四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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いよいよ今日が最終日。珍しく雨が降っている。朝の待ち合わせうまく時間が合わなかったり、激しい渋滞に巻き込まれたりなど、中々うまく動けなかったが、何とか視察を終え、今回のもう一つの目的の手がかりは何とかつかむことができた。また内容が伝えられないものもあり、もう少し具体化してきたら皆さんにも報告をしたいと思っている。
そうこうしているうちに、気が付けばお昼をまわっていたので、パートナーと一緒に最後の食事をとることにした。
羊のスープに、モンゴル焼うどん。正直私は羊肉が苦手なので、抵抗が少しあるのだがせっかくなので最後のしめはこれにした。
最近ではウランバートルでは、コリアンでも和食でも何でも食べることができる。おまけに少し創作っぽいイタリアン風のモンゴル料理もできてきたらしい。
さらに以前は百貨店のようなものがあるぐらいだったか、今ではヴィトンやボッテガなどの直営店もできている。スーパーも多くできていた。
またいろんな施設の建設も進んでいて、確かに街は近代化してきている。ただすべてが喜ばしいこととはみんなが思っているわけではない。この辺のことについては、またまとめて感じたことをかければと思っています。
食事を終えると、飛行機の出発2時間前だったので、空港へと向かうことにした。そして途中線路を渡った時に、ふと思うことがあった。
そして出発前だがパートナーに最後に行きたいことがあるとお願いして、ウランバートル駅に連れて行ってもらった。
この路線は大瀧詠一の歌「さらばシベリア鉄道」の影響か以前から一度乗ってみたいと興味津々だったシベリア鉄道であり、運が良いことに1日1本ぐらいの列車が止まっていた。
本当は路線で北京やモスクワに向けて乗ってみたいのだが、そこまでの時間は私には到底無いので、せめて食堂車だけでも見学させてほしいとお願いしてみた。最初はかなり抵抗されたが何とかお願いして停車中のしばらくの間乗せてもらうことができた。
おまけに乗務員さんに一緒に記念写真をお願いしてもらったが一人目は、あっさり断られた。でもせっかくなので、もう一人の乗務員さんにパートナーがお願いしてくれた。
その時、パートナーがお願いしたのが、「日本からやってきて記念に写真を撮りたいと言っているのでぜひお願いします」と。そして乗務員は「イケメンの日本人ならいい」と・・・
そこで私が登場したら乗務員は開口一番「この人日本人じゃない!!!」って。それでも何とか一緒に写真を撮っていただけました。乗務員さんありがとう。
そうして北京からウランバートルを経てモスクワまで約5泊の旅をいつか完走してみたいと強く思い、駅を後にして空港へと急いだ。
少し話を戻すが10年前もだが私はカザフスタン人に似ているとかよく言われたのだが、今回は似ているというレベルではなく、当たり前のようにカザフスタン人か内モンゴル人と思われていた。それも日本人旅行者や、モンゴルの多くの人にも・・・。 喜ばしいことかどうかは微妙であったが、視察の際は少し役に立ったかもでした。(笑)
そして出発の1時間前に空港に到着。この数日間パートナーを務めてくれたハグワ氏と再会の約束と握手を交わし、ここで別れて空港内へと私は進んでいった。
機内ではまたあのサンドウィッチが出てきて、さすがに今回は手をつけられなかった。
そして約2時間北京国際空港へ到着した。出発は翌朝のため北京での1泊になる。ただそのためだけに市内に出ても、いろんな面でマイナスが多いのと、たまっている仕事も進めたいので、空港内の有料ラウンジを高校時代の親友に手配をしていただき泊まる予定。
そのため、入国せずにトランジットをしようとしたら、ここからは入れないのでと別ルートを案内され、言われるままに進んで行った。そして最終的に出国してしまうことになってしまった。
そして仕方がないのであらために出国しようとしたら、あなたは国内線だから出国できないとのこと。結局語学力の乏しい私とっては、北京から福岡だから国際線でしょ?と何度も押し問答。そしてどうしても理解ができないので、私の高校時代からの親友の同僚が中国にいるのでホットラインで助けていただいた。彼の話によると私が乗る飛行機は大連経由なので、国内線で大連へ行き、そこから福岡に行けとのこと。
尚更私は理解に苦しんだ。急に変更になったのかもしれないが、それならチェックインの時に行って欲しいし、それが通常ならチケット発行時に行って欲しかった。
私のeチケットとボーディングパスがこれ。ここのどこに大連経由とか国内線で移動とかが書いてあるのか?何でこんなことになっているのかもよくわからず、相手の話す言葉もよく理解できずにバタバタし食事もできず、やっと先ほどソファーラウンジまでたどり着いた。
そして今このブログを不安に包まれながら書いています。
本当に明日、語学力のない私は帰れるのであろうか???
