四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
MATAEMON'S THINKING BLOG
マダガスカルの首都 アンタナナリボに戻り、数日間活動をさせていただき、色々な方々とミーティングの機会を持つことができた。と言ってもアンタナナリボ市内では、恒常的に道路は渋滞しているため、少し移動するにも数時間を要することが当たり前。アポ入れするのも大きく分けて午前、午後にミーティングを持つぐらいが精いっぱいであるが素敵な出逢いが多くあった。
アンタナナリボ大学で活躍する日本の方と出会うことができ、その素敵さに大いに刺激を受けた。
また行政関係の人にも出逢うことができ、私たちの事業や活動を説明すると、共感していただき、今後サポートしていただけるとのこと。本当に心強く感じる。是非、小さい活動ではあってもマダガスカルと日本の両国が共にしあわせになることを続けていきたいと、あらためて感じた。
そして近くにマーケットがあったので、ランチタイムと兼ねて、駆け足で少し探索をした。
マーケットではその国の状況を肌で感じることができるため、時間があるときは必ず行くようにしている。
中にはスリやペスト感染などがあるからと言い、人ごみを避ける旅行者もいるが、私はそれらがそう多いとは思っていないのと、スリや疫病には強いと自負しているので、喜んでマーケットを闊歩する。
そこには新鮮な?肉や魚や野菜、衣料や雑貨の店舗が無数に立ち並ぶ。その活気でかなりエネルギーチャージができた。さらにかわいいお土産をゲットすることもできた。その模様はFacebook(金岡信康)で公開しているので見ていただければと思う(^^)v
移動の途中、時間があれば園芸店を視察。今後の展開に活かすヒントを得ることができた。
そして帰国のための出発の朝も、ホテルのロビーでとても興味深いプロジェクトについての重要なミーティングを行うことができた。後日皆様にも報告できるのではと思っているので楽しみにしていただければと思う。
そして空港に行く前にも視察を行い、出逢い、再会を繰り返したアンタナナリボ市内でのバタバタな日々は、延長した今回の日程でも全く足りずにタイムリミットを迎え、大変お世話になった現地パートナーと固い握手を交わし、近い再訪を約束して、帰国の途に就くことになった。
少し肌寒いアンチラベの朝を迎え、街中で朝食。マダガスカルではおなじみの朝食であるおかゆをいただいた。少し寒かったこともあって、とても美味しく感じた。
おかゆをいただいたのち、IBITY山へと向かった。ここにはパキポ ブレビをはじめここでしか見ることができない所謂、固有種が多く自生している。そしてその素晴らしさを護るため保護区として、アメリカの支援の下、管理がなされている。所定の手続きをして、早速、山に登らせていただいた。目的地まで片道約1時間30分。歩いて登る。
更に岩肌を登るとアロエやカランコエが自生している。その美しさは抜群である。
山の頂上付近から振り返るととても素晴らしい景色が目に飛び込んでくる。そんな素晴らしい眺めと植物と空気で、岩山を走り回った疲れは吹き飛び、時間となったので下山した。
文頭にもあるがここには固有種が多くあり、正直全くと言っていいほど私も何があるか把握できていない。多くがユーフォルビア。そしてそれら多くの植物それぞれに、腹痛の緩和、咳止め、疲労回復など何かしらの薬効があるとのことで、本当に興味深いことであった。また時間があるときに別の機会できちんと報告をできればと思うのでとりあえず写真を数枚アップさせていただくことでお許しを。
IBITY山を降り、再びアンチラベのまちでランチを食べて、首都 アンタナナリボへの帰路についた。
途中ユニークな露店販売や新鮮な野菜売り場を眺めながら無事アンタナナリボ市内に到着。そしてスーパーで夕食を買い込もうと思ったが、日曜日でスーパーはお休みのため、ホテルにチェックインして、部屋で日本から持ってきたインスタント食品でお腹を膨らませた。
そしてデスクワークタイムに入ったのだが、ハズキルーペでない私の眼鏡は、移動中に自らのお尻で踏んづけることで壊れてしまい、作業が全く前に進まずのため、ストレス満載のまま深夜になり、出発からほぼ毎日ずっと乗り物に揺られっぱなしであった身体は、静かに崩れ去った。
