四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

42日 大阪グランフロント CIAO NATUREにて、シャンドン10周年記念として

 

10th ANNIVERSARY OHANAMI CHANDONとして、招待制によるパーティーが開催された。

 

今回このイベントの空間プロデュースとして、TEA’Designも参加させていただいた。



当日は、店内とOPENスペースにて行われ、シャンドンのピンクに併せた、旬の桜による店舗内外のディスプレイをおこなった。

施設内と言うこともあり、様々な制約もあったが、都会のビルの真ん中でありながらも、屋外の風に吹かれながら桜を見ていただけるディスプレイである。

 

さらに花びらを散りばめたシャンドンをお飲みいただき、会話に花を咲かせていただけられるような設えもさせていただいた。


当日は、かなり天気が怪しい状況でかなり心配したが、そのような中でもOPEN前から多くの方にお越しいただき、とても大盛況であった。

そして大きな桜の活けこみの前で、グラスを片手に記念写真を撮られる方々を見ていると、とてもうれしく感じる。

 



また私たちのスタッフである安部も、桜をつかったコケ玉など、一工夫を凝らしたものを作り、多くの人に喜んでいただけた。

そのような素敵な時間が経つのは、本当に早く、気が付けば終了時間も延長されたのに

気が付かないほどであった。

今回も、花や植物のおかげで、普段では出逢えないであろう方々との縁をいただき、とてもいい機会になった。本当にうれしいばかりである。

最後にこのような機会をいただけた方々、このイベントを無事成功させるため、お力をお貸しいただけた皆様に本当に感謝したいと思います。

さて次はどんな出逢いが待っているか楽しみにして、春を感じさせていただきたく思います。

2016.03.17

再び岐阜へ。

今回は、先日の岐阜でのフェスティバルの際に、ばったり出逢うことができた「ローズ なかしま」さんを訪問してきた。

 

「ローズ なかしま」さんも、祖父である二代目 又右衛門(金岡喜蔵)が岐阜にてバラ生産を始めた時に、河本バラ園さんとともに、お世話になった、とても縁が深い方である。

 

そしてバッタリお会いした時に、私のような若輩にも関わらず、当時先々代にとてもお世話になったので是非、私たちが作ったバラを直接見て欲しいとお声掛けいただき、今回の訪問となった。

 

そしてお邪魔するなり約2400坪の場所で、とても積極的に活動をされているのを忙しい時にも関わらず、色々ご案内いただけた。

 



通常 市場出荷ではミニバラが多いものの、それ以外にも、フレグランスローズをはじめ、オリジナル品種も多くあり、苗の販売もされるなど、とても興味深いものが多かった。

特にこの「エターナル」は、「第9回国際香りのバラ新品種コンクール」で銀賞を受賞したもので、アプリコットのフルーツの香りで、甘さと上品さが絶妙なバランスで、とても素敵な香りがした。


その他にも同賞受賞の「レジーナ」や「アリュール」「ミエ」など、ローズなかしま オリジナル品種が、出荷時期を控え、とても素敵な香り漂わせていた。

そのような中、祖父との思い出話をしながら、社長のバラに対する熱意も感じさせていただくことができて、とても有意義な時間を過ごさせていただきことができた。

50年経った今、このように、あらためて出逢いが出来たのも祖父が導いてくれたのではないかと思う。そしてまた新しい何かをご一緒できそうな期待感も感じることができ、双方にとって、今回の訪問はとても有意義なことになると感じた。

 

