四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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めでたいな~~。
新しい夜が明けたかな。 又右衛門。くまもん。めでたいもん。
今回は今年2度目の沖縄訪問となった。私はここ数年沖縄に来させていただくことは、あまりなかったのだが、あるプロジェクトにおいてのつながりにて今年2度目の訪問となった。
到着した初日は1日中、雨が降り、さすがレインマン又右衛門ぶりを発揮してしまい、仕事がしにくくご迷惑をかけたかと思ったが、沖縄では深刻な水不足で取水制限手前までの状況であったので、生産者の方々には皆さんからとてもありがたいさすがレインマンともお声掛けいただけた。
私たち花き園芸業界において沖縄と言えば、切り花や観葉植物などが多く生産される有数の産地である。特に沖縄の気候を活かした観葉植物の生産出荷は屋内トップラスであり、国内の園芸に関わるバイヤーが、定期的に訪問し、植物の確保するために訪れている。そして私たちグループの2部門もその中に含まれており、私たちの担当者は沖縄の生産者の方々と長年特別な関係を培ってこさせていただいており、本当にありがたいことである。
そのような関係がありながら、私が沖縄を訪問させていただく理由は、多くの関係者のような目の前に並んでいる植物の選定や確保ではなく、別の目的があっての訪問である。その一つが、農業分野において生産者や生態系など環境に配慮したグループ会社が開発する画期的な細胞膜透過性資材や技術の提案である。本州においてはすでに野菜やお米の生産者に導入いただき顕著な結果を得ることができており花卉関係においてもご相談をいただくことが多くなってきた。そのような取り組みが沖縄にてもお役に立てるのではないかと考えての訪問である。
その他には、数年前より地元の事業者の発展を目的とした壮大なプロジェクトが描かれており、そのキーマンたちとのディスカッションのためである。そのキーマンたちは、業界にてはとても名の知れた方々であり、それぞれが素晴らしいビジョンを持ち、すでに多くの活動や実績も残す素晴らしい方々である。またお互いの植物に関わる活動において互いがリスペクションし合える魅力的な方々である。そしてそのプロジェクトにおいて又右衛門が担えることや、必要性を確認することができ、とても意義のある時間が持てた。
私の役に立てることはどこまでかは未知数な部分はあるが、地元の発展、花き園芸の発展のために立ち上がった若き猛者と勇者の魅力的な計画に大いなる刺激と学びをいただき、ぜひ実現させたいと強く感じたので、又右衛門の持てるものを投じていきたいと思っている。とても壮大な計画であるので楽しみがいっぱいである。
そのほかにも以前からお世話になっている方々に相乗し生産者の訪問をさせていただくことで日々お世話になっている生産者へのご挨拶や移動中に、様々なことを学ばせていただけ、本当に意義深い沖縄訪問となった。
さらに大好物の沖縄ぜんざいも食べることができ大満足である。ただ大好物の三矢ボール(黄金ボール)が販売終了になったのと、帰りの車で、ペットボトルのさんぴん茶を半分以上ズボンの上にこぼしてしまって、空は晴天であったが私の体の一部はどしゃ降りであったことは残念ではあったが・・・・・。
このような感じの短い滞在ではあったが、今月少し歳をとった又右衛門を奮い立たせていただけるきっかけとなる訪問となった。様々なしがらみや問題など、これから多くのことで考え、悩み、苦しみに直面していくかもしれない。そしてその実現のためには今まで以上に時間と行動力が必要とされるため、今までの役割や活動を制限しなければならないことになるであろうが、その全てが植物のため、関わる人と一緒に笑顔を見るために繋がっていることを確信しているので“前へ。前へ”と歩んでいきたいと思う。
素敵な風を心と身体で感じながら・・・・・。
昨日からのプロジェクトやその他の新しい取り組みにおいての思考を自己制御で止められず、作業をしていると夜明け近くになってしまった。そしてそのことが幸いして、昨晩から続いていた雨が止んだのを確認できたので、今がチャンスと急遽思い立って綾部へと向かった。
