四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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今日は広島県三原市本郷を訪れた。最近国内外の出張やイベントが続き、中々休みがとれなかったが、予定していた出張が延期になり、急遽丸一日という貴重な時間が天から降ってきたので、先日の大水害からずっと気になっていた広島へ行こうと思い立ち、お世話になっている古田氏に連絡。そして受け入れていただけることになった。
朝、4時30分出発。7時30分ごろに三原駅に到着。三原駅は初めての訪問。
まずはたこちゃんが出迎えてくれた。どうやら三原はたこの街らしい?タコを見つめながらブラブラしていると、そこに今回お世話になる宮田さん、くみさんが迎えに来てくださった。
そして、車に乗り現地へと向う途中で、支援物資などを保存する倉庫からスコップなどの道具を、窓のないスーパー軽トラに積み込み、車2台で向かう。そして、現場近くのコンビニで、今回の参加の手配などをとっていただいた古田親子と再会、活動開始時刻までまだ時間があったので、宮田氏の案内で現地の状況などを見させていただいた。
ここは、土石流が起こった現場。今もまだ大きな岩が残っており不安である。
ここには、宮田さんの知人の家があったのだが、土石流に流されたとのこと。跡形も残っていない状況である。表現できる言葉も見つからず詰まってしまう。
ここも土石流による被害があったのだが、宮田さん、古田さんはじめ多くの方が支援に入り、少しずつ復旧が進んでいっていた。私たちの訪問を迎えていただいた時、とても温かく、いかにボランティアの皆さんによる継続的な支援が、被災された人々を支えてきたかが窺い知れた。
そして定刻9時に集合。そこで今日の活動場所と役割分担が行われ、注意事項などのガイダンスがあり、早速それぞれのチームが任地へと向かった。
私たち宮田チームは、2m近く浸水したお宅の壁や土の除去作業である。早速取りかかることにする。
とっても良く晴れていたのは良かったのだが、その分暑いのと、粉塵が半端ではない。マスクを二重にしてゴーグルをつけても、完璧には保護できないのと、汗でゴーグルが曇ってしまう。
そのような中でも、黙々と作業を進めていく。一見、か弱き女性にも見えるくみさんや古田さんの三女も、粉塵まみれの中、せっせと土を取り、運んでいく。それも苦しいそぶりをみせずひたむきに・・・
熱中症対策もあり、定期的に休憩をし、水分をまめに取る。そんな時、古田さんの三女がお手製のはちみつレモンをふるまっていた。学生時代のクラブ活動を思い出させてくれ力が湧いてくる。素敵な心遣いが胸に刺さる。
そして、一旦お昼で全体での作業を終えた。さらに私たちのチームは昼食後、やり残した作業を引き続き行ったり、仏壇や流しなど大きな荷物を運び出したり、キリのいいところまで行い、大まかな清掃をし、本日の作業を終えることになった。
このお宅は、中々大工さんなども順番待ちで来ないので、御自身で補修を行いながら頑張ると言っておられました。相当ショックな災害であったとは思うが、悲壮感も漂わせず、一緒に作業する姿、帰り際には、笑顔で最後まで手を振って見送ってくれていた家の方がとても印象的であった。くれぐれもお身体を大切にしながら、前に歩んで行っていただきたいと思います。ありがとうございました。
そして、本部に戻り荷物を降ろし、ここで宮田さん、くみさんとお別れ。短い時間でしたが快く私を受け入れていただき、素敵な時間をご一緒させていただくことができ、本当に勉強になりました。お二方の素敵な表情は眼に焼き付いています。是非またお会いできることを楽しみにしています。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
そして帰り際、別の場所で活動されているところを訪問。ほんの少しの時間でしたが、県内外の人が力を合わせ一生懸命取り組まれている姿を拝見し、さらに力をもらうことができました。
そして、今回ここに導いてくれた素敵な古田親子に駅まで送っていただき、帰路に着くことになった。その帰りの電車では改めて、この活動を通じていろんなことを学ばせていただき、貴重な時間を過ごさせてもらえたことをかみしめていた。
また私にとって広島は特別で、昨年オーストラリアの開発によって行き場を失い、途絶えかけていたバオバブの命を繋いでくれたというご恩がある。
そのお返しができた。そのお返しに来たというわけでもないし、そういうつもりもないが、ただただ感謝の気持ちが伝えたかった。そして文章は下手だし、しゃべりも下手な私には、実際に皆さんと一緒に行う活動でしかなかった。そんなわがまま勝手な想いを笑顔で受け取っていただけた皆さんには感謝でいっぱいです。本当に本当にありがとうございました。
作業中に宮田さんが言っていた。作業を終えると粉塵のせいか目ヤニでいっぱいになると・・・。
確かに、帰宅後このブログを書きながら既に目ヤニでいっぱいである。きっと宮田さんが言われたように、粉塵のせいであろう。
ただ私は、それだけではないと思う。私は仕事をする中で、さまざまな思いの人と出逢っているうちに、目が曇り自らの方向性を見失いかけた時もある。そんな私にとって、皆さんの笑顔での活動は眩しかった。その姿が目に焼き付き、曇ったものが目ヤニとなって出てきたのだろうと思う。
おかげで又右衛門の視界は良好である!!!