明日無事帰れましたら、モンゴルで思ったことなどのまとめを後日アップさせていただきますのでしばしお時間を下さいませ。
ではでは。
とりあえず明日に備えて仮眠します。おやすみなさい。
今日は朝から前回、モンゴル マンホールチルドレンの現況などの社会問題などをミッションメンバーにレクチャーしていただき、大変お世話になったワールドビジョン モンゴルに、前回のお礼と、作った施設の現況の報告に訪問した。
事務所の移動などもあり、アポなしでの訪問になったが、気持ちよく応対をしていただき、ディスカッションさせていただいた。
私は10年前にくらべマンホールチルドレンは減少したと聞いていた。ただなぜ減少したのかということに、色んな憶測が流れているのが気になっていた。その説明はワールドビジョンさんの報告では5か所しかなかったマンホールチルドレンなどの子供の収容施設が30か所になり減少したとのこと。地元に人によれば、全てがそのおかげではなくて、もっと違うことを言うひともいるが、それはあまりにも恐ろしいことなので、そう考えずに、またそうでないことを願っていたいと思っている。
このようなことや現況などを聞かせていただき、市内や遊牧民の子供たちの教育の話もさせていただいた。ここではわずかな時間でしかなかったのだが、お話をさせていただいたことはとても有意義であり、10年越しのお礼も伝えることができたので胸をなでおろすことができた。
そして最後に、このモンゴルは安心安全な食べ物の確保も容易ではない状況でもあるが、私は花き業界に携わるものとして、花きを通じてモンゴルにできることをお互いに考えていきたいという言葉を残し、再会を約束して事務所を後にした。
そしてその後、食事を済ませ、ナラントール ザハ(市場)を訪れた。
駐車場もまるでルールがあるような無いような状況で車を停めるにもひと苦労する。
ここナラントールザハは、モンゴルで一番大きなザハで食品や家庭用品など衣食住に関わる全てのものが売られていて、生活を実体験できる場所でもある。このザハも以前に比べ、かなり大きくなり、混雑状況も半端ではない。当然どこの国にいってもこういう施設では、犯罪も起きやすく、基本慣れない日本人には正直危険なのでおすすめはできない。現に私が行った時も、目の前でスリが捕えられ連行されたり、壮絶な取っ組み合いのケンカで血を流したりしているものもいた。そんな状況を見て草原とのギャップにおどろかされ、草原の美しさが消えてしまいそうになるからだ。
しかしモンゴル ウランバートルの現状を受け入れたうえで、モンゴルの素晴らしさを感じられるのであれば、一度は行っていただきたいところでもある。
ちなみにこのように花も売られていた。良い品質とは到底言えないが・・・
しばらくザハ内を歩き回ったのだがさすがの私も、人ごみに圧倒されたので、長い時間を費やすことなく移動をした。
そうしてホテル近くをめざしたが、またもやあまりにもひどい交通渋滞。街角にはヒッチハイクのように、車に乗せてくれという人たちが多いため、尚更道が混む。
モンゴルでもタクシーは当然走ってはいるのだが、日本でいう白タクも合法であるらしいので、手っ取り早く普通に走っている車をヒッチハイクのように停めるのである。ちなみに料金は1kmあたり約60円とのことである。さすがにこれも私は未体験である・・・。
そんな渋滞を避け、ウランバートルが一望できるザイサンの丘へ行くことにした。
実はこの丘も、私の今の仕事においてとても重要な意味を持つ場所である。10年前にこの場所から、ある人に国際電話を掛けたことから、今のビジネスがあるといっても過言ではないかもしれないほど、私にとって意義深い場所ある。そしてその時のことを思い出しながら、長い階段を上り下りした。
そしてホテルへ。そのころには日も落ちかけていた。モンゴルのこの時期の日没は20時30分ぐらいなので、それから現地パートナーと食事や打ち合わせ、またもや思い出話をしていたら、夜中になってしまった。
