてブリスベン行の飛行機をチェックインした。幸いサイクロンでの影響も、うまくすり抜け、遅れはしたものの、無事ブリスベン空港に到着した。
ブリスベン空港には、Kaoriさんの友人で、前回もとてもお世話になったMegumiさんが向かえに来てくれていた。
そしてここからレンタカーでナーセリーに向かう予定であったが、道中がサイクロンの影響で、向かうことができずブリスベン市街での宿泊を余儀なくされた。そしてホテルのブッキングをしていなかったので、どうしようかと思っていたのだが、Megumiさんが、親しい友人宅を手配していただけて、そこで明日朝、早くの出発をすることにした。
夜は、素敵な友人宅で一緒に食事をさせていただき、その後、明日の準備と、またまた今回の記録を深夜まで、時間を費やし、電池が切れたので横になることにした。
数時間の睡眠後、早朝起床。今日が本格的活動日になる。
まず朝7時 朝食前にナーセリーのオフィスでモーニングミーティング。
本日と明日の活動予定と今回のビジネスの方向性の確認。
8時30分から近くのレストランに移動し、朝食をとりながらも、打ち合わせ。
その後戻り、まずは自生しているところを散策。レアものやユニークなものを探しに行くことになる。
まずは、ディクソニア アンタルクティカが多く、自生する場所へ。
専門の方なら、ご存知の人も多いかもですが、日本国内に輸入され、流通している木性シダは、ほぼこの品種と言っていい。別名 ソフトツリーファンなどとも言われている。
この種の特徴は、ベアルートで入荷させても、発根、活着しやすいと言われているため、手がける輸入者も多いと思う。昨年の私たちの入荷テストでも発根している。
ただ現地に行かず、日本にて購入できるものには、私自身個人的にも興味が薄いし、日本のカスタマーも、私とパートナーシップをもっていただいている意味がないと思うので、何か面白いものがないかと探索。
早速自生地に足を踏み入れてみる。そんなに険しい道のりではないが、国内の整備されたナーセリーとは当然違う。
途中で野バラのつるに足を引っかけられたり、ヒルにくっつかれたり・・・。
日本であれば蚊に刺されただけでもネガティブであるが、ここではそんなな状況であっても興奮しているためか全く痛みは感じない。それどころかさらにエキサイトしてくる。
そのような中。日本ではないであろうユニークなタイプのもの実際にいくつか探しあててきた。早ければ今春には届くであろう。是非続報を楽しみにしていただければと思う。
続いて他の種のものを・・・
これはキャティア オーストラリス。この発音では通じず。サイアスィアと言った方がいいみたい。別名 ラフツリーファン。
遠目には、ディクソニアとほぼ同じ。一般の人なら、間近にみても違いを感じられないほど。
でもこれは品種の違いではなく、植物の分類自体が違う種であり、輸出にはクリーニングなどの手間が多くかかる。また輸入後の発根などの管理が難しいので、輸送にテクニックが必要である。
さらにワシントン条約の規制対象種でもあるため、手続きも煩雑になってくる。
それであれば、わざわざそのような多くのリスクを抱えてまで輸入する必要はないであろうと思うであろう。
でもこの種はディクソニア アンタルクティカに比べ、多くの欠点こそあるが、とても大きな利点がある。それは、ディクソニアが直射日光には、弱いのに対し、発根活着すれば、直射日光にも強いという屋外管理や庭植えにするのはとても大きな利点があるからである。これなら格段に活用範囲が広がってくる。
それら以外に、次のこのような品種のものを、自生していたり、ナーセリーで管理していたりしているものを見せていただくことができた。
Dicksonia(ディクソニア)では
Cyathea(サイアスィア)では
これらのように幹が黒光りするもの。ゴールドに輝くもの。シルバーに輝くものなど。
この中には、かなりのレアものがある。
シルバーのものは、葉を裏返すと、裏白の様にシルバーに光ることから、原住民が、裏返した葉を山道に敷き、道標がわりに利用をしたとのことであった。またニュージーランドのオールブラックスなどの紋章にも描かれているとのことを教えられた。