綾部には以前より懇意にしていただいている著名な芸人であるシャンプーハットのてつじさんがプロデュースする「てつじ亭」がある。
てつじさんは、TVでみる芸風とは違う面を多く持っていて様々なプロジェクトを起ち上げ、地域の活性化を実現させている。そしてその一つが「てつじ亭」である。てつじさんの行動力と何といってもその人柄に魅了され、多くの方が集まってきて、この場所が日々成長しているのを感じられる素敵な場所である。その「てつじ亭」背後にある山の斜面に自生する1本の木が訪問当初から気になっていたので、その樹種を確認するために急遽訪問である。
前日はデスクワークが朝方までかかってしまい、夜明け間近になったおかげで昨日から続いていた雨が止んだことがわかったので、この機を逃してはならないと思い立ったので現地に車を走らせた。
ただ何故このような忙しく、眠気もあるような時に早朝から現地に向かったかというと私が気になっていた木が桜であろうと思っていたので、この木を活かした風景づくりができないかと考えており、てつじさんに聞きいてみたが、桜が咲いていたような記憶がないとのことで、では、その樹種の確認をするのは、周囲で桜が咲いているこの時期にその木の状況を見るのが一番適しているであろうと考えての訪問である。
万年青が自生する裏山を登り確認をさせていただいた。ただ開花はしていなかったので最終的な判断はできないが桜であっても開花しない要因も見つけられたので、もう少し調査し、てつじさんに報告をしたいと思っている。
調査を終えるとトンボ返りで大阪の事務所にもどるためにひたすら車を走らせた。途中では桜を観ながらてつじ亭の魅力を思い起こしながらであったので、眠気もなく快適なドライブであった。
そして午後からは、また別の魅力的なプロジェクトのお声掛けをいただいたので、ミーティングのため、現地を訪問させていただくことになった。
このプロジェクトについては2年ほどかかるかと思うので、その時に皆さんにアッと驚いていただきたいと思っているが、とても魅力的な植物を見ていただけると思うので、これからの展開を楽しみにしておいてくださいませ~~。
今日は、京都府亀岡市の桂川市長が来社され、私たちの活動や植物を見に来られました。
雨の足元が悪い中でしたが、市長はそのようなことも全く気にされず私たちの施設を確認され熱心に質問もしていただけました。
桂川市長とは以前より懇意にして頂いており、環境配慮の取り組みなどを他市に先駆けいち早く実践されている行動力に長けた方である。また花き園芸における知識も豊富な方のため植物のちからを取り入れた政策を数多くされていて注目もさせていただいてきている。特にリーダーシップが素晴らしく、その活動から長としての在り方など多くを学ばせて頂けます。2年後には全国都市緑化フェアが亀岡で開催されるとのことで、今後がさらに楽しみです。
午後からはグループ会社の本社工場にて新製品の製造開始に伴うミーティングを行った。
その新製品とはアースフィールMNという商品である。この資材は細胞膜透過性資材として新しく開発し、すでに米や野菜では多くの実績があり、花き園芸においても今までになかったであろう成果をあげている。
その他に開発した資材などを使用し、研究をすすめているが、近々公的な法人にて発表をさせていただくので、是非楽しみにしていただきたい。
そして夜には奈良へと向かったが、今日一日での興奮もあったが眠気も一切おこらずに無事に帰宅することができた。ワクワク感が止まらない。
今週はAIR-POT開発者であるThe Caledonian Tree社の初来日であった。それに伴い今週は、ほぼ一緒にAIR-POTの普及活動を関東圏で行わせていただいた。
「AIR-POTⓇ」とはもうご存知の方も多いかと思うが、空気根切りPOTの草分け的存在で英国王立植物園キューガーデンはじめ世界を代表する植物園や著名な花き園芸緑化事業者に選ばれているPOTであり、それらで育てられた植物は、ミラノ万博など世界を代表する設計において指名されるほど素晴らしい機能を持つ植物育成POTである。
Air-Pot® – The Experts’ Choice
