四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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今日は朝食後、ベルギーフラワーショウFLORALIEN http://www.floralien.be/の施工でお世話になっているガーデンセンターを訪問した。
早速店内を見学させていただいた。
かなり広い店内に、屋内外の花、植木、観葉植物さらに園芸用品全般、生花がとてもセンス良く陳列されていた。(詳しい写真が欲しい方はご連絡ください)
カフェもあり、とても居心地よく過ごせる空間であった。
特に驚いたのが、これだけの広い売り場に関わらず、枯れている植物は全くなく、清掃も行き届いていて、ゴミどころか落ち葉すらない。本当にメンテナンスが行き届いている。
そのようなお店なので、スタッフも皆が笑顔で対応してくれるなど接客も行き届いている。私は植物の管理ができていないところが多い日本のホームセンターには学べるところが多いのではと思った。
その後、展示会場で簡単な作業を終えて、ゲント周辺を視察した。その状況は言葉よりも写真のほうがわかるかと思うのでアップします。
夕方になり少し時間がとれたので、列車でアントワープを訪れた。アントワープとは皆さんもご存知の「フランダースの犬」で日本では有名になった街である。
駅から歩いて20分ちょっとでノートルダム大聖堂は、やはり観光スポットとして有名なため多く人が訪れていた。
今になっては、この碑を訪れる日本人も少ないかもしれないが・・・・
そしてとんぼ返りでゲントの街に戻り、その頃には既に22時ぐらいになっていた。
そして部屋でデスクワークを行い、いつものように深夜就寝した。
何故か疲れ気味のため、いつも以上に乱暴なブログアップになってしまっていますことお詫びします。
ごめんなさい。
今日はブースの施行である。早目の朝食後、早速現場に向かい施工を始めた。
問題の箇所をカッティングしてレベルをあわし、植栽しなおして、さらにグランドカバーやり直す作業をする。
重いものを持ちながらの作業のため腰が痛い。さらに体中にサボテンの針も刺さりチクチクして気持ちが悪い。でもそのようなことを言ってはいられないので、そのまま続け、何と昼過ぎに、最終段階を残して、大まかな作業を終えた。
そして川沿いを歩きながら八重桜並木を通り抜けて、近くのカフェでランチをとることにした。
オムレツとサラダ。シンプルな食事だが、パンも美味しく満足できた。でもこれとスープで20ユーロ強。2800円ぐらいは少し高いかな??日本のランチの安さを再確認できる。
そして現場に戻り、後続の作業を行った時点で、最後に下に敷く芝待ち状態が続く。その時の情報では夜22時とのこと。
ここは芝はりを任しておいても大丈夫かもだが、朝見れば芝がひかれてなかったとなれば、大変なことなので、会場の近くで、待機することにした。
その間に、後続隊の福中氏も合流し、軽い食事をとったのだが、まだ届かない。さすがに10時をまわると気温もかなり下がってきて、吐く息も白く、かなり寒い。そのような中、やっと23時に芝が到着。
それから急ピッチで仕上げに入り。深夜1時過ぎに、形が整い作業を終えることができた。
そして今日からの宿泊地であるB&Bまでの交通手段はもうないため、施工業者のパートナーにお願いして、かなり遅めのチェックイン。それから、簡単にPCにて仕事をして深夜就寝した。
朝ミラノのホテルを出発し、バスでリナーテ空港へ。
そして約1時間でベルギー ブリュッセル空港に到着した。
ターミナルは、とても広々していて綺麗。テロにあったなど微塵も感じられないぐらいであった。
でも、荷物をピックアップしてゲートを出ると、写真では見づらいが警察や軍も大勢いて、かなり厳戒態勢をしいていた。空港内には入場制限もかかっていて、建物外で迎える人も多くいた。
そのような少し異様な空間を過ぎ、バスに乗り込みブリュッセルのノルド駅に向かった。
ただ、このバスがかなり窮屈なのと、蛇行するため車に酔ってしまい、結構つらく、脂汗をかきながら、約一時間でノルド駅に到着。
そこで電車に乗り換え、約30分で ゲント駅に到着。
駅ではFLORALIENのための準備が始まっていた。