この中から厳選したものを、1年以上かかっても良いので、慎重に養生し、最善の輸送手段をとって、輸入をしていこうと思っているので、ご期待いただければと思う。あ
さらに進み巨大なツリーファーンに勇気と力を充電し、遅めのランチも兼ねて、近くにあるパークへ移動した。
今まではツリーファーンの下もしくは横を歩いて来たのだが、今度は上からディクソニアを見てみた。私たちは間近に触れて、見ることができても、このように上から見ることはここでしかできないのではないだろうか・・・。
天に向かって雄大に葉を広げる姿の美しさは、文明のないころの人たちには、許されなかった天のみぞが観ることができる素敵は光景であったのであろうと感じた。そしてそんな素晴らしい光景にしばし心を奪われたり、好奇心をあおられたりで、多くの時間を費やした。
そして、夕方からディナーに向かう。夕方と言っても日没が21時ごろなので、日本では十分、夜と言える。
ナーセリーから車を走らせ、港で、、さっと食事を済ませ、Great Ocean Roadの絶景にわずか10分程度であったが滑り込みセーフでギリギリ身を置くことができ目に焼きつかすことができた。
その景色の素晴らしさを伝えるには私の下手な文章や言葉はいらないと思う
もっと素敵な光景を見たい方はネットで観ていただければと思う。
Twelve Apostlesという名所であるが、本当に素敵であった。
しばらくして日没を迎え、ホテルに戻り、明日最終日のための準備を行った。日没が遅いためと、やるべきことも多く、気が付けば今日も2時をまわってしまっていた。
とうとう明日は最終日。残された短い時間で多くのことはできないが、簡単に来ることができる場所ではないので、できるだけることを伝えて行ければと思う。
おやすみなさ~い。
空港にはバージンエアでCAをつとめてられているKaoriさんが、迎えに来てくれていた。
Kaoriさんは昨年、ブリスベンのナーセリーとの契約に際し、私の語学力では、あまりにも足らないので、お手伝いいただいた方である。今回、メルボルンでの通訳が見つからず困っていた私を見かねて、わざわざブリスベンから、空路メルボルンに来ていただき、ナーセリーまで同行いただけることになった。本当にありがたい話である。
そして、迎えに来ていただいている今回初めて訪問するナーセリーの方々と合流し、挨拶を交わすや否や、早速車に乗り込みナーセリーへと向かった。
車の中では、初めて会う者通しでも、植物を愛する者同士であるのと、互いの期待感から、とても会話も弾む。
まずは、ナーセリーまで向かう道中の港でランチタイム。
さすが港での食事。新鮮な魚に、オーストラリアならではのボリューム。
ちなみにこの写真の料理はメニューには2~3人前と書いてあったが、結局6人でちょうどいいぐらいであった。
食事中も、陽気なナーセリーの方々との話は途切れることはない。両方の言葉を話さなければならない通訳のKaoriさんは、当然私たちの2倍の量をはなさなければならない。
本当に申し訳ないと思いながらも、初めて会った私たちの会話が途切れることはなかった。
そしてランチを終えて、17時ごろナーセリー近くの、宿泊するコテージに到着した。
そこで前の森へと少し案内をいただいた。
そしてニヤニヤした面持ちで差し出された木の葉を食べてみると
辛い!本当にペッパーのようである。こんな葉があるのだと驚かされた。他にも昔、靴紐にしていたらしいつる植物等を教えてもらい、山歩きを楽しませてもらった。
ここでナーセリーの方は、水遣りの準備で一旦、事務所に戻ったので、その後のディナーに行くのための再度ピックアップを待つ間に、コテージにある広場で、しばし動物と戯れた。
そして、長旅で少し疲れていたけど、愛嬌のある彼らのしぐさで心が和む。植物も良いが、動物もまた良いものだと感じた。
そうこうしているうちに、お迎えに来ていただけので、ディナーのため近くのレストランへと向かった。
今日のディナーはカツレツ。ドライブインのようなお店であったが、とても美味しかった。
ディナーの間も色んな話が弾む。さらに明日への期待感が膨らませながら、部屋に戻り、今日の打ち合わせの整理と、明日の準備をして、深夜やっと眠りについた。
一昨日 極寒のロシア ハバロフスクから帰国し、一転、今日は真夏のオーストラリアへ向かう。