それと同時に、今回の再会を誰よりも喜んでくれているのは、二代目 又右衛門(金岡喜蔵)ではないかとも感じた。

3月11日 日比谷パレスにおいて日比谷花壇 主催 INTERIOR PLANTS 2016において特別セミナーの講演の機会をいただけた。

http://pr.hibiyakadan.com/green-event/

演題は緑匠・又右衛門による「ランドスケープが変わる!デザットプランツ(Desert Plants)の世界」である。

皆も知っていただいている通り、私は、人前でしゃべるのが苦手な男である。そんな私であっても、このような機会を与えていただけるのは、本当にありがたい話だと思う。

正直個人的には、アナログ人間のため、資料作成など多くの時間などを費やしてしまうが、その度に学びを得ることができるので、貴重なことであるとは認識はしている。

と言っても、やはり講演は苦手なため、引き受けるのは、躊躇したが、緑匠・又右衛門の活動を理解し、最大限の評価をいただいてきた空間デザイナーである「飾人 芹田博幸氏」との縁や、それらを広い心と強い力で受けとめていただけた宮嶋社長への感謝と、デザットプランツや生産者の代弁者として、大切なことを伝えたいと思い、引き受けさせていただいた。

講演会場は午前の部、午後の部があった。参加者は建築・設計の方々が多くお越しいただいていて、私がいつも参加する花き関連の皆様とは、かなり異なった雰囲気の中でお話しすることに、強いプレッシャーを感じながらの講演になった。決して褒められた講演ではないかもしれないが、最低限のことは何とか伝えられたのかもしれないと思う。

グループ会社代表の講演と思えば、かなり物足りないかもだが、見方を変えて、遠い国から、はるばるやってきた変わった植物が、今日は人間に姿を変えて、はじめて人の前で、覚えたての日本語で、一生懸命メッセージを送ろうとしていると思えば、少々のことは、我慢が出来、それは情熱だとおもっていただけるかもしれない。そんなことを勝手に願い、途中白いタオルや、座布団が投げ込まれることもなく何とか短いながら2回の講演を完走することができた。

そして、その後、思い切ったリニューアルで素敵になった日比谷公園店を拝見させていただき、素敵な1日を終えさせていただくことができた。

さて、ここからまた新しい出逢いが始まったように感じた。

これからも植物、生産者、デザイナーなど産み出す人の思いを何よりも尊重し、「世界の感動を日本に。日本の感動を世界へ。」を使命として、これからも頑張っていきます。

今回、講演に際し、お手伝いいただいた日比谷花壇さまの皆様の、お心遣いには本当に感動でした。

そして私の話に、耳を傾けていただけた皆様、本当に感謝いたします。この場をかりて御礼もうし上げます。またお会いできますこと楽しみにしております。

さ~~。これからどんな世界との出逢いが待っているか、春を迎えて、アクセルを踏み込む時が来たことを実感してきた・・・

前回のブログでも紹介させていただいたように国際花きシンポジウム参加のために、岐阜訪問をした。その際に、揖斐大野という街を訪れることになった。
実はこの揖斐大野は薔薇園植物場にとっては、とても関わりが深い場所で、祖父 金岡喜蔵が大変お世話になった街なのである。

4日、岐阜到着後、まずセントラルローズを訪問し、そこで現在とても活躍中の河本バラ園さんのことを教えていただき、今回、揖斐大野の訪問へとつながった。

車で約10分。河本バラ園さんに到着。圃場にいた方にお声掛けさせていただくと社長は不在とのことであったが、社長のお母さんがいらっしゃるとのことだったので、お声をかけさせていただくと、すぐ近くに、現役で自ら動かれている女性がいた。そう、その人が育種家で有名な河本純子さんであった。

そしてその時の私たちの会話はこんな感じ

金岡:「はじめまして、見学をさせてください。」
河本さん:「はい。どうぞ~~。中々整理が出来ていなくて、すみませんね~。」
金岡:「実は私のお祖父さんは、岐阜にバラ作りに来ていました。」
河本さん:「どちらからおいでになったんですか?」
金岡:「私は宝塚から来ました。」
河本さん:「まさか金岡さん?」
金岡:「はい。金岡喜蔵の孫にあたります。」
河本さん:「いや~~~~~。そうなのですね。あなたはお孫さんなのですね。私たちは、
あなたのお祖父さんのおかげで、今があるのですよ。」
金岡:「・・・・・・」
河本さん:「まさか会えるとは思わなかった。良くお越しいただいた。」