また、駅構内には売店で花を売っていた。写真のブーケ価格は約10ユーロ~20ユーロであった。
そしてまず会場に向かうのだが、その前に昼ご飯を食べていないので、駅のCaféでベルギーと言えばワッフルかなと思い、ワッフル&コーヒーで、お腹を落ち着かせ、夕方会場入り。
会場につくとまずはブースの基礎工事の確認をしたのだが、こちらの意思がうまく伝わっていなくて、急遽、明日から突貫工事をしなければならなくなってしまった。
と言う感じの、移動にかなりの体力を消耗した1日だったので、今日はこの辺で。
さて明日はちょっと体力を使えるかな~~~。身体がなまっているので楽しみである。
今日も朝から食事をとりデスクワークの後、地下鉄でTORTONA Design Weekへと出かけた。
ホテルから地下鉄にのり15分ほどで最寄り駅 ポルテ ジェノバに 到着。
そこから徒歩で、目的地である ホテルマグナパースに向かう。ここは昨年 出展したいと検討したときの候補地である。そして今回はその状況をリアルに観ておこうと思いやってきた。
そしてその前後に周辺のブースを少しのぞいてみた。
グリーン素敵な空間を入ると、訪問者が名前を残していくものがあり、せっかくなので私も残してきた。
その反対側には、木や革をつかったバイクなどユニークなものも多く並んでいた。
ここはペプシのブース。ここでは来場者に飲み物などを振舞っていた。
ここはTOYOTAの提案である SETSUNA®ブース。ここでは「経年」「想い」「継承」表現し、木を使った車が展示されていた。私は車には、強い興味はもたない方だが、このテーマには考えさせられるものを感じることができた。
その他にもたくさん面白いブースがあり、飲食の出店もあり、楽しく過ごすことができたので、時間はあっと言う間に過ぎていった。
どのような素敵なものがあったのかなどは、正直このブログではうまく伝えられないのと、人それぞれ感じ方も違うので、気になる方は是非一度この地を訪れることをお奨めしたいと思う。
その時のアドバイスとして言えることは、できればせっかくなので十分に時間をとっていくことをお奨めしたい。そうしなければ、多くを見逃すことになってしまうからである。でも、みんながそのような時間があるとは言えないのも現実である。なら行かないほうが良いのかと言うことは絶対にない。たとえ少しの時間でも、一度はこの地にこの時に訪れることをお奨めしたい。今まで出逢えることがなかったものに出逢えるチャンスが無数にあるからである。
私も今回のミラノサローネに訪れることで、見えていなかったものに気づくことができたような気がしている。そして、この地で活躍する日本人、夢を追い続け出展する日本人と、直接話をできたことで、多くを学ばせていただけた。実り多きミラノ訪問になった。
さ~明日は次の目的地 ブリュッセルへの移動。素敵な出逢いがありますように・・・
今日はミラノでの第一目的であるミラノサローネへ向かった。何故ミラノサローネかと言うと、TEA’sDesignとして来年再来年の出展を検討しているからである。
そして今回はその現地調査として、ミラノサローネ本会場と、別名裏サローネと呼ばれる周辺地区での様々な展示を視察した。
朝から地下鉄に乗り込みミラノ中央駅から約30分で、ミラノサローネの展示会場駅に到着。
そこで入場チケットを購入し、早速会場見学をした。その模様は言葉よりも下記の写真を
一言の感想でいうと、とにかく広い。広すぎる。さっと流すようにしか見なくても丸1日では見切れないというのが、率直な感想。
そして1つのブースが大きく、またお金が相当掛かっている。最近増えてきたブースの再利用が可能かどうかなどの問題は、全く考えられていないかのようにも感じる。花き業界の展示会と比べると、異空間とも言えるほどの違いすら感じるぐらいである。
本当は数日かけてゆっくり観られたらいいのだけど、この他にも予定が詰まっており、ミラノではタイトなスケジュールのため、昼過ぎに会場を後にした。
そして地下鉄に乗り、次の目的地に移動。ここは緑あふれるとても素敵な空間で、興味深いものが多く見ることができた。そしてここにも多くの人が集まってきており、日本からの出展者もチラホラ見かけることができた。
そしてまたまた地下鉄で移動。今度はカッシーナ クッカーニャを訪れた。