恐らく両国の気温差は60℃ぐらいあるのではないかと思う。
足して2で割れば、ちょうど日本の気候になる感じ。
ただそんな簡単にお湯をさますような感じで調整ができればいいのだが・・・そんなことできる訳ではない。
今回の少し気温の変化に体調を崩さないか心配であったが、少し足らないことが多い私には、見た目と体調に関しては現地順応能力が備わっているのか、メンタル部分を除けば問題はない。
今回は、代理店をつとめさせてもらっているナーセリーへ訪問し、オリジナルレアアイテムの発掘と新商品の作り込みなどのためである。今回はじめて訪問するナーセリーもあるので、とても楽しみである。
さて今回の出張は、連夜の睡眠不足状態のボケた頭で効率の悪いデスクワークをしているうちに、またも夜中になってしまい、仮眠だけした状態で昼過ぎに伊丹空港を出発。夕方に成田空港に到着した。
出発まで時間があるので、しばらく空港内で過ごし、シドニー経由で、メルボルンをめざす。
今回はお気に入りのJAL。色んな飛行機会社を利用させてもらっているが、やはり一番落ち着いて乗ることができる。
今回のシドニー行はSky Wi-Fiが利用できたので、飛行機に乗っている間もパソコンでメールやFacebookも利用可能であったのでとても快適だった。
ただそれが仇になり睡眠の補給をできずに、早朝シドニーへ到着した。
そしてメルボルンへ国内線で移動となる。
さ~今回もどのような旅になるのか楽しみで一杯である。
今回も自生地に入る予定もあるので、ネットの通信状態が見込めず、どこまでタイムリーにアップできるかわからないが、遅くとも帰国したら、時系列でまとめてアップしていくので、下手な文章とブレた写真を笑いながら見ていただければと思う。
また今回のナーセリーの途中には、景色の素晴らしい所もあるとのことなので、できれば文章は減らして、写真を多めにアップしたいと思う。
乞うご期待を。
長かったような短かったような時間が過ぎ、いよいよ帰国の日となった。
さすがに今日は朝からタクシーに乗り込み空港へ。
ハバロフスク空港に約20分で到着
私が良く行くヨーロッパやオセアニアのような出国というわけにはいかず、4~5回のセキュリティーチェックを通り、(しかし多すぎ)、出国審査を長い時間受けて、やっとのことで駐機場へたどり着いた。そして少しの時間を過ごし、行きと同じくS7(シベリア航空)に乗り込んだ。(ちなみに入国審査はもっと長かった。)
それにしても3時間の移動で、こんなにも日本と異なった環境の都市に行くことができるのだな~と感心?してしまった。
そしてまたトランジットのため数時間、成田空港で滞在し、最後のフライトで伊丹に向かった。
伊丹までの1時間あまりの間でも、ひたすらブログ原稿を書くために、パソコンとにらめっこ。
ただこのにらめっこは、どちらも笑わない。当たり前である相手は機械、こっちは寝不足で疲れている中年、笑いたくても笑えない。
なので私はノートパソコンを開けたり閉めたりして、お前(パソコン)が笑った!と言って勝ち誇っていた。うふふっ!と思ったと同時に、自分が可笑しくなってきたような気がした(笑)
でもそんな少し朦朧とした状況でも、しっかり頭の中では、日本センターの鏡所長が繰り返し仰っていた言葉「日本の皆さんに、もっと極東に関心を持っていただきたい、そしてそのためには、全面的に協力をしていくを惜しまない」そして「私は、この地ロシアにおいて、日本人の素晴らしさをわかっていただけるためにも、自らがしっかりした日々を送っていく。」と言っておられました。
幾度も何年も日本を離れ、家族と離れ、このロシアの各都市に赴任するのは、並大抵なことではないと思う。このような強い使命感をもった所長だからこそ、続けられているのだろうと本当に頭が下がる思いがした。
そして、私は何とか鏡所長が赴任されている間に、この地において、新しい根をおろしてみたいと強く感じた。
こんな思いにさせていただけた素敵な皆さまとのご縁に感謝です。本当にお世話になりました。今回の渡航をわらせないようにも、積極的に取り組み、開拓していきたいと思います。だって私は観光者ではなく、小さな会社の大きな夢をもったビジネスチャレンジャーですから。