22日 都内で重要なセッションが開かれ参加してきた。その内容については、公開はできないが、2020年以降の取り組みが主であり、私たちの活動が大いに役にたてるものもあると感じることができた。
セッション終了後もコアなメンバーで集まり、場所を変えて、地球の将来や夢を深夜まで語り合った。そしてその夜は新橋の常宿にとまり、翌日23日早朝に羽田に向かった。
この日は石川で開催される結婚式披露宴出席のため小松空港へと向かった。私にとっては初めて乗る航路である。最近は新幹線もでき、利用者は少ないであろうと思っていたが、使用機材は767の結構大きな飛行機で、また満席に近い状況でびっくりした。
そして小松空港から車で約1時間30分 羽咋市にあるホテルに無事到着。そして着替えをして披露宴会場へと向かった。
今日の婚儀は、私が日本青年会議所 国境なき奉仕団委員会に所属させていただいていた時から、ずっとお世話になっている金森先輩の長女さんが 波佐谷山 松波松岡寺という大変由緒あるお寺にお嫁に出られるといということもあり、多くの方に見守られ執り行われた。その内容は地元新聞でも取り上げられるほどの注目されたものであった。
そして披露宴もそうそうたる出席者のもと開催され、そのような中に私も含ませていただき、厳粛且つ盛大に開催され、進行も素敵であった。
新郎は若いにも関わらず凛々しく、新婦は美しく、とてもお似合いの2人であった。
披露宴中は、先輩に大変お気遣いいただき、多くの方々を紹介していただいたりして、はじめての方と出逢いの機会をいただくことができた。また久しぶりに会う同期もいて、あっという間に時間が経っていった。
そして締めには新婦の父である先輩より、とても素敵なスピーチがあり、ある意味現役の時以上に大きく感じ、感動させていただくことができた。本当に厳粛且つ盛大な披露宴であった。
披露宴終了後は、2次会へといき、歴代の国境なき奉仕団の委員長と金森委員会メンバーが集まり、笑いがあふれかえるほどであり、とても楽しかった。
そして部屋に戻ると地元のコアなメンバーで、夜遅くまで、よくわからない話を笑いながら続け、体力がなくなったものから、布団に倒れていった。
翌朝、多くのメンバーはそのままゴルフに。私は仕事があるので帰ることにし、車をかりて加賀温泉駅まで向かい、車を乗り捨てて、そこから電車で帰ることにした。
ただ残念ながら乗りたかったサンダーバードには数分間に合わず、諦めてまずは普通電車で大阪に向かうことにし、その帰りの列車で琵琶湖を眺めながら車内でこのブログを書いている。
いや~~。この2日間もとてもワクワクする時間であった。結婚式のスピーチにもあった言葉「縁」。本当に不思議で素敵なものだな~~としみじみ感じた。
そしてもうひとつの言葉「覚悟」。とても印象に残った。私ももう若くはない。最後の覚悟をもって取り組んでいかなければならないと、深く感じることとなった。
今日は、5年前より親しくさせていただいていた沖真稀さんの結婚披露宴に出席させていただいた。
沖さんとは、約5年前、フラワーバレンタインコンサートを機会にお知り合いになり、沖さんの親友である丁野さんとよく一緒に食事に行き、大笑いしながら馬鹿話を長時間させていただいた。
当時は、清荒神の参道にお店を出され、大変忙しくされているので、結婚はまだまだ先になるのかと思っていたのが、清荒神のお店がきっかけなのか、お寺の住職さんとの結婚に至ったのである。
私は幾度か披露宴に出席させていただいてはいるが、お相手側がお寺さんと言うのは初めてであり、出席者の約半分は、丸刈りであったのがとても印象的であった。
ただ披露宴は、法要の時とはうってかわって、とても楽しく、にぎやかなものでありとても面白かった。
そして披露宴の内容も、新郎新婦が参加者一人ひとりにメッセージカードをかいたり、オリジナルのものを多く準備されていたり、本当に心のこもったおもてなしであった。
私のテーブルには宝塚の方が多く座らせていたただき、両名を間近に観ながら、色んな思い出話をさせていただくことが出来ました。
帰りには宝塚チーム全員で写真を撮らせていただき、寒い夜であったが、心はとても温かく家路につくことが出来ました。
本当に最高のおもてなしの結婚式でした。新郎新婦に心から感謝するとともに、末永いしあわせを祈っております~~。
またみんなで焼肉行こうね!