6日から9日はローマ法王のマダガスカルご訪問につき、アンタナナリボ市内に多くの人が集まることから、普段でも渋滞する道路は大渋滞、その他も混乱が予想されている。多くの企業もスタッフを自宅待機させたり臨時休業をとるところもあるぐらいのため、私たちは郊外へと身を移す。
行先はムルンダバ。有名なバオバブ街道がある場所である。そしてこの街の近くには私が客員研究員をつとめさせていただいている進化生物学研究所の湯浅先生がバオバブの成長スピードを計測するため定点観測をしているバオバブがある。
昨夜も遅くなったので仮眠のような睡眠をとり、パッキングを終えて渋滞がないであろう早朝4時にホテルを出発。ムルンダバへは飛行機で移動する人が多いが、今回は諸事情があり車での移動である。まだ暗い道を車でひた走り、片道8~9時間 700kmの道のりとなる。(バスでは10時間以上)
朝が急に冷え込んだせいか深いモヤで視界が極めて悪い。暗闇の中から飛び出す人に何度も驚かされる。
途中視界の悪さからであろう車線から外れたトラックを何台か見かけた。もしこのトラックが道をふさいでいれば、一本道のため、ずっと通行止めで今回はムルンダバには行けなかったであろう。また引き返してもホテルが取れなかったかもしれない。運が良いと言えば事故にあった人には失礼であるが、何とか通行ができたので山道をひた走る。
途中、モヤの中から飛び出すように見えてくる牛車に驚かされる。さらに厳しい山道と疲れのせいか、車酔いに悩まされる。
そのような苦しい中でも、窓から見える美しい棚田が酔いを癒してくれる。
そして、行程を約3分の1過ぎたところにあるアンチラベに到着。ここでパンを買い朝食。シンプルなパンがとても美味しい。絶品であった!
そしてここから先約500kmの道は比較的緩やかである。田園風景が美しい。
前を行くタクシーブルースを追い抜きながらひたすら走り続ける。運転は安全と知りながらもやはり何度かヒヤッとする場面がありスリリングである。
また途中では、砂金を採る光景を見ることができる。いろんな村から砂金を採るために人がやってきて、新しい村ができてきている。
そして行程の半分を過ぎたぐらいでランチタイム。先ほど買ったパンとソーセージをパッと食べる。普段あまりパンを食べないためなのか、このシンプルさがとても美味しく感じた。
そしてすぐに出発。ひたすら走る。ただ走る。
途中マダガスカルが本家本元であるビスマルキアの群生にも出会えた。どんな光景が目に飛び込んでくるかわからないので、おちおち眠ることもできない。
そして何とか明るい間にムルンダバへ到着することができた。そしてバオバブ街道周辺の環境をチェックした。
そうこうしているうちに陽は落ち始めて、しばしバオバブ街道で太陽が沈むのを複雑な思いで眺めていた。
そのうち完全に暗くなったのでホテルに向かった。今日の宿はBAOBAB CAFÉ
日本のような便利さや清潔さとは違うが、趣があるホテル。日本のツアーも訪れるホテル。虫がでることやシャワーが水しかでないこともあるのは致し方ない。
ここで簡単に食事をとる。いかのニンニク炒めと、良く冷えたガスウォーターが、お酒の飲めない私にはごちそうである。そしてお腹は満たされたので、長時間のドライブによってきしんだ身体で部屋に入り、お湯の出ない冷たいシャワーのショック療法で、いったん元気を取り戻す。そして残った体力をギリギリまでデスクワークにつぎ込み、この日は日付が変わるころ倒れるように眠った。
朝は4時起床。再びバオバブ街道へ行く。ここで日の出のバオバブを少し眺めて、アンチラベへと今まで来た道を折り返した。
途中、眠気覚ましのコーヒーを身体に注ぎ込み気合を入れて、定点観測のバオバブをチェックし、周囲のバオバブ(グランディディエリ、フニィ、ザー)を眺めながら、来た時の道と同じ道をひたすら走った。
そして途中何とか木陰を見つけて、ランチ。今日はサンドと途中で買ったバナナ。シンプルで美味しいが、パンは少し飽きてきていたのでバナナがとても美味しく感じた(笑)
途中 旅人の木が応援してくれているように感じながらひたすら走る。そして砂金を掘る光景に出会う。当たり前である。同じ道を通っているので・・・・