相変わらずの、ふらふらブログ。失礼いたしました。
体力不足と能力の低さからの誤字脱字。意味不明な言葉が、多々あるかと思いますが、何卒良い方に解釈いただき、これからも時間があればお読みくださいませ。
では、北へ(ハバロフスク訪問記)はこの辺で・・・・
スパシーバ ザ フショー ありがとうございました。
今日はハバロフスクで活動できる最終日。
今日の午前中は、毎晩夜中まで頑張ったおかげで、時間がとれたので、ガイドさんと一緒に、車で街をまわった。
まずは、日本人抑留者墓地へ向かった。
過去について、よく実情も理解しできていない私が行くことは、許されるのであろうかなど、正直少し躊躇いはあったが、以前からお世話になっていた方におすすめしていただいたのと、何とかこの動ける時間がとれたのも必要な縁と感じ、そして本人が行きたい、行くべきであろうという気持ちがあり、足を向けた。
その途中で、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂の前を通りかかったので。写真に収めさせてもらった。
そして足早に車に乗り込み目的地に。
車で約15分日本人抑留者墓地に到着。ほぼ雪に埋もれていたのだが、墓地は地元の方々によって大事に守られていることはすぐにわかった。本当に素敵なことであると思った。そして入り口付近で買わせていただいたバラ、キク、カーネーションをお供えさせていただいた。
しばらくし、失礼かなとは思いながら、次への場所へと移動させていただいた。
その後、車に乗り日本とロシアとの間で慰霊と恒久平和のために建立されたシベリア慰霊平和公苑へ向かった。
しかし雪で道がふさがれていて、位置口付近から覗き見る感じになってしまった。
そしてまた車に乗り込みフリーマーケットへ。フリーマーケットといっても、日本のフリマと言われるのとは違い、よくある市場(競りとかの市場ではなく)である。
入り口近くに車を停めて、中に入ってみることにする。
私は海外行ったときは、可能な限り地元の市場を訪れようにしている。
というのは、市場に行くと、スーパーとは違い、地元の食材や商品が立ち並び、国それぞれの特色を感じることができる。さらに、この地方の治安や衛生管理状況もわかるからである。
入り口付近には、よくある海外製品や衣服などの店が立ち並ぶ。
クマさんも売っている(笑)
そして建物内の生鮮売り場はこんな感じ。
地元の野菜や果物も立ち並び、市場としてはかなりきれいに並べられ、売られている。
このあたりは、肉などを販売していた。目の前で動物を解体ショウのようにさばく姿には、正直目を覆ってしまうが、臨場感とボリューム感満載でとても迫力があった。
本当はもっときちんと写真を撮りたかったのだが、ロシアは写真を撮る行為に対して敏感なため、まともには撮れず、このような感じの写真になってしまいました。すみません。
ここはじっくり見たかったのだが、案内いただける時間に限りがあるためすぐに次の目的地スーパーマーケットに。
車で約10分足らずで到着。
早速店内へ。
入り口にはバレンタインということもあって、仮設売り場が出ていた。
さらに店内売り場へ。ここから先はガードマンも多くほとんど写真が撮れませんでした。
でもこれだけ。
食品売り場に入ったところにセルフ式でブーケが置いてあった。
価格帯は1000ルーブルから1500ルーブルぐらい。日本円にして約2300~3500円ぐらいか
品質、デザインとも中々のものであった。
そして、食品売り場を探索し、おやつを買って、スーパーマーケットを後にした。
ただスーパーマーケットと言っても、それなりの高級感もあり、商品のクオリティーも高く、売り場の狭さと仏頂面の警備を除けば、結構よかったと思う。
さすがにここのスーパーの写真は、撮影許可をとっていないのでスマホ没収になっては困るので自粛した。
そうこうしているうちに、時間も無くなってきたので、街角の花屋へと動いた。
花屋の前に到着。あれっ?閉まっていると思ってガイドさんに、開いていますよ!と言われた。
よく考えれば、この時期はお店をオープンタイプにしていると、花が凍ってしまうからかとすぐにわかった。すなわちお花屋さん全体が、温蔵庫である。