ここはミラノのオアシスと言われているらしく、普段でもミネラーゼの憩いの場であるらしい。
入り口には、かわいいお花屋さんもあり、中には自然と触れ合える広場があり、家族連れも多く、大変賑わっていた。
またここでも、デザインウィークらしく、様々な人の作品や商品が展示されていた。
ここを見終えた頃には、良い時間になったのと、足はパンパンになり、一旦ホテルに戻りデスクワークを行って、ディナーへと向かった。
ここも懇意にしていただいている延堂氏の紹介で連れてきていただいた。正直日本人では中々予約は取れないところらしい。
ミラノに精通した延堂氏いわく、カツレツとカレーは超逸品とのこと。それらを目当てに、世界各国の政界や芸能界からもの訪問者も多いらしい。そんな前情報に心躍らせながらお店に到着。さらに延堂氏のおかげで、特別な席に案内していただくこともできた
着後しばらくすると、前菜の後に、まずはカレーそして大好物のカツレツがきた。美味しい。高価だからとか、良い素材だからとかではなく。ただただ美味しい。延堂氏が称賛するだけのことはあると感じた。
そして互いの今までの歩みなど色んな話をさせていただくことができ、お腹もいっぱいになったので、ホテルに戻り、再びデスクワークを行い、昨日のことを教訓にして、お風呂は手ぶらで入り深夜就寝した。
さて明日は裏サローネ。どんな縁が待っているか楽しみである~~。
今回は、イタリア ミラノで毎年開催されるミラノサローネとベルギー ゲントで4年に一回開催されるFloraliesにおいて、スペインのナーセリーの要請を受け、私たちがブースデザインをさせていただくことになり、そのための渡欧である。
まずは、いつものように伊丹空港から成田空港へ。そこで今回助けていただく横川氏と合流し、まずはミラノへと向かった。
今回のフライトはお気に入りのJALで、フランクフルトまでいき、そこからルフトハンザに乗り換え、ミラノをめざした。
相変わらず飛行機で眠れない私は、今回睡眠導入剤を薬局で買って乗り込んだのだが、残念ながら私には効果はなかった。何かいい方法があったら皆さんにアドバイスをいただきたいぐらいである。
そんな状況で約12時間のフライトを終えて、無事フランクフルト空港へ到着。
そしてターミナルを移動し、アリタリア航空のカウンターでチェックイン。
その後のセキュリティーチェックがまた結構厳しい。
丹念なボディーチェックで全身を触られるのは、今まで何度か経験したが、頭髪チェックまであり、髪の毛の中も、何かを隠していないかをしっかりチェックされ、結構時間を要してしまった。
その後搭乗までの1時間半を、コーヒーを飲みながらゲート近くでデスクワークの続きを行い、乗り継ぎ後、無事1年ぶりにミラノ リナーテ空港に到着した。
到着時間は既に21時をまわっていたので、早速ホテルにチェックインをし、とりあえず荷物だけおいて、また今回もお世話になる延堂氏と合流。そこでWelcomeパーティーを開催していただき、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。
食事の内容は、あまりに素晴らしすぎて、ブログを読んだ人に嫉妬されるため、控えさせていただきます(笑)
でもこのTボーンは、実に美味しかった~~~。
そして心もお腹もいっぱいになったので、ホテルに戻り、明日の準備とデスクワークを行い、最後にお風呂に入りながら、携帯のメールをチェックしていたら、そのまま気を失うかのように眠ってしまい、気が付けば携帯も湯船の中に・・・・。
最後の最後で大失態をしてしまった。
でもこれで厄落としができたと割り切って明日に向けて眠ります~~~。
今回タイに行ったのはもちろん仕事であるが、同行の岩本社長と一緒に活動していると、ある一つのことが思いだされる。
それはGTSである。
GTSとはGlobal Training Schoolの略称であり、国際協力活動において、参加者が様々な学びを得るという青年会議所の活動の一つである。この活動は青年会議所の中でも、普段積極的に活動しているメンバーからの参加が多く、それら能動的な人の参加希望者によって成り立っている事業である。