まだご存知でない方がいらっしゃったら下記のリンクのYouTubeを是非ご覧いただきたい。
AIR-POT | 有限会社薔薇園植物場 (baraen-rosegarden.co.jp)
そして実質の活動としての水曜日初日は埼玉からのスタートである。
埼玉では内田緑化興業様を訪問した。内田様は、昨年の展示会であるGARDEXにて繋がり、AIR-POTの品質の高さ、機能の高さに着目され、いち早く導入をしていただけたため、この来日の機会に開発者ともに訪問し、内田会長はじめ要職の皆様、現場スタッフの方々とミーティングの機会をもたせていただいた。
机の上では、互いの取り組みとAIR-POTの説明を行い、その後広大な管理地を数か所まわり、実際の圃場や植物を前にしてスタッフの方々と貴重なディスカッションを行うことができた。
そしてその後はランチミーティングにおいても、貴重な情報交換ができ、さらには新しいプロジェクトの提案もあり、近い再訪を約束させていただけるという、とても有意義な訪問となった。終始歓迎ムードであった皆様には本当に感謝であるのと、内田会長の強い牽引力に多くを学ばせていただけた。
その後はレンタカーに乗り込んで千葉へと向かった。途中いたるところで渋滞していたが、常にミーティングをしていたので、ドライバー又右衛門は眠気も起きず、夕刻に木更津まで到着することができた。その後ランドスケーパーである半田さんと合流し、メンバーみんなでディナーミーティング。その後各自部屋に戻ることにした。
翌日はAlonAlon様を訪問させていただいた。AlonAlon様とのご縁も昨年、ある方の紹介でご連絡をいただき、その際に「AlonAlon Jungle Town構想」への参加をご依頼があり、その後この地を訪問。就労される皆様の笑顔、那部代表の想いに共感でき、今月初めには設計チームを含め、タイで一緒にシンボルツリーを探すまでに至った関係にまでなることになった。
今回はタイにて一緒に活動したメンバーに加えて、AIR-POTチームも合流し、「Jungle Town」での植物育成を検討した。
さらにマンゴ生産への可能性などを現場でディスカッションし、生産力向上に貢献できる感触を得ることができた。
那部代表は、今まで作り上げ、すでに大きな成果が上がっている現状に甘んじず、更なる向上に向けて可能性を追求し、チャンスを与えていただけることに多くを学ばせていただいた。これからもこのメンバーがさらに拡がっていくのが楽しみである。
午後からは悪天候もあり、ホテル近くのファミレスでAIR-POTチームのみのミーティング。一旦部屋に戻って、夕食をとりに近くのレストランへと向かった。そこで今回の来日のお土産にと素敵なプレゼントをいただくことができた。また最後に紹介させていただきたいと思う。
最終日は大田市場花き部を訪問。活気ある仲卸通りを見学後、市場の方々とミーティングをさせていただき、AIR-POT中心にとても前向きな議論ができ、様々なアイデアが浮かび今後がとても楽しみになった。
雨風がかなりきつい市場を出発。神奈川へと向かった。途中で、資材販売において大先輩である阪中緑化資材さまと合流。阪中代表は昨年の日本植木協会で講演させていただいた時に半田さんにご紹介いただいてからのご縁である。阪中さんは以前からAIR-POTシステムの理解者で強く興味を持っていただいており、日本での普及を一緒に取り組んでいただける強力な助っ人である。そのためAIR-POTの来日では、是非お会いしていただきたいと思っていたのでとても良い機会になった。
ランチミーティング終了後、阪中さんの案内で小島植物苑様を訪問させていただき、AIR-POTの紹介をさせていただいた。
小島植物苑様では小島さんはじめ若手メンバーにご参加していただき、AIR-POTシステムの紹介や実際に手に取って組み立て、このシステムへの理解を深めていただけたように思う。
今回は阪中さんのご紹介にて訪問をさせていただいたが、実は5年前に国立競技場での大事なプロジェクトの時に、大変お世話になった方である。今回も私たちの訪問を快く受けていただいたようで大変うれしく思っている。また小島植物苑様では、若い方々がとても多くご活躍されている様子で、素晴らしくまた羨ましく思えた。