さ~明日は、少し仕事の視察もあるので資料をそろえておかなければ・・・。尻切れトンボのようなブログになってごめんなさいですが、完全電池切れのためごめんなさい。
そしておやすみなさい。
今日は、朝から10年前に建てた小さな学校がどのようになっているかを確認すべく、車で目的のキャンプ地をめざした。
途中いつものように、草原をひた走る。まだまだ整備が行き届いていない道に体を大きく揺らしている状況は、期待と不安が交錯する自分自身の心を表しているようだった。
途中では、馬や牛、山羊、羊などと出会い、心の中であの学校はどうなったか?とたずねながら、心を落ち着かせるのに一生懸命だった。
そして約2時間、目的地であるキャンプ地が目に入ってきた。
そこには、当時私たちのミッションの現地の中心的存在であるBaatar氏の変わらぬ姿があった。彼はこの地において、サマーキャンプを毎年開催していて、その際に私たちがつくった学校を利用しながら、管理をしていてくれているのである。
彼には数日前に急にそっちへ向かうと連絡していただいただけだったが、遠路より訪れた私たちを、温かく迎え入れてくれた。
そして多く言葉を交わす間もなく、何よりも当時の場所へと早足に移動をした。しばらく歩くと、目の前にはほとんど当時のままの姿の建物があった。
学校の入り口に、当時つけていった看板もしっかりついていた。
それと壁に子供たちとミッション参加者が笑顔で一緒に描いた絵も残っていた。
またその絵に、その後参加者が重ね描きをしてくれていて、多くの人がここを訪れ、この場で子供たちと交流し、色んな事をお互いが学び合うことができ続けていることが確認でき、あらためてみんなで作ったことが間違っていなかったと、安堵感とうれしさを同時に味わうことができた。
さらにこの施設ではその後も増築をすすめ、世界各国からのボランティアを受け入れられる宿泊施設も増え、その参加者同士や子供たちが学べる場所もできていた。現在も2人の日本人がこの地で活躍しているとのこと。会って激励したかったのだが、日曜日でお出かけしたとのことであった。これからもこの地で子供たちと触れ合い、様々な学びを得て帰国してくるのであろう彼らに、大きな期待をしたいと思う。
本来であれば、この施設で、現地の子供たちと各国からくる参加者とともに、一緒に汗を流したかったのだが、日曜日であったのでそのことは叶わなかった。しかし明らかに前進しているここのメンバーの実際の行動とその結果で多くの勇気をいただくことができた。
さらに普通であれば食べる野菜を作るのに毎日フラフラになっているであろうに、この施設には花も育てられていて、その花は普段私が見る完成度の高い花や、一流のデザインを施された花とも違う、特別な美しさがあり、安らぎと力強さを与えてくれた。
本当はもう少しここに滞在し、いろんなことをゆっくり考えてみたかったのだが、モンゴルは長い間氷と砂嵐によって閉ざされる時間が長いため夏はとても貴重な時間である。そんな貴重な時間を私に割いていただくわけにもいかないので、かなり後ろ髪をひかれる思いをしながらだったが、彼らと強く握手を交わし、また訪れることと、私たちにできることの協力を約束し、また草原に車を走らせることにした。
10年ぶりに訪れたこの地には、あまりにも当時のまま残っている建物、絵などがあるのが、可笑しくっておかしくって、涙が出そうになった。
本当にありがとう。きっとまた訪れます。また逢う日まで元気に頑張ってください。
私も皆さんに負けないよう、皆さんとの思い出を糧に情熱をもって頑張っていきます。
関空を10:00に出発し、北京国際空港に13時前に到着した。
ここでトランジット。イミグレーションを通過するとき、目薬を出すのにポケットに手を入れていたら、「ポケットから手を出せ!!」と・・・・・。相変わらず手厳しい。
ポケットに手をいれて叱られたのは、きっと小学生の時以来だと思う。その厳しい口調に、少しムムッと思ったのだが、続いてのボディチェックのときの女性が、とても好意的に微笑みかけてくれたので、少し気をよくして出発ゲート近くまで移動した。