私の所属していた大阪青年会議所は2000人以上のメンバー数を有する巨大な青年会議所で、世界一の規模である。大阪青年会議所は、入会時に1年間は会員開発委員会所属の新人会員として活動し、その後、その活動内容によって正会員として認められ、2年目から様々な委員会に配属されるのである。ある意味、新人会員は会社でいえば試用期間の研修メンバーのようなものである。
私は15年前の2001年に大阪青年会議所に約150人の同期メンバーとともに入会をした。その入会時に所属する会員開発委員会の委員長が、岩本氏であり、私がその時の世間知らずの新人会員であったのである。簡単に言えば新人1年間の親代わりといえる存在である。
そんな私が入会して、いきなり多くの先輩たちに、口説かれ岩本先輩にも一緒に参加しようとお声掛けいただき、意味も分からず参加した事業が、GTSであり、当時150人近くの新人の約10%の参加者の一人であった。前置きが長くなったが、そのGTSの開催地がタイであったのである。と言うわけで、岩本先輩とタイを訪れると、真っ先に当時のことが思いだされる。
その時のGTSの活動は、タイの中でも、特に厳しい生活を余儀なくされている地域での国際協力で、孤児院での活動であった。その内容は初めに参加者一人に孤児一人がペアになり、言葉の通じないなかでも、コミュニケーションをとりながら、孤児たちと学ぶための施設づくりや、水道のない地区での井戸掘りなどを通じて、孤児たちとの直接触れ合い、そこで様々な学びを得るものである。
そして私とペアになったのは12歳の女の子であった。私は彼女と何かにつけて一緒に活動をしたのだが、私のコミュニケーション能力のなさから、全然私に心を許してくれなかった。一緒の参加者の中には、ぎゅっと手をつないでいるペアもいる。中にはどこかに行ってしまった孤児もいたようである。私とペアの女の子は、逃げては行かないまでも、距離感をもってしか活動をしてくれなかった。
そして、数日間の孤児たちと一緒に過ごす最後のイベントは運動会であった。彼女とは依然コミュニケーションはうまく取れず、逃げないながらも距離感をもって、着かず離れずにいた。当然笑顔などかけらも見ることが出来なかった。私は少し途方に暮れてしまい、何もできることは思い浮かばずにいた。時には私に問題はなく彼女が問題だと思うことすらあった。あとから思うと、きっとその浅はかな私の心の隙を彼女は見透かしていたのだと思う。
最後のプログラムは二人三脚であった。無心になって彼女の手をつないでの二人三脚であった。その時の気温は約40℃。日本の参加者には倒れるものもいた。そんな中でも彼女と一生懸命走り抜き完走することができた。その時彼女はいつもより、ほんの少しだけ私の手を長く握ってくれたのである。そして初めて彼女の口元は緩んだような気がしたが、それまでの表情や他の孤児と比べると、私に心を許したとは全く思えるようなものではなかった。
そして運動会を終え、全てのイベントが終了し、孤児は帰宅し、参加者は荷物をまとめ、帰国のためのバスに乗り込んだ。そのような中、多くの孤児は、出発直前のバスまで近づき、参加者を見送りに来ていた。その表情のほとんどが笑顔であった。
ひょっとして私のパートナーである彼女も来ているのではと厚かましくも思ったり、来るはずないよなと妙に納得したりの時間を繰り返し、とうとう出発の時間となったが、やはり多くの人ごみの中に、彼女の姿はなかった。
そしてバスが動き出し、ゆっくり村を離れようとしたときに、みんなの離れたところに、ポツンとたたずむ彼女の姿はあった。
その時の表情は今でも記憶に残っている。彼女の表情は決して笑顔ではなかった。そこにあったのは、ほぼ無表情の中に、涙を浮かべ、少しだけ口元の緩んだ彼女の表情であった。そしてじっと私を見つめ、動く私の顔を追いかけていた。
彼女はその表情だけでは、何を言いたかったのかはわからない。でも私は彼女から大きなものをいただき、大切なものを芽生えさせてくれたような気がする。
そしてその時に抱いた気持ちは、今でも私の中でしっかりと息づいている。そんな貴重な体験を通じ、私の生き方に大きな影響を与えてくれたのが、青年会議所活動であり、GTSであったと言っても全く過言でないと思う。