このようにお声掛けいただき、そして少し古くなりかけたハウスを指さしながら
「このハウスはお祖父さんいた時に建てたハウスなんだよ!」とおっしゃっていただけた。

そして当時のことを振り返りながら、祖父のことを懐かし気に話していただき、しばし何と
も言葉に表すことができない不思議な温かい感覚の時間が流れた。

そして短いながら多くのことが詰まった立ち話を終えると、河本さんは私に、カタログを
お土産代わりに持たせてくださり、当時祖父が住んでいた家があった辺りを教えてくれた。

私は折角なので、教えていただいた祖父が暮らしていた場所まで移動し、そこからの風景を
しばし眺めていた。そしてここの場所で二代目又右衛門 金岡喜蔵は薔薇づくりに命をか
けていたのだと思うと、こみあげてくるものがあるのと同時に、この場所に今回来ることに
なったのは、きっと何か意味がある。私に何かを伝えようとしているのか?何かの縁をつな
げてくれようとしているのか?それか単純に本人が岐阜に行きたくなって、私の車に乗っ
てついてきたのか?など色んなことが、頭の中をぐるぐるまわった。

しばらく色んなことを考えてみたが、結局その時の私の答えは、きっと全部が正解なのであ
るんだろうな~~と思えた。

そして、さらにその翌日に参加したフェスティバル会場で、ばったり出逢ったローズナカシ
マさんにお声掛けいただき「あなたは金岡さんだね。私はお祖父さんに本当に世話になった
と・・・」仰っていただけた。

そして素晴らしいのができたから、どうしてもあなたに見て欲しい薔薇がある。と、
言われ、また日を改めてお邪魔することを約束して、その場を後にした。

その時私は、そのバラを見て欲しいのは、私本人ではなく、誰よりもお祖父さんに見て欲し
いと思っているのであろうな~~ということを感じた。

私は、この二日間を通じて、祖父 金岡喜蔵に本当に素敵な縁をつなげていただけたと思う。

そしてあらためて二代目 緑匠・又右衛門に相応しい、金岡喜蔵の偉大さを感じることがで
き、自らの気持ちを引き締めることにもなった岐阜訪問となった。

ご先祖様 そして縁に本当に感謝である。

4日、5日と岐阜で開催される国際花きシンポジウムに出席のために岐阜を訪れた。

岐阜は福井教授をはじめ、多くの人のお世話になっている街で、親しみも深い、さらに薔薇園植物場としても、つながりが深い所である。ただしばらくご無沙汰していたので3年ぶりぐらいであった。

まずは車で大阪から3時間ぐらいで、セントラルローズの大西社長のところに到着、いつものように雑談交じりでのご指導をいただき、短いながら有意義な時間を過ごさせていただいた。(その後のドラマチックな出逢いに関しては、次のブログで紹介させていただきたいと思う。)

そしてその夜は、国際花きシンポジウム前夜祭に出席させていただき、全国の市場をはじめ、多くの皆さんと、ご挨拶をさせていただける機会をいただけた。

その後、皆さんは、2次会3次会へ行かれたようであるが、私はまだまだ時間に追われた仕事が残っていたので、こっそりファミリーレストランへと移動。ひたすらドリンクバーのコーヒーを飲み、今日の出逢いを思いだしながら、パソコン相手に格闘をつづけ、深夜ホテルへと戻った。

ホテルに戻ったのが遅かったため、温泉に入る時間もなく、このようなある意味新鮮味のあるシングルルームで、仮眠をして、お腹が空いたので朝早く起床をし、朝食を食べにいった。

5日。食事を済ませ、バスに乗り込み、フラワーフェスティバルに参加。岐阜の生産者と話をさせていただき、午後はまたホテルに戻った。

ちょうどその時に、お世話になっている日本体育大学 理事長でもある松浪健四郎氏が到着され、歓談の時間をいただけた。その場は相変わらずの松浪節で強いパワーをもらえた。