そして時間があるので航空会社のラウンジで食事をとった。
ここの炒飯は庶民的だが中々美味しい。その他鶏肉の炒め物も結構いける。さすが中華はどこで食べても安定しているように思う。それと一緒にオーダーしたトマトスパイシーヌードルは、少し期待はずれであった。
お腹も膨れてメールチェックしようとパソコンを開いてアクセスしようとしたら、それが中々うまくWi-Fiにつながらない。そのため仕方がないので持っているスマホのテザリングでつなげたもののかなりの速度遅さ。写真一枚送るのに5分以上かかってしまうほど。
あり得ない。おまけにFacebookもつながったり、つながらなかったり・・・・・。
中国でFacebookがつながる方が珍しいかもだけど、他国と違う相変わらずの状況に正直ちょっとイラついてしまった。
そんなこんなでも結構ラウンジでは快適に過ごさせていただき、15時まえのウランバートル行の飛行機に乗り込んだ。
飛行機の中では、不愛想な表情でサンドイッチが配られたのだが、おまけにこれが結構厳しい味。さらにジュースは常温。体のことを気遣って常温とは決して思えない心遣いであった。
北京までの日本の航空会社とウランバートル行の中国系の航空会社との違いを歴然に感じることができた。それと同時に今度からは、食事はラウンジできっちり食べて、飛行機の中では口にせず、ひたすらパソコンを開いて仕事に没頭しようと思った。つまらないことでしょうが・・・(笑)でも皆さんもそのほうがいいと思いますよ~~。
ま~そんなこんなで、目的地チンギスハーン空港(ウランバートル)に無事到着した。
モンゴルにつくと、10年前の色んなことが思い出されてくる。うれしいこと。悲しいこと。悔しかったこと。笑ったことなど・・・そのころ私はまだブログを書いていなかったし、Facebookなどももちろんなかったので、皆さんに伝えるすべを持ってはいなかったので、今回はその辺のことも改めて書きながらアップしていければと思っている。
まず空港に着くと、初めてモンゴルに降り立ったときのことを思い出された。当時は海外旅行の経験もほとんどなく、語学力もないため言葉もわからない単身の私がマイナス35度の極寒の地ついて、かなり寒く、不安であったことなどを・・・・・
そのことを思えば、この10年間で個人的には少しは成長したのかもしれないと思った。
そして空港で10年前のミッションの現地調査から開催まで、私の手足となって動いてくれたハグワ氏と再会し、今回のスケジュールの打ち合わせを兼ねて、一緒に食事をした。
今日の晩餐は日本のしゃぶしゃぶのようなものである。このお店は一人に一つずつ鍋が与えられ、自由に食べる。その前の機内食がかなり・・・だったのもあり、ここでの食事はとても美味しく感じた。
そしてお互いが当時の思い出話をしていると話が尽きないため、食事を早目に終えると近くのデパートの視察にいった。
このデパートは10年前もあったが、改装などもあり、かなりきれいになっていた。
店内には海外ブランドもあり、かなり華やかになっている。
さらに1階入り口付近には花屋さんが、問屋街のように5軒ほど隣り合わせで営業をしていた。同じ場所で数件が隣り合わせて営業とは、日本では見ることができないビジネススタイルに驚きをおぼえた
各店舗ともデザインや品質はかなり厳しいものがあったが、10年前にはこのように売られていることが少なかったので、そのことを思えば随分進んできたように思う。
ちなみにこのブーケで2500円ぐらい。月給が5~8万ぐらいが平均なので、結構高価なもので日常品とは到底言えず全てギフト用なのであろう。
モンゴルの車の80%は日本車に思えるほど日本車が多く、ランドクルーザーの新車も走っていた。価格を聞いてみると1200万だとか・・・。一部かどうかはわからないが、このような車がゴロゴロ走っていて、この10年間で経済も大きく成長したのであろう。後はバブルのように、はじけないことを祈っておこう。