昨日、今日と地元 宝塚山本の秋祭りであった。
年に一回、仕事よりも大切に考えている行事で、実際この日のためにスペインから帰国したと言っても言い過ぎではない。
まずは20日金曜日、氏神様である東の宮の松尾神社に村の長老、ご意見番から中堅、若手、学生までが集合し、お神酒をいただき(学生以外)、皆で乾杯をし、だんじり曳航を始めた。
そして、山本園芸流通センターまで曳航し、炊き出しをいただき、久しぶりに会う皆さんと歓談しながらしばし、楽しい時間を過ごさせていただいた。
そして再び、松尾神社まで曳航し、何とか雨も降らず無事、倉に収めることができた。
そして翌朝(今朝)は、6時30分に西の宮である天満神社へと集合しここから始まった。
普段であればこの西の宮のだんじりと、東の宮のだんじり2台で曳航するのだが、今年は台風が近づくことによる雨が予想され、特に昼から強くなる予報のため、残念ながら東の宮1台での曳航にすることに今朝決定し、西の宮のだんじりは、倉から出し、神事を行い、そして再び倉へと戻すことになった。
そして神事を終え、皆で太鼓をたたきながら東の宮へと移動をした。
そして東の宮のだんじりに、雨除けを施し、保存会会長からの食事をいただき、お腹パンパンで曳航を始めた。
今回の曳航は1台なので、もう既に若手とは言えない私の出番はないと思っていたのだが、押し手がまだ少し若いのと、中堅に穴を叩かれ、今回もいつもの左後方を担わせていただき、大汗をかかせていただいた。
そして園芸センターに入り、ここで山本丸橋からおいでいただいただんじりと合流し、鏡開きを行い、乾杯し交流を深めさせていただいた。そして、小一時間後、丸橋のだんじりと、ともに園芸センターを出発した。
今日一つ目のお旅所で自治会長のところによらせていただき、美味しいおでんなどお食事と飲み物をいただいた。
そして、ふたたび2台で村を曳航し、東の宮手前で、山本丸橋のだんじりを見送り、それぞれが順路に沿って進んでいき、山本のだんじりは、一旦東の宮へと入った。
そして本来なら村を順番に曳航するのだが、降り続く雨、そしてさらにひどくなる天候を考慮し、残念ながら今年のだんじり曳航はここで終了となった。
そしてまだお腹はいっぱいであったが、用意していただいた温かい食事をいただき、それぞれが歓談し、一旦ここで終了し、17時に再び園芸センターに集合し、祝いの宴をすることになった。
ただ残念ながら、私は先日来悩まされている肩と背中の痛みが悪化したのと、風邪を引いたようで、お昼をいただいてから、シャワーを浴び、自宅でこのブログを書くことになった。
最後まで参加できなかったことに、申し訳ないのと残念ではあるが、神事で身体を壊すことは、氏神様にも失礼になると思ったので遠慮をさせていただいた。
今回、だんじりを曳航させていただき、少し若手が増えてきてくれたことは、とても良いことであったと思う。そして私を見た目から船長と親しみを持ちながら呼んでくれ、共に笑い合い、汗を流せたことはうれしく思えた。
彼らはきっとこれから何十年とこのだんじりを守っていってくれるであろう。またそうであって欲しい。いやそうなってもらわなければならない。
そんな彼らと世代を超えて一つのことに一喜一憂できることは本当に素晴らしい。
これもだんじりのおかげであり、氏神様が授けていただいたご縁である。本当にありがたやである。
このご縁が、何代先までも続いて行くことを切に願う。またそんな彼らに、又右衛門としてやらなければならないことがあると強く再認識できる日となった。
氏神様、お仲間の皆さま。本当にお世話になりました!!!