そしてお客さんが来ると、温蔵庫にお花と一緒に入っている店員さんが、窓を開け応対する。
この普段日本では見ることができない光景が可笑しくて仕方なかった。さすが極寒の地ならではだと思った。
しばらくこの光景を楽しみながら、時間切れとなり、私は昼食のためのレストラン前でおろしていただき、ガイドさんと別れた。
そしてまた一人寂しく、ロシア料理のランチを食べ、また街歩きを始めた。
歩いていると街角にはあらゆるところで、花が売られている。
そしてお店にはカップルがいっぱい。さすがバレンタイン。
日本もこんな感じでフラワーバレンタインがメジャーになればいいな~と強く感じた。
20分ほど歩くと、またアムール川が目に入ってくる。
ホテルが近づいた証拠。そこから約10分でホテルに到着。
そしてまた展示会にお越しいただいた人への連絡などのデスクワークを少し行い夕方まで部屋にいた。と言っても2時間ぐらいだが・・・・
そして夕方、再会を約束していてくれた所長が時間を作っていただき会食。
そこには、豪華絢爛といういみではなく、経験豊かな素晴らしいメンバーが集まり、素晴らしい設営で出迎えていただけ、とても素晴らしい時間を過ごさせていただき、とてもとても多くを学ばせていただいた。
心より感謝いたします。お世話になりました。
それと同時に、次に来るときは、しっかりミッションをもって訪れ、現実の形にしたいと思った。
そんな素敵な時間も熱く語り合った時間も終わりを迎え、また歩いてホテルへと向かった。
そして、途中で名残を惜しむかのように一杯飲んで、身体を再度温め?部屋へと戻った。
部屋に戻るとすぐさまブログなど軽くデスクワークを行い、帰りの身支度を始めたのだが朝方3時ぐらいになってきた。かなり眠い。電池切れになったのかな。
なので、これ以上は諦めて、続きの仕事は移動中に持越し、最後の夜を迎えるようします。
おやすみなさい。
展示会参加者(出展者)のほとんどは、早朝、仁川経由で帰国をした。
でも私は、自分の足で街を歩き、観て、聞いて、触れて、感じてから、様々なことを考えるのがビジネスのスタンスなので、あと2日間ハバロフスクに滞在する。
そして、まずはともあれ朝一番にハバロフスク 日本センターを訪問させていただいた。もちろん初めての訪問である。
実は所長をつとめられている鏡様には、出発前から渡航のアドバイスや現地での手配など、とても親切に対応をしていただいていた。
センター訪問時も、とても紳士的かつ温かい対応で迎えていただき、現地情報など長年の経験からの様々なアドバイスもいただき、とても多くを学ばせていただけた。
そして、忙しい方にも関わらず、私の滞在中の再会もお約束いただき、感謝の気持ちいっぱいにセンターをあとにした。
ここからとりあえずホテルに戻る。日本センターとホテルの間は歩いて1時間のもかからない。寒さと凍結した路面なので、多くの人はタクシーもしくはバスで移動をする。
でも私は、基本歩いて動ける距離はタクシーを乗らない主義なのと、何より自分でいろんなことに触れてみたいので、当然ながら歩いて移動した。
この日は運がいいのか、普段の行いが良い?ためなのか、日中はマイナス10℃近くまであがり、晴れていて風もないとても良い天気なので絶好のウォーキング日和。
建物やショップを観たり、自撮りをしたり(顔は怖いけど)、楽しみながら、街を歩いた。
これは公園入口。中に入ると
このような氷像が多く並んでいた。
確かレーニン広場
いたるところにこのような、スタンドがある。
これは見えにくいがドーナツと花を売るお店。
露店で絵を売る人。きっと暖かいからなのかな。まともに寒い時は、マッチ売りの少女どころの話ではないだろう。
通りのドン突きはアムール川。氷と雪で閉ざされていて、どこからどこまでが川かはわかりにくいけど。
このようにちょっとした散歩?を楽しんで、ホテルに到着。
その後昼食を済まし、ミーティングとデスクワーク。
夜は、一人で最上階の和食を食べに行った。
味に関してはコメメントを控えさせていただきます(^^;)
そして、また部屋に戻り、つながらないWi-Fiと格闘しながらのデスクワーク。
気が付けば、2時になってしまっていたので寝ることに。
明日はハバロフスクで活動できる最終日。おやすみなさい。