そしてこの日はこの辺で視察も終えることにした。さー明日はこの衣装でも着ていこうかな。
では今日はこの辺で。
おやすみなさい。
今回のモンゴル訪問は大きな目的は2つある。
その一つは10年前、NGOの理事をさせていただいたときに、実行委員長として企画、開催させていただいた「モンゴルミッション」において、参加者が大自然や地元の皆さんと触れ合いながら学び、遊牧民の子供たちが少しでも勉強できる機会が得られるようにと、ほとんど何もない大草原にとっても小さいながらみんなで建てた学び舎がどのようになっているかの確認である。
そしてもう一つは、弊社が開発会社とともに推進しているセラミック栽培式野菜工場が、モンゴルの地において活用できないかなどの視察と検証をかねての訪問である。
今回は予算を節約するために、直行便は使わず北京を経由し、尚且つ特典航空券の旅である。そのために往路は早朝に自宅を出発し、夕方チンギスハーン空港に着く予定。
そして、復路は夕方ウランバートル出発し、北京にて一泊し、翌日福岡を経由し、夜に帰ることになる。
この間草原の中を走り回っている時間が長いため、ブログやFacebookなど中々更新できず、場合によっては帰国してからの、まとめてのアップになるかもしれないが、もしよければ、時間つぶしにでも見ていただければと思っています。
それでは行ってきます。
今日は連休最終日。といっても私たちの業種に祝日は関係なく、いつもと同じように流れていく。
輸入植物の方も、先日のスペインからのオリーブなど植え込みや設置を無事終えることができ、後は樹勢の回復を待つばかりである。
そんな植物たちに、真夏の日差しが降り注がれている。
入荷したばかりの植物には少しきつい日差しになるので、遮光をしながらの管理になる。
そのような中、この日差しを大喜びするかのように、新しい葉を展開し始めているのは春に来たオーストラリアの植物たちである。
まずはボトルツリー。新しい芽が出るのに、個体差はあったが、順次芽を吹かせてきた。
当然ながら4月に植え込んだ際には、全く坊主であったが、このような感じまで葉が出てきました。
続いて、グラスツリー(ブラックボーイ)グラウカ
葉色もグラウカ特有のシルバー色がしっかり出てきていて順調に葉も伸ばしてきている。
この葉色を見ていると、やはり他のグラスツリーとは一線を画し、存在感がある。
やはりこの種で一番人気があることがうなずける。
今、この子たちが育ったオーストラリアは冬。特に今年の寒さはきびしいらしく、氷点下になっているよう。そんな冬を迎えず日本に来ているこの子たちは、喜んでいるのか悲しんでいるのかは、わかりませんが~~。
またまた前回のアップより日にちが経ってしまった。
決してサボっているつもりはなく、コンテナが続いて入港し、かなりバタバタの約2週間であったためである。言い訳がましいが・・・(^^;)
そしてトラブルはあったものの、多くの皆さんの助けを得ながら、何とか植物を引き取り、養生段階に入ることができた。
あとは問題なく、しっかり根付くのが確認できれば、早いものでは9月ぐらいから出荷していけるのではないかと思っています。
今回はヤシ類でブラヘア アルマータ、ビスマルキア ノビリス、ナンノロプス リッチアナ、チャメロプス フミリス セリフェラを輸入した。ただ輸送中のストレスなどで、少し弱ったりしているのもあるので、しばらく経過観察を行ってからの出荷をと思っている。
●チャメロプス フミリス セリフェラ
●ナンノロプス リッチアナ
●ブラヘア アルマータ
それとオリーブ。今回はプレート型、ダブル、トリプルなどの樹形を選んで入荷させた。
でもしかし今回のオリーブはいつも以上に手間を要した。
眼、鼻、耳、口全ての開いているところに、ココピートがつまり、本当に厳しい中の作業になった。時折そのつらさからへこたれそうになったけど、集中が切れずに最後までやり遂げられたのは、多くの人の助けと、そして何より、商売を抜きにした、植物を生かせたいという強い思いだった。