21日夜22日は 宝塚山本の秋祭りで だんじり曳航である。
本来であれば、21日から参加であったが、東京~大阪のJALの予約していた飛行機が欠航になってしまい、残念ながら2日目からの参戦であった。
朝6時30分の山本 西の宮 天満神社に集合し、東の宮へと曳航。そこで山本2台のだんじりがそろい踏みとなる。
今年で52歳だが、だんじりを目の前にし、脳にインプットされた太鼓の拍子にを聞くと血が騒ぐ。
そしてここを起点として2台が、お旅所でふるまいをいただきながら、山本の街中を曳航するのである。
曳航中は、だんじりを無心になって押しているため、気づかないことも多いのだが、休憩中にふと顔をあげると、小さいころと全く変わらない景色で懐かしさを感じることもあれば、いったい今ここはどこ???と思うほど変わった景色に驚かされたりすることがたびたびである。
また昨年手伝ってくれた子供が、一回り大きくなって手伝いに来てくれるなど、街中をまわっていると本当にうれしく感じることが多い。
そのようにして、1日中 山本の街をまわり、仲間と観客と言葉を交わしながらの楽しい時間は、あっという間に過ぎて陽も落ちてくる。
だんじりの提灯には灯がともり、そして最後の力を振り絞り、声をからしながらの夜間の曳航となる。
そして、20時30分ごろ西の宮に1台のだんじりをおさめる。
さらに東の宮のだんじりも無事おさめることができ、今年の秋祭りも、フィナーレを迎えることになった。
今年も、準備、片付けなどにも十分に参加できずにいながらも、曳航の担いをさせていただき、皆さんには本当に感謝である。
普段、海外や市外に出ていることが多く、強い吹きさらしの風にうたれながらの日々であるが、年に一回、このように街の行事に参加させていただき、独特の昔ながらの空気に包んでいただけることに、とても幸せに思う。
さ~。この空気で元気がもらえた。また一年頑張って行こう!!
一年後に、力いっぱいだんじりを曳航するために!!!!!
今日、伊丹空港から成田を経由してシンガポールに向けて出国した。
私はいつもよりでバタバタしての出国の朝を迎えた。
と言うのは一昨日8月28日の朝 義父が他界したのである。享年78歳。
長らく病と闘いながら、本当によく頑張られ立派にその生涯を終えられた。
私はこの訃報を受けて、29日 お別れとお通夜に出席のために石川へと車を飛ばし、
実家で先に駆け付けている親戚のみなさんと再会をした。
そこにはほっそりとした現役バリバリで仕事をしていたころからは、想像できないような義父が、安らかに眠りについていた。
そして、枕元でお礼と亡き義父の話などをさせていただき、納棺のお手伝いをさせていただいた後、葬儀場へと移動、お通夜に参列し、お葬式には参列せずに、私だけそのまま宝塚へと帰り、仮眠後、シンガポールへ向けての準備を行い、時間通りに出国した。
本来であれば、渡航を再検討し、近い親族として、金岡家代表として、お葬式に参列するべきであったのかもしれない。でも私には、その迷いは生じなかった。
それは義父に初めて会った時に、交わしたたった少しの会話とその表情が私に焼き付いていたからである。
その時の少ない会話は、
義父:「趣味は何だ?」
私 :「仕事です。」
義父:「日本一になれるか?」
私 :「はい。なります。」
私は、何の根拠もなく、実績もそんな力も何もないのにも関わらず、そう答えた。
今更ながら私は何て厚かましい、身の程知らずの奴である。
でもしかし、その時、厳しい面持ちの義父は、うっすらと笑みを浮かべたことをおぼえている。
正直日本一何て程遠い。でも亡き義父との約束、実父からの教え、ご先祖さまから与えられた使命を果たすため、少しでもそこに近づいていくために、四代目 又右衛門は、今日も行ってきます。
最後にあらためて、離れた地から、亡き義父の冥福を祈るとともに、今までお世話になった皆様、温かいお言葉をかけていただいた皆様に、心より感謝を申し上げます。
数日前、少し歯が痛み、バタバタの合間をぬって歯医者さんにいってきた。
私は昔からリスのようにほっぺたに食べ物を含み、食べる癖がある??