その後、小島さんの紹介で著名な会社を訪問。ここでもAIR-POTシステムの紹介をさせていただき、少しだけの残りの時間ではあるが施設内を見学することができた。
これで今回の来日による普及活動は制限時間いっぱいとなり帰路に着くことになった。そして休暇で関西に向かうThe Caledonian Treeの方々と、今回の出張で朝早くから遅くまで通訳兼AIR-POT担当として奮闘してくれたスタッフを新横浜駅で見送り、私はレンタカーを返すために羽田空港をめざすことになった。
4日間ドライバーの役目を全うしレンタカー返却後、空港に向かい搭乗。出発が遅れた飛行機の窓から観える夕焼けの富士山を眺めながら、今回の有意義であった出張を振り返りながら、しばし充実感に浸っていた。
夜遅くにはなってしまったが無事に帰宅し、荷物をほどいて、彼らからいただいたお土産を再度開封し、再び今回の活動から得ることができたものを思い返していた。
これが先ほど書かせていただいた彼らからのプレゼントである。この器はQuaichという錫製品デザインがなされ光り輝いて美しい。
ただそれだけではない。そしてこの器に飲み物を入れて、両者が器の両方から飲むというスコットランド特有の儀式のようなもので、互いが非常に強い絆を結ぶことを意味するものだそうで、結婚式などにも用いられるとのことである。日本で言えば良い意味での盃を交わすようなものにあたるのかなと解釈した。
このようなものをいただけるとは本当にありがたいことである。私たちはこの契りを忘れることなく引き続き日本で唯一選ばれたパートナーとしてAIR-POTシステムの素晴らしさと同時に、正しいことを正しく伝えることの大切さを胸に刻み込み前へ前へと歩んでいきたいとあらためて感じることになった。
今回、彼らは来日して、AIR-POTシステムによって日本の植物を育てていってくれた。ただ育てたのはそれだけではない。私を含む日本のパートナー自体をもしっかり育てていってくれた。本当に感謝である。
次に会うことができるのはいつだろうか?英国か?日本か?それともその他の国であろうか?わからないが、その時に胸を張って会うことができるように頑張っていこう。契りを交わした者として・・・・・
今週初め、スペインから帰国してから若干の時差ボケと2度の国内出張などでバタバタの内に今週を終えることになった。また天候も彼岸を迎えながらも落雷に雹、氷点下の気温に積雪など荒れた一週間であった。
帰国した翌日の火曜日、都内でGREEN×EXPO2027の共創ファーラムが開催されたので出席をさせていただいた。
会場には多くの方が出席され、恐らく参加者も制限があったかと思われるほどの盛況であった。
フォーラムには国際園芸博覧会協会の方々や知事、市長、はじめ、博覧会に関わられる方々がお越しになられていた。また涌井チェアパーソンと公式アンバサダーである芦田愛菜さんとの対談もあり和やかな雰囲気の中で、とても重要なメッセージが発信されていた。
その話を拝聴しながら、今まで十数年間バラエングループが取り組んでき環境配慮の方向性や改善などの取り組みが間違っていなかったことが確信できたのと同時に、本博覧会に対する意識が高まっていく自分を感じた。
週中には、業界誌の取材を受けたり、一応会社の経営者でもあるので事業に関することで、駆け足で回るなど活動したりでバタバタであった。
週の終わりには再び羽田経由で横浜へと向かった。今日は快晴で、機内からは富士山が綺麗に見えていた。そして順調に横浜に到着。横浜では大切なプロジェクトの定例会があり、今日が本年度の一応の区切りである。また次年度はどのようになるかは未定であるが、国内外どこでも本当に必要とされるところで活動をできればと思っている。ただ少し多くのことを手掛けすぎた感もあるのである程度絞り込んでの活動をしなければと考えている。
そう思いながらも、昨年始まった秋田での松生産や各地での生産支援活動、南の島での新しい取り組み、さらに海外拠点の設立など色々な構想が起ち上がってきてやりたいことがいっぱいである。