夕方からは国際花きシンポジウムに参加。とても多くの人が集まるスケール感のあるシンポジウムで多くを勉強させていただくことができた。

その後の懇親会にも参加させていただいき、多くの方と情報交換をさせていただくことができくの方々に私たちの取り組みについてお話をさせていただくことができた。中には、今井絵理子氏も来られていて、私たちの新しい活動にも関心をもっていただき激励をしていただけた。

そして気が付けば21時をまわったので、急いで車で帰路につき、日付が変わるころに無事に宝塚に戻ることができた。

久し振りの岐阜。色んな意味で有意義な訪問になった。

その時の不思議な出逢い?は次のブログで紹介しますので、良ければお読みください・・・

昨日朝方まで起きていて、仮眠した程度で起床。起きたときは正直最悪のコンディションであったが、朝ごはんを食べ、ミーティング行いながら、何とかコンディションは戻ってきた。

 

 

 

出発から小一時間、電車に揺られて予定時刻に東京農大へと到着。

到着後すぐにパソコンの動作チェックを行い、問題なく準備を終えた。

 

その後お弁当をいただいたのだが、見た目に寄らずシャイな私は、緊張のせいか少し喉を通りにくかった。当然おかずの内容はおぼえていない(笑)

 

と言うのも、私は今まできちんとした形での講演はしていないので、ある意味デビュー戦であるからである。

 

 

今回のセミナー参加者は150名以上。同日に各地で花き業界の大きなイベントを行っていた中での、この集客は大したものであったと思う。明らかに実行委員会メンバーのご努力の結果であろう。

 

そうこうしているうちに、私の順番が来たので講演に入らせていただいた。今回の講演テーマは、「世界の感動を日本に。持ち時間は45分。私がどうしても話したい内容は、50分はあったため、かなり駆け足になってしまった。

ご参加いただいた方には、ただでも普段から早口で、おまけにわかりにくい日本語を使うので、聞きづらかったと思います。この場をかりてお詫びいたします。

 

そして、休憩をはさんで、三番目の演者が講演を終えられた後、総合ディスカッション。
そして定刻でセミナーは終了し、その後の情報交換会会場へ移動させていただいた。

 

情報交換会会場では、私の拙い講演でも、しっかりと最後までお聴きいただき、私たちの取り組みにも賛同もいただけた方々が、お声掛けに来ていただけた。

 

その中には「手伝います。」「一緒にやりましょう。」「勇気とパワーをもらえました。」などと温かいお声をかけていただけたり、「感動した。」と手を強く握っていただけたり、とてもうれしく感じ、大の苦手な講演であったが、勉強のためも含めて、厚かましいながらも引き受けて良かったと感じた。

 

中でも「又右衛門は、本当に人が好きで、植物が好きで、色々な取り組みをしているのですね。」と、お声掛けいただくなど、私たちの頑なまでの思いが通じたと感じた時、涙が出るほど嬉しく思えた。

今回、私のような者の話に、貴重な時間を割いていただき、そして耳を傾けていただき、本当にありがとうございましたとしか言いようがない。

さらに、実績のない私にこのような素敵な機会を与えていただいた花卉懇談会実行委員会メンバーの皆様に、心より感謝申し上げたい。本当にありがとうございました。

2016.02.26

密会・・・・

今回の上京の目的は、26日の大事なミーティングと、27日の東京農大で行われる花卉懇セミナー講師という大役である。

朝からいつものように、伊丹空港から羽田空港へと向かった。先日エンジンから火が吹いた事故があったばかりなので、興味深くエンジンを見ていたが、当たり前だがそんな気配はなく、安心して搭乗できた。

羽田空港に到着して、しばらくデスクワークを行い、モノレールで移動。その後新橋のお気に入りの店で昼食をとり、午後のミーティングに備えた。

そして午後一番、とても素敵な方々とのミーティングをさせていただけた。様々なプロデュースにおいて、ずば抜けた存在感と、今後更なる飛躍を期待できる若手の方々をご紹介いただき、とてもワクワク気分のミーティングとなった。