その後数年間、岩本先輩とは別の委員会に所属しながら、一緒に青年会議所活動を行い、多くの経験をお互いに積ませていただいた。そしてお互い青年会議所を卒業し、それぞれ社会で活動をしながら15年経った今、あらためて一緒にこのタイの国を訪れたときに、岩本先輩の中でも、このGTSでの活動が確実に息づいていると感じる出来事があった。
岩本先輩は当時のGTSでお世話になった現地の通訳の人を、メンバーに加えて、15年経った今、一緒に活動している。それだけではない。現在も恵まれない人たちのいる場所を訪れ、彼の独特の手法で一人ひとりに愛を伝えている。病に苦しむ人に手を携え、涙を流しながら人助けをしている。普段の厳しさとは違う、そんな一生懸命な一面を見た時、先輩の体の中にもGTSで培ったものがあり、さらにそれが何倍にも拡大し、その結果として、今のスケールの大きなビジネスにつながっているのだというのが実感することができた。
10年以上の月日が経った今でも、それぞれの心の中に、しっかりと心に息づいているGTSでの様々な出逢いに感謝するとともに、かなり強引にでも私の手をひき、私を無理矢理GTSに参加させてくれた先輩方々に心から感謝したいと思う。
そんなこんなの心のスーツケースにしまい込んでいた大切な何かを呼び起こしてくれる意味深いタイ訪問になった。
意味のわかりにくい長文、乱文にお付き合いいただきありがとうございました。そのままアップする失礼をお許しくださいませ。
東京から帰り、次の17日の深夜からバンコクへと向かった。
今回の主な目的は、いつものように現地に入り植物を探すというのではなく、大阪青年会議所の先輩であり、その頃からずっとお世話になっている岩本社長に同行し、色んな方との接点をもたせていただき、わたしたちの国際交流事業につなげていきたいというのが一つの目的であった。
ゆえに、今回は私一人の行程ではないので、ミーティング内容や、どのような方々と話をしたのかなどについては、現時点では詳細を控えさせていただいたほうが良いと思っています。決してもったいぶっているわけではないので、お許しくださいませ。
ただ現時点で中途半端に書くよりも、せっかくだから後日あっと驚いていただくためのこととご理解いただけたら幸いです。
深夜出発し、バンコクに早朝到着。そこで岩本社長と支社長のトゥイさんと合流し、お迎えの特別な公用車で移動。
まず初めの訪問は国王も参拝されるとても歴史のある寺院を参拝した。ここで岩本社長の作ったルナウェアが使用されていて、タイ国の多くの人の注目を受けていた。さすがである。
そこで様々な素敵なお話を聞かせていただき今後のことなどをご紹介いただき、寺院内をご案内いただいた。
そして、途中私が植物に関わる仕事をしていると伝えると、とても素晴らしい木があるからと、私たちを案内していただいた。
キャノンボールの大樹である。そこで今までのお礼と一つのお願いをさせていただいた。その内容については内緒です(^^;)さらに少し不思議に感じることもあり、この樹の力を実感することができた。
その後、寺院を後にし、宿泊地のホテルにチェックインをした。
あと帰国までの数日間、通常では訪問できないところや、お会いできないであろう方々との面談の機会や、お食事の機会をいただき、とても貴重な縁や時間をいただくことができた。
そして最終日、最後の訪問先であるPTTにタイ石油公社とのミーティングにも参加させていただいた。
この会社は何と年商10兆円とのこと。とてつもなくでかい。様々な取り組みをされている。そんな中一緒に取り組みされている岩本社長の活躍には驚かされる。すごいと思う。そしてそのおかげで又右衛門も一緒に今後についての意見交換をすることができたことは、又右衛門にとって、有意義であった。
滞在中は少々お酒を飲まなければならない状況があり、不覚にも財布を落としてしまうなどのトラブルもあったり、徹夜に近い行程であったり、大忙しの数日間であったが、何とか無事全行程を終えて、空港へと送っていただき、帰国の途についた。
今回はいつものような植物の写真をご期待いただいた方には申し訳ないので代わりに、いつも泊まるホテルの近くにいるネコの写真を数枚送ります。(笑)
近い将来このタイにおいて、新しい取り組みを形にしてご紹介できると思う。是非楽しみにしていただければと思います。
次回、バンコクでのもう一つの体験をアップします。また見てくださいませ。
コップ クン クラッ!