「男心(女心)と秋の空」は、秋の天気のように変わりやすく、移り気だと言うことを意味するが、今週の春の天気も日々大きく変わっている。そして私の活動も春の天気のような日々大きな変化がある。ただ決して秋のような移り気でなく、変化の中にも一つひとつをしっかり大切に向き合いながら燃え盛る夏を迎えたいと思っている。
「又右衛門心と春の空」である。
今日は宝塚ベガホールにて「フラワーバレンタインコンサート in 宝塚 vol.10」が開催されました。
雨にも関わらず開演の1時間以上前からお並びいただき、さらに大変多くの方にお越しいただけ、座席が足らずに補助席を用意しお座りいただくことになってしまい、本当に申し訳なく思っております。そのような状況でありながら笑顔で公演をお聴ききただけた皆様のご厚情に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
開演のはじめには、ステージから私又右衛門を招きあげていただき、皆様にご挨拶の時間をいただけました。そしてせっかくなのでフラワーバレンタインとは?についてと、2027年に横浜で開催されるGREEN×EXPO国際園芸博覧会の告知と、そのときの宝塚の花き園芸への応援をお願いさせていただけました。
公演中は、素晴らしい演奏や歌声をお聴きになられた方々が、大きな喝采と掛け声が飛び交うなど、演者と観客が一体となったステージであったかと思います。
また最後には、再び司会からステージに引き上げられ公演のお礼をさせていただきました。その後皆さんとともにステージを降り、出口にてフラワーバレンタインらしくお越しいただいた皆様に、小さなブーケではありますが、お渡しさせていただきました。
公演者からブーケを手渡される皆さんの笑顔がとても印象的で、私にも多くの方々が声をかけて、中には差し入れもしていただけました。ありがとうございました。
思い起こせば今回で10回目。途中COVID-19の影響で開催ができなかった年もありましたが、なんだかんだと10回を重ねることができたのは、お越しいただける皆様、演者の皆様、施設などご準備をいただけた皆様のおかげです。本当に感謝です。
週初めには愛猫ハクの他界で、かなり凹んでいましたが、おかげ様で、少しうつむき加減であった又右衛門も顔をあげられるようになりました。
このコンサートも、いつまで続けられるかなどは全くわかっていませんが、このような素敵な笑顔が見られるのであれば、できる限り何らかの形で関わっていければと思っています。
さ~悲しんでもいられない。前へ前へと向かっていかなければですね。
2024年2月20日 13時45分 「ハク」が永眠しました。
約1年前に病を患いながらも、私たちと一緒に楽しい時間を過ごしてくれました。ハクが旅立ちました。
ハクは子猫の時に食品スーパーに迷い込んで陳列台から出られなくなっていたときに、救出されましたが再び野に放しても同じことを繰り返し、大きな事故につながることも考えられるということで保健所に引き渡される予定でした。
その時に私と出逢い、私の手のひらの上で震えていたのを強く覚えています。本当に憶病なネコちゃんでした。このままではどのようになるかは大体の想像はついたので、一旦私が譲り受け、自分の車内で思案していたところ、家族の了解を得ることができ、そのまま我が家にて迎え入れることになりました。
我が家に来てからは、はじめは先輩ネコたちとうまく折り合いがつかず大けがをすることもありましたが、何とかすくすく成長してくれて、いっぱいの思い出を私たちに授けてくれていました。そして病気になる前には体重も約8㎏までなり、とっても福々しく子犬より立派に成長してくれました。
おどけた目、いつもおっとりさんで、食べるのも遅いため他のネコたちにご飯をとられてしまい寂しそうな背中がとても愛おしく感じる子でした。
それが1年前急に痩せ始めたので、病院で精密検査を受けたところ、大きな疾患があり、急遽手術となりました。その後経過は順調で安堵していたのですが、昨年末ぐらいからまた一気に痩せ始め、通院を繰り返しましたが、回復傾向には向かわずにいたので、食事とマリネックスを飲みながら、病と闘ってくれていました。
その時のハクは、今まで以上に食事をとりましたが、体重は減る一方で歯止めはきかず、数日前抱きかかえた時には、スーパーで出逢ったときのように軽くなっていました。きっとハクは「生きよう。生きよう。」として一生懸命ご飯を食べていたのだと思います。