若手とくれば、私のようなおじさん?は苦手な感じの人も多いが、彼らはそんなこともなく、とても素敵な感じであった。今後一緒に取り組んでいただけることを楽しみにしたいと思っている。私の若返りのためにも・・・・(^^;)

その後、青山某所の植栽の現地調査を行い、またベースキャンプであるアトムCSタワーに戻り、今年の4月に開催される4年に一度開催のベルギー王立園芸協会主催のFloraliesでのブースデザインについての話し合い、さらに国内での次のプロジェクトへ取り組む、新メンバーの顔合わせを行い、これもまたワクワクする時間を過ごさせていただいた。

さらにその後、場所を大森に移し、大先生とTEA’sDesignメンバーで、美味しいお魚をいただきながら、ミーティングをおこなった。

はじめは明日の講演を控え、私はほどほどにと思っていたのだが、話せば話すほど様々なユニークな提案から始まり、とてもエキサイティングな時間になってしまい、そのため時間も忘れ、気が付けば深夜1時を大きくまわってしまった。
正直かなり体力を消耗したが、それでもここでの時間は、大きな学びを得ることもでき、モチベーションはかなりアップし、私たちの今後にとって、とても意義深い時間になった。

その後、電車もなくタクシーでホテルに戻り、朝方就寝となった。そんなとっても濃い1日となった。内容もメンバーもここでは言えない失礼お許しを。今はえへへとしか言えず。
また詳細は別の機会に・・・・。

そんな濃~~~~い1日となった。

15、16日は北陸へ向かった。今回は新しいプロジェクトの打ち合わせのためである。
ここでは内容は話せないが、環境、学習、地方創生につながるユニークな取り組みで、場合によっては世界に向けて発信できる取り組みになるかもしれないので、乞うご期待である。

なので、仕事抜きの話しを・・・

富山へは、7.8年ぶりかと思う。その時は新幹線が開通していなかったので、富山まではサンダーバードで行けたのだが、今はサンダーバードを金沢とまりなので乗り換えなければならない。正直で少し不便になった感がした。

でも北陸新幹線にはまだ乗ったことないので、少しはワクワク感もありの訪問となった。

昼過ぎから翌日夕方まで、びっしりのミーティングスケジュールであった。

そのような中、久しぶりにラーメンを食べた。

富山と言えば「富山ブラック」が有名である。ここのお店は老舗の有名店で、とても賑わっている。メニューはラーメン大・小のどちらかと、白ご飯のみである。

私は、ラーメンとご飯を食べる習慣はないので、ラーメン小を注文した。

味はと言われると、薄口好きの私には正直厳しい。生醤油そのままにも感じるかなり濃い味である。

地元の方に何故こんなにも濃い味ですか?と聞いてみると、もともと寒い地域で肉体労働を頑張るためのカロリー補給手段であるからとのことであった。その解答に、ちょっとうなずかされた。

そして白いご飯が無ければ、濃すぎて食べられないから、白いご飯も頼むんだよとも言われた。その解答に大きくうなずかされてしまった。そんなぐらいの濃いであった。

そして全ての打ち合わせを終え、富山駅近くまで送っていただいた時に、何か後ろから声をかけられたような気がして、振り返りふとビルの中に目をやると、オリーブの木がそこに飾られていた。

そしてひょっとしたら・・・と思い、足早に近づいてみると、やはりこのオリーブはお世話になっている取引先の方にご購入いただいたものであった。

このブログをみた人は、何でそのオリーブが自分の輸入したものってわかるのですか?と思うかもしれないが、でもしかし私はそのオリーブは、私のところから巣立ったものであるという確信がある。何故ならば我が子のようなものであるからである。

きっとこの子は、私に、「僕は今、ここにいるよ。」「こんな寒い地域に来たけど、みんなに囲まれて、元気にしているよ。」ってビル越しに、声をかけてくれたのだと思う。そんなような気がしてならなく、後から涙がこみあげてきた。