そうして無事大阪に到着したオリーブ約30本は、少しでも早くストレスから解放するため、アースフィールのオーガニック 微生物農法を活用した土壌を用い、1日半で植え込みを済ませた。
後は植物の力を信じ、最大限のサポートをしながら一緒に歩んでいくことになる。数か月後に元気な姿を皆さんに見せられるように頑張っていきますね。
いろんなことがあったがその分今回もこれらのことを通じ今まで以上に経験値も上がり、大きな学びを得ることができた。これも素敵な植物さんのおかげです。ありがとうございました。ではでは今しばらくお待ちくださいませ~~。
ちなみにこれはオリーブに乗っかっているのではなく、オリーブに持ち上げていただいているとご理解ただければ幸いです~~~。
さて最終日の朝を迎えた。今回の目的も十分に達成できたため、落ち着いた気持ちで朝を迎えることができた。ただいつものブログを書くための寝不足ではあったが。
今朝もパートナーが車で迎えに来ていただき、ガーデンセンターを少し見学した。
ここで遠くに小さい影が見えるなと思いながら目を凝らすと・・・子猫がいた。
その子は私と目が合うと、スタスタと小走りに近づいてきて、私の手に両手を差し伸べてくれた。
その仕草は、半ノラのキジくんによく似ていてとても愛らしく感じられた。
そしてその後地元の人が利用するマーケットをぶらり歩いてみた。
実は私はこのような生活感を感じるところを歩くのが大好きなので非常に興味深く楽しめた。
そうして少し時間を費やして、最後の訪問先を訪れた。
ここは今回のプロジェクトのパートナーであるグループの本社である。
従業員は約7000名で年商は4500億である。とても大きな会社である。
本社にはこの会社のヒストリーを見ることができるところがあり、説明を受けたがその中でとても驚いたことがあった。
それはこの写真。
これがとても珍しいものではない。骨董品でもない。高級な家具でもない。
では何で驚いたかというと、この鍋のようなものは、20年前に創始者がこの入れ物でものを創り出したということである。
言い換えればたった20年の間に、この鍋で商品を生み出した会社が今ではグループで約4500億円という数字を残しているということに驚かされた。
思わず自分の20年と比較してしまい、思いっきり何かで叩かれたような気がし、自分も今年で50歳。あと10年20年でどのようなことができるのであろうかと、改めて考える機会をいただくことができた。
そうして、今一度、今度のプロジェクトの中心地に戻り、簡単な打ち合わせをして、お世話になった皆さんとの最後の食事を、とても美味しく、そして心地よく皆さんでいただいた。
そして最後にこのプロジェクトの成功のために互いが互いを尊重し合いながら、がっちり手を組んでいくことを約束し、握手を交わし、ここで皆さんと別れることになった。
その後、浦東空港まで送っていただき、日本に向けて帰ることとした。
今回この中国の企業との幾度となるミーティングで、私の中国という国に対しての印象が大きく変わった。
正直、中国というと中々自分たちの考えとは合わないと思うところが強かったのだが、ジェントルマンである彼らと多くの時間の過ごすことで、とても多くの希望が湧いてきた。
さらに機会があれば、中国での弊社事業所を構えてビジネス展開をしていくことに大きな可能性があるのではと真剣に考えることになった。
それもこれも多くお素敵な人に巡り合え、多くの機会を与えていただけているからだと思う。本当に皆さんには感謝です。
そして、やはりビジネスは考え方や目標を共有できる素敵な人との出逢いから始まり、お互いを尊重し合い、同じようなビジネススタイルを持つ人と組んでいくことが、とても大事であることを、改めて感じることができ、そのことを身に沁みながら、今飛行機の中でこのブログを書いている。
本当に今回も素敵な出張になった。本当にお世話になりました。
さ~~帰ればまたいっぱい仕事が山積みだ~~。少し疲れたかな。でも頑張れる!!!