毎朝、私が起きると同時にご飯をねだり、一生懸命食べてくれていて、今朝も大好きな金のだしカップを食べて私を見送ってくれました。
その後、仕事で帰省している長男からご飯をもらい、しばし元気に過ごしていましたが、お昼過ぎ家内と帰省していた次女がいる前で急変したので、沖縄にいる長女とスマホのビデオ通話でつなげ、互いがその声をしっかり聞き取り合いました。
そして出先の私からの電話の声を聞いてしばらくして、ハクは最期の言葉を振り絞り、その後静かに息を引き取りました。彼が何と伝えてくれたのかはわからないですが、私たちそれぞれは、その意味が理解できたように思っています。私は最期の瞬間を傍で看取れなかったのは正直心残りなところもありますが、それも私への精神的な配慮を考えてくれたように思いますし、私たち家族と一番繋がりやすい日、最適な時間を選んだかのように最期を終えたハクは、本当に偉い子だったと思います。
そして棺の代わりに我が家にあった段ボール箱に、ハクが愛用していた座布団やおもちゃ、大好物のちゅーるを入れ、多くの花で埋め尽くさせていただきました。その姿はお花畑でお昼寝するハクのように安らかに感じました。そして動物霊園に向かい、ご葬儀をあげていただきました。
素敵なお数珠をつけてもらえ
最期のお別れの時もまだしっとりした肉球、先がちょっぴり曲がったしっぽは、まだまだふさふさで生きている時のままでした。
そして埋葬は、もともと飼い主がいなかったネコちゃんでもあり、みんなのもとに戻してあげるのと、一人ぼっちで旅立つのは寂しいであろうと思ったので、共同での火葬と墓地にいれさせていただくようにしました。
ハクを見送りながら、臆病で道にも迷う彼なので、とてもとてもこれからが心配ですが、きっと我が家をでて、やっとお母さんやお父さんに会えるであろうと思い込むようにしています。それでも心配で仕方がありませんが・・・・・
もし途中で道に迷ったり、いじめっ子に出会ったりしたとき、不安な時は大きな声で「僕は臆病者の捨て猫ではい。ハクだ!金岡ハクだ!!怖くなんかないぞ!!!」と言えばいい。
ハク!本当にありがとう。とても素敵な時間と想い出を授けてくれました。中々ぽっかり空いた穴を埋めることはできないけど、楽しい想い出を胸に過ごしていきます。
そしていつの日か、同じように野良から我が家に来てくれた「レン」「チー」「キジ」もそちらに向かうことになります。その時はきちんとみんなを迎えに来てあげてね。そしてそしてその先には私も向かうとことになります。その時はまた一緒に過ごせることを楽しみにしています。また一緒にピザでも食べよう。
もっともっと書き綴りたいこともありますが、少し振り返るだけでもパソコンのキーボードがびしょびしょになり壊れてしまいそうなので、この辺で終えさせていただきます。今までハクを可愛がっていただきありがとうございました。
そして最後に。ハク!!!本当に本当にありがとう。大好きだよ!絶対また会おうね!
今週の始まりは、ある新しいプロジェクトの打合せを京都市内にて行わせていただいた。最近は膝を付き合わせての打合せからは遠ざかっていたが、先日の沖縄訪問がきっかけとなり、急展開で新しいことを進めていくことになる可能性が出てきて、急遽打ち合わせをして意思の確認をし合うことになった。
そして次の日は、東の都である東京へと向かった。
場所は渋谷である。さすがに街の大きさを感じる。ここでは大先輩に私たちが取り組み自然生態系調和型植栽管理について提案の機会をいただくことができ、その取り組みに共感をいただけたことは大きな自信につなげることができた。
さらに現在進行中のプロジェクトや今後についてなど多くを学ばせていただくことができ、長い時間ではなかったが、多くの時間を私に割いていただけ、私にとってとても意義のある貴重な時間となった。
一旦帰阪し、週中は再び都内へ向かった。ここではとても大切にさせていただいている方のご依頼のプロジェクトがあり、その事前調査などをさせていただいた後に、電車で移動した。
お昼過ぎに私が客員研究員をつとめさせていただいている進化生物学研究所へと向かった。