そのためか奥歯が悪くなり易く、今回もそのような感じかなと思い診察を受けた。
診断結果は予想通りで、奥の歯茎が腫れていた。
そしてその痛みを後押しするかのように、親不知が活動をはじめかけていたようで
結局先生の「金岡さんは、海外出張が多いから、今抜きましょう!」と
言われ、抜歯することになった。
抜歯中は大きく口を拡げ、横にも引っ張られたりで、
その状況の中、魚が釣り針に引っかかった状況にも感じられとてもつらかった私は
今後釣りへの考え方が変わったような気がした。
それと左右に口を拡げられているときに、何故か小学校の時を思いだし、
「学級文庫」といってみようと思った。
でもあそこまで引っ張られると、文庫(う●こ)どころか
学級も言うことができなかった。
そして結構長い時間がかかり、無事終了した。
そこで先生からの説明があり、
親不知はかなり深い位置にあったのと、根元でねじれながら拡がっている
割りピンのような状況だったので苦戦しましたと・・・・・
私の苦痛を耐えて、ゆがんだ顔と対照的に
先生のとても達成感に満ち溢れた顔が清々しかった・・・・・
その後の経過は、ご想像にお任せします。
というような、皆さんにとっては何の意味もない話でした・・・
これはその時の奥歯
歯の裏側には肉片が着いている・・・
これって歯茎も一緒にとれたのかな~~汗
希望者には、この奥歯差し上げます!!!
こんにちは。今回もまた東北ネタです。
きっと見た人は、又右衛門 、最近ネタ無さすぎと思われるでしょうが・・・
ズバリあたりです!!!
なんて・・・
ただ載せたい事はいっぱいあるんだけど・・・・・
今回のアップはおまけかも。ただ単に今回の東北出張で見かけた?
ちょっと気になる画像をアップします。
facebook見た人は、かなり被るかもだけど、購読料は頂いていませんのでお許しを・・・
う~~ん。何でこの時間のインタビューはできませんでした。
ちょっとなまはげみたいのに、キャラ被りすぎ???
うにキャラでデビューできないかな~~
これはちがうな~~。
私は昔、色白で優しい顔だったので、よく女の子に間違えられました~~。
これは、ほぼ普段着かな・・・・
何故か最近、こういう感じのがあれば、顔を入れ手しまう習性がついてしまった。
先週末も選挙ポスターの掲示板に穴を開けて顔を出したくなったがさすがに
大人の判断で断念しました(笑)
つまらない画像をアップしてしまいました~。
ごめんなさい。
でも、この習性はしばらく続くと思います。
乞うご期待!! (^_^)v
我輩は猫である。
誰かおわかりでしょうか。
美白猫のはずだが、何故かシッポが茶色くなってきた。
おまけに耳まで茶色くなってきた。まるで食パンのようだ。
でも、肉球はピンクでしっとり。
約2年前にある食品スーパーの改装オープン前に、いい匂いに誘われて入ってしまったところ
スタッフに確保されてしまった。
そんなところを今のご主人に出会い、今ここに連れてこられた。
ここではたまにいたずらはされるものの、安心して眠ることができる。
こんな姿でも・・・・・
はたまたこんな格好でも大丈夫
おまけにこんな格好でも全然大丈夫!!
これはちょっとしたご主人のいやがらせ写真。
こんなにも肥ってはいない。たったの7㎏ぐらいだ。
中には我輩をブサカワいいという人もいる。
でも実はこんなにも男前なのだ!!!
こんなブログをアップしているご主人は暇なのであろうか???
今日は1日。誰でもわかるけどつきの始まりです。
ということもあって、朝五時をまって、まずは本社がある山本の氏神様
松尾神社を参拝させていただいた。
早朝の境内には厳かな雰囲気があり、また大祓いのくぐり輪があり
笹のよい香りがした。 そして本殿と猿田彦様を参拝し大阪営業所への出勤をした。
その後、神棚の一式を交換し、そこでも地元の氏神様である春日神社を参拝させていただいた。
ここでも早朝ということもあり、人気がなく厳かな雰囲気と素敵な空気に包まれました。
こちらでも常日頃の御礼と、中にあった縁結び様に御礼とお願いをしてきました~~。
そしてお参り後、境内を出ると、周りはこのような感じです。
川が流れており、ここでは毎年6月に「ホタルの夕べ」というお祭が開催され
多くの人がおとづれ、ホタルの灯りを楽しんでいる。もちろん今年も開催されたが
残念ながら私は参加できなかった。
もしホタル好きの方がいらっしゃったら、是非いかがですか?
ただ駐車場が近くに無いので、連絡いただいたらウチの駐車場をあけますので
そこに車を止めて観に行かれたらと思います。
そして参拝の帰り道に早速のご利益が・・・・・
こんなネコちゃんとの出逢いがありました~。
まるでハラコのバッグのようなネコちゃんでした。
全くなんのこっちゃわからないブログになりました。ごめんなさい。
でも何か素敵な落ち着いた気分の一日になりました。
これが最近の私にとっては一番のご利益かもですね。
さて今月も皆さんにとって素敵な一月になりますように。