2日目3日目はバンコク近郊でのナーセリー訪問とOPENにはまだできない案件での視察である。
朝、以前からお世話になっている方にホテルに迎えに来ていただき、車での移動である。
この日もバンコクから約1時間半で、植物市場へと到着した。
タイからの輸入では、デンファレの花があまりにも有名だが、近年珍しい植物の輸入も頻繁に行われている。
そのため、日本から多くの人がタイに訪れ、正規、非正規(密輸?笑)での輸入を行っている。
私はタイでのビジネスは既に多くに日本人が行っているので、二番煎じはあまり好まない性格なので、この現在の流通において、独創的な何か手を加えることで、国際ルールに則り、継続可能なビジネスをできることが無いか?などを検討するのが、一番の目的であった。
まずはいくつかのマーケットを見て回った。その写真を・・・
ユニークなものを時折見かけることもあるが、多くの日本人が、何度もまわっているようで中々、そう簡単に珍しいものなど見つけることはできない。
特にマーケットや自生地で見つけられたところで、私はハンターではないので、植物のことを考えると、ストレスなく輸入できるか?継続性があるか?など多くの問題点にぶちあたるので中々難しい。そのような中、オリジナリティー溢れる取り組みができる可能性はかなり低い。
ただ現状の問題をつぶしていくと、品質面や価格面においてなど、新たな取り組みによって多くが改善できる点もあるのではないかと思い、少し探ってみようとは思った。
その後デンファレの出荷場を拝見させていただき、途中、道路端でのランチを済ませ、またマーケット視察。サンプルの購入なども行い、夕方バンコクのOfficeにもどり、ミーティングを行い、この日の仕事を終えることにした。
その後、タイ料理ディナー&ミーティングを行い、そこそこ遅い時間になったので部屋にもどり、デスクワークを行い、深夜就寝した。
幕張でのIFEX GARDEXへの急遽の展示会の翌日、私はタイへと向かう。
出発先日に宝塚に戻り、小さなスーツケースから、大きないつも勇気を与えてくれる友でもある海外用のスーツケースに心と荷物を詰め替えて出発をした。
その姿を見送る半野良キジくんが、私に「あんたの方がよほど野良やね!」と言われているような気がした。
今回のタイ訪問はいくつかの目的がある。全てをお話しすることはできないが(変ないやらしいことはありません笑)もちろん進行形のビジネスと、新たに関わることになるかもしれない案件、それとNGOに関わることである。
タイへの訪問は10回以上にはなると思うが、バンコクから離れた地での、井戸掘り作業や、学校づくりのお手伝い、施設の子供たちとの交流などで、プライベートな時間は殆んどなかった。今でも気温40度を超える炎天下の下での、運動会でヘロヘロになったことは記憶に新しく、そのなつかしさを胸に抱えての出国となった。
17日の夜に伊丹空港を出発。羽田空港を経由し、早朝、バさんンコクに到着。
ホテルに到着すると、現在でもビジネスパートナーである田中氏が待っていてくれた。
彼とは十数年前に、私が大阪青年会議所より出向で、日本青年会議所の国境なき奉仕団委員会に所属させていただいた時からの付き合いで、当時副委員長をつとめられた金森さんにも現在大変可愛がっていただいている。
そして今回は、金森さんはネパールでのNGO活動を終え、バンコク経由で帰国するのに、私もうまく時間を調整することができたので、久しぶりの異国の地での合流の運びとなったのである。
到着した日は、日曜日。今までになく時間があったので、気をつかわないメンバーとともにバンコク周辺を散策した。
朝ごはんをホテルで済ませ、水上マーケットに行ってみようということになり、タクシーに乗って1時間半で到着。
一人1500+オプション500バーツの2,000バーツで約2時間の水上マーケットを楽しんだ。
結構スピード感があるボートに乗り込み、お土産物屋さんや、寺院や観光スポットに上陸し楽しむことができる。おまけにヤシ類や色んな植物を見ることもでき、結構面白く初めての人には価値あるものだとおもった。
その後またタクシーに乗り込んで、昼食を済ませて帰るのだが、結構渋滞をしていて、ホテルに戻ったのが夕方。半日観光のつもりが、1日観光になってしまった。
そしてしばらくして、新たに先輩も加わり、みんなでディナーに行くことにした。ディナー中は当時の思い出話や今後についてのことなどの話をさせていただくことができた。そんな楽しい時間は過ぎるのは早く、とても名残惜しい気持ちでいっぱいながら、夜も更けてきたので、ホテルの部屋にもどることにした。
そして、翌早朝、先輩たち先着隊は私一人をバンコクに残し、帰国の途についた。
素晴らしき皆さん。本当にありがとうございました。また海外のどこかの地へともに向かうことができる日を楽しみにしています。