バイオリウムの植物や動物たちに挨拶をして、相談があるため湯浅理事長のもとへとむかった。ここでも持ち得なかった知識を授けていただき、さらに先日のマダガスカル訪問のことなど生きた情報をいただけ大いに参考にすることができた。
マダガスカルで作られた新しい木彫りが届いていたので拝見させていただいたが、これがとても可愛い。かなり精度も高く、きっと日本でも人気が出そうなので現地に増産の依頼をさせていただいた。実際に届くには数か月以上はかかるであろうが、とても楽しみである。
そして現地ボランティア組織であるサザンクロスの話などをさせていただいたが、理事長の制限時間がいっぱいになったため、近いうちの再訪を約束して、研究所を後にした。
隣接する馬事公苑がリニューアルオープンしたので、帰り道の途中でもあるので、さっと見学をさせていただいたが、とても広々とした敷地に新しい施設がつくられ、とても良い空間になっていた。
これで今日の予定は終わりなので、明日の打合せがある横浜へ電車を乗り継ぎ移動することにした。
横浜のホテルにチェックインした時には陽も落ち、お腹が空いたのでホテルの近くでどこかないかと思い探していると、1軒のお蕎麦屋さんの、サンプルが目に留まり、吸い込まれるように入ってしまった。
そして入口で目に留まった「富士山盛り」を注文し、しばし待っていると私に出されたのが次の写真である。
まさに富士山盛りである。まさかサンプルのような大盛が出てくると思わなかったので驚きである。朝に機内から眺めた富士山より大きな山にも感じた。
食べ始めて約5分。すでにお腹はいっぱいであるが、高さは少し低くなったかもだが、まだまだ中央アルプス並みに残っている。
さらに7~8分経っただろうか、それでもまだまだ残っている。正直この辺りで、ごめんなさいと言いたいところであったが、自ら富士山盛りと言った以上、残すわけはいかないため、涙目になりながら粛々と食べ続けることにした。
そして飲み込むことすらできなくなり、意識も薄れかけた時に、やっと何とか完食することができ、そこには富士山の姿ではない、見事な関東平野が広がっていた。今回何とか完食することはできたが、明らかに体調は悪くし、大きく反省をしなければならないことになった。
皆さんも富士山盛りを注文するときは年齢と健康状態と相談してからお食べになることをお勧めしたいと思います。
部屋に戻り胃薬数種類を飲んでから倒れるようにベッドに横たわり、苦しみながら一夜を過ごすことになった。
翌朝、大切な会議に出席し、午後の飛行機で帰阪し、そのまま西ノ京(奈良)と向かい所用を済ますことになった。
週末の今日は、今週2回目の京都に向かい、打ち合わせなどを行うことになった。週初めの京都、東京、大阪、東京、奈良、京都と今週は京都に始まり京都に終わる、まるで都参りのような1週間となった。
そしてそのどれもがとても重要な取り組みでやりがいのある楽しみなものばかりである。その任務遂行と達成のために自らの体調管理もしっかり行ない、くれぐれも食べ過ぎには気を付けていきたいと強く思った今日この頃であった(;^_^A
今日は、午前中のミーティングを終え、大阪・淀屋橋の住友ビルで開催される青年海外協力隊プラザ・大阪の理事会に出席させていただいた。
私は縁あって昨年に本会の理事に就任させていただき、参加させていただいた。理事に就任されるほとんどの方がJICA隊員経験者の大先輩である。昨年の就任の時に、来年に還暦になりますと伝えたところ、還暦か!若いね!!と声をかけられたことがとても印象に残っている。
理事会が開催され、とても活発で熱がはいった意見交換がなされていて、その雰囲気にのまれてしまいそうなぐらいであった。
最近では多くの会で、若返りを口にされる場合は多いが、あまり意見を述べる若手が少なく儀礼的に行われる理事会もある中、今回の理事会を通じて、会の若返りとは年齢ではなく、意識と行動力であると言うことを強く感じた。
確かに体力は衰えていくが、精神がアグレッシブであれば、その方が会は生き生きするように思う。是非私も我欲を優先せずに、積極的に取り組みながら歳を重ねていかなければならないとあらためて感じさせていただけた。当たり前だが何年経験を重ねても先輩は、やはり先輩である。ありがたい存在である。