だってワクワク、ドキドキしているからね~~。
今回もだらだら乱文の出張報告をお読みいただきありがとうございました。
さ~今日は中国企業と弊社が関係させていただいている会社との契約関する最終のすり合わせでとても重要なミーティングである。これが今回の渡航目的でもある。
会議は事前に幾度かの調整をさせていただいているのと、何といっても中国側でサポートしていただいているパートナーがいるため、常に互いを尊重し合いながら進められていき、
お互いが大筋満足のいく形での交渉となり、大きくこのプロジェクトは前進した。
ここでの内容は弊社自身のことだけではないので、もう少し控えなければなので、日中双方で同時に発表できればと思っています。
これらの会議は思っていた以上にスムーズに進み、大筋合意となったので、午後は近郊地区の視察に向かった。
車でしばらく走り呉山花鳥工芸品城に到着した
ここはB1Fにはペット類が売られていた。
多かったのがラメ染めバラ。私が約20年前にオランダ行って輸入をしたときに、多くの人に、薔薇がかわいそうだ!お前は何を考えている!!とお叱りを受けたことを思い出してしまった。
でも今では日本でも市民権を取り始めていっている。
たださすがにこれは・・・・
もはや花束ではない・・・(笑)
2Fにあがると鉢物が並んでいた。品質は相変わらずだけど少し気になったのはこれ
これは香木。これで生きているらしい・・・。とてもいい香りがして少し気に入ってしまった。
その上の階では漢方のようなものや、天然石などの工芸品が売られていた。
建物を出ると前は、ちょっとした観光地になっており少し歩いてみた。
ここを見学してその後観光地として有名な西湖を車でぐるっと周った。
ここでは少しの間だったが行程では仕事の打ち合わせがほとんどだったため、しばし仕事から離れ何も考えずにいたこの時間はとても心地よく感じ、機会があればまたゆっくりと訪れてみたいものだと思った。
そして杭州市街地へと戻り、今回の最後のディナーとしてせっかくなので火鍋をみんなで食べることにした。
ディナー中でも、互いはこれからのことのを、みんなは白酒を
私はヨーグルトと甘いよくわからないもの飲みながら、遅くまで語り合った。
そして最後の夜を楽しみ、ホテルへと戻った。
気が付けばこのブログを書いていたら2時に・・・
読み返さずにグダグダの文章だがお許しを・・・
おやすみなさい。
朝ホテルを出発し、杭州へ車で移動。
渋滞にも巻き込まれたため少し遅くなったので、昼食はサービスエリアで取った。
そして目的地到着前に杭州の花木市場によった。
そこには多くの日本からここにたどり着いたのであろう槇が多く並んでいた。
現地では未だかなり高額で売られているらしい。ただ最近はその勢いもさすがに衰えを見せ始めているのではないかと感じた。
そしてこの木をメンテナンスする庭師のような人が不足しているとのこと。
これではせっかくの木々もかわいそうなので是非日本から技術も輸入してほしいと思う。ちなみに結構高額な日当がもらえるとのことなので、メンテナンスできる人は一考されればと思う。
他にこのような花苗も売られている。
品質は日本とまだまだ大きな差がある。それとやはりバラエティは少ない。
今後はどのように変わっていくか、変えていけるかと考えると結構面白いと感じた。
そしてここの視察を終え、今回の目的地に到着した。
ここの関係者の方々とは先日から大阪や東京で面談し、互いが協力し合いながら新たな展開をしていくことで進めていて、そのことのさらなる詰めで今度は私たちからの訪問となった。
ここの敷地の広さは、約450ヘクタール。でかい。とにかくでかい。
日々狭い場所でやりくりしている私たちとあまりにも違って広大といえる広さである。
ここに新たな施設が順次つくられていき、今後は様々な植物やそれに付随するものが集約されてくる植物基地のようなものが建設される予定である。
ほぼ国家プロジェクトのようなものであるともいえる。
そしてまずは、応接室にて皆さんと再会の挨拶と簡単なミーティングを行った。
挨拶程度のはずが、結構話も弾み踏み込んだ中での話で私たちがどのように関わらせていただくかは、もうすぐ皆さんにきちんとお話しできると思うのでしばらくお待ちを。
それにしても、恵まれた広大な土地に、身震いするほどの壮大な全体計画なので、自分自身に何ができるかなどを考えるだけで本当にワクワクしてきてしまう。
そしてある程度のところでミーティングを終え、建設中の施設を見て回った。
まだ数万平米の大きさのハウスも順次建設されていくなど、全てにおいて驚かされる。
そうこうしているうちに、到着した時間も遅かったため、夕食の時間になってきたので施設内の会場に移動し、談笑しながら交流を深め、夜も更けてきたので今日のところの行程は終わりにし、ホテルへ戻ることにした。
さ~。あしたのメインの打ち合わせを控えて、準備をしてから眠ります。
おやすみ~~。