帰りは、大雪で列車が遅れるなど、少しハードな1泊2日であったが、新しいプロジェクトへの期待感やオリーブとの再会などの充実感。今まで以上にここ富山が素敵な街に感じられ、またこの街を訪れたいと感じる訪問になった。

今日は宝塚ベガホールにてフラワーバレンタインコンサートの開催がされました。



今年で3回目を迎えるフラワーバレンタインコンサートには、今年初めての方々や、毎年来ていただいている人などで大勢の方々で賑わっていた。
演目も当然ながら毎年異なっていて、今年は、ユーモアを混ぜながらの演出で、時には会場に笑いを誘うなど、とてもユニークな演出であった。

ここでも、新しい人との出逢いにも恵まれ、多くのご縁をいただきました。

皆さん。お世話になりました~~~。



私は、帰宅後、我が家の女性ネコ チーちゃんに、お花をプレゼントしました~~。
多分、喜んでくれていると思う・・・(^^;)

数年ぶりに仙台でのミーティング。仙台はかなり寒いと思い、完全防寒装備で向かった。

伊丹空港から出発し、仙台空港には定刻より少し早く8時過ぎの到着となった。

 

今回は2日間で3つのミーティングが予定されていたのだが、急遽初日に3つとも行ってしまうことになった。

 

一つ目はTEA’Designとしてのミーティング。

今テーブルの上にあがっているプロジェクトは国内外合わせて約20ある。そのうち決定しているプロジェクトや近いうちに具体的に動くプロジェクトや、五か年計画や役割分担などについて話し合いをさせていただいた。


例えば海外ではロンドンプロジェクトやベルギープロジェクト、国内では富山プロジェクト、京都プロジェクトなどである。この他全くこの場では触れられないプロジェクトなどについてなど、打ち合わせを行った。

 

そして夕刻には、以前から交流のある泉緑化さんを訪問した。この辺りはまだ雪が残っていた。

ここでは震災後の各プロジェクとの進行状況をヒヤリングさせていただいた。震災直後はボランティアによる多くのプロジェクトが発ち上がったものの、今では継続不能になったり消滅したりしてしまったようである。少し残念なことである。
ただまだ継続されているものもある。そのような中、進行中のものや、今後の計画を融合させて、2020年あたりを目途に、ガーデンショウの開催をめざすことを共通のミッションとして、活動を始めることとなった。

 

このプロジェクトは簡単なものではない。多くの人や企業とともに手と心をつなぎながら動かなければ、成功は無いであろう。長い道厳しい道のりかもしれないが、東北を本拠地とし、日本から世界へ羽ばたく矢野TEA氏、幾多の困難を克服し、地道に継続し活動をしてきた鎌田社長が主導になり、阪神大震災を経験した又右衛門も微力ながらお手伝いさせていただきながら、互いが役割と使命感をもって動き始めよういうことになった。まだまだ具体的には案内できないが、近いうちに皆さんにも多大な協力やご指導をこうことになると思いますので、その時は是非よろしくお願いいたします。

 

そして夜には、三つ目のミーティングを行い、気が付けば23時。それぞれが帰宅し、私は足早にホテルに戻り、いつものように深夜までデスクワークを行い、眠りについた。

翌朝は風邪薬のせいか、目覚めが悪かったが、なんとか朝食をとり、コーヒーを数杯身体に流し込み、仙台の街をぶらり。



駅近くでは、フラワーバレンタインのステージが設営されていた。ここ仙台では以前から活動されていたが、全国各地で同様な活動が行われるようになり、着実にフラワーバレンタインが、浸透していっていることを実感できるようになった。

そして体調も良くないので、飛行機の時間には少しどころかかなり早いが電車で空港に向かい、空港のラウンジでひたすらたまりにたまったデスクワークをおこなった。

 

そして夜 無事 宝塚に到着した。

やらなければならないことを片付けるスピードより、積み上がってくる方が多く感じる毎日に、少し重圧を感じながらではあるが、前を向いて頑張っていきたいと思う。

数年後のためにも・・・