そして予定通り夕刻に、昨日朝食をとった街 アンチラベに到着
ここで日本からこの地に赴いている協力隊員とお話させていただく機会を得て、彼らの素晴らしく輝いた眼と前向きな姿勢に多く勇気づけられ、再会を約束して別れ、その後はアンチラベの静かな夜を過ごした。
4日早朝、目覚ましに関係なく4時ごろ浅い眠りから目覚める。
しばらく出発の準備をしていると、窓の外からきれいな朝焼けが見えてきた。今更ながら何となく外国に来た~~という感じになる。その後簡単な食事をいただきホテルを出発。
今日は南のフォール・ドーファンへと向かう。
あらかじめ空港近くのホテルを予約していたので、渋滞に関係なくスムーズに空港へ到着。
搭乗口付近でしばらく待ち、無事飛行機が来てくれていたのを確認でき、まずは少しホッとする。
何故ホッとするかというと、日本とかでは考えられないほど、欠航や遅延、ダブルブッキングなどが多いからである。以前は予約をしていても乗れるのも早い者勝ちみたいなこともあり、国内線でも2時間前にいっていち早くチェックインを済ませ、ボーディングパスを手にしなければ安心できないぐらいであった。またボーディングパスを持ちながらも、飛行機の到着を待っていると天候不良とかでもなく急遽欠航ということもあったので、余裕がなければ、飛行機は不安定である。
かといって車で行くには片道で3日間、雨期なら5日間ぐらいかかるから、よほど滞在期間に余裕がなければ無理なため、私たちには向いていない。また途中 山賊などに出逢うこともあり、危険も伴うので、選択肢は飛行機になってしまう。
少し話は逸れたが、運営会社が変わった国内線に乗り、プロペラ機のため時間がかかり約2時間でフォール・ドーファンへと到着。
そこには「みどりのサバイブプロジェクト」でお世話になっているNGO サザンクロスのRivoさんが迎えに来てくれていて、早速、以前バオバブの植林と木彫り品を作っていただいた村 RANOMAINTY(ラナマインティー)へと向かった。
フォール・ドーファンを出発し、街中だけは道路が良い状態(日本と比較すると悪路)のため10数分はスムーズに進める。
そして鶏やフルーツを売っている村を通る。せっかくなので少し見学。
ここではライチはちみつをペットボトルに入れて売っていた。はちみつ好きの私なので、かなり興味津々であったが、ここは我慢して次へとすすむ。
途中、ジャックフルーツがなっているところや、エレファンティフォノの自生を見たりしながら進んでいく。そしてこの辺りからの道路は、かなり昔に整備されたきりで、今ではほぼ舗装が崩れてしまっているため、まるでモトクロスの競技場かとも思えるぐらいの悪路である。そのような悪路をロデオ状態で進み、何度も車の窓ガラスに頭をぶつけながらフォール・ドーファンから約1時間30分でナショナルパーク付近まで到着。
ここでランチタイム。サザンクロスジャパンのリヴさんの奥さんが作ってくれたサンドウィッチ。中身は揚げ春巻き。日本ではあまり考えられないサンドだが美味しい!!!
そして残念ながら管理が行き届いていないパークを少し見学したのち、再び目的地をめざす。
途中アガべの花が、多く咲いているところなどを通る。
またオペルクリカリア デカリーの群生を観ることもできる。このオペルクリカリアの皮は現地では育毛の効能があると言われていて、昨年ブラマヨのTVに出演させていただいた時にもご紹介させていただいた。ブラマヨの小杉さんが興味を示してくれていた(笑)
そして悪路を再び走り、フォール・ドーファン出発から約3時間で目的地であるラナマインティー村へ到着。
そこではすでに村長や学校の先生や多くの村人が私たちの到着を待ってくれていた。彼らは私のことを「木彫りを買ってくれる日本の人」という風に覚えてくれていて再訪をよろこんでくれていた。
そして村人と一緒に、バオバブの植林へと向かった。その場所の名前は「子どもの森」
何故「子どもの森」というかというと、植林をする意味を子どもたちに伝えるために一緒に活動する場所だからとのことである。近藤先生や湯浅先生、サザンクロスの活動には頭が下がる思いである。
植林現場に着くと、まずは以前に植林されたバオバブの成長を観るため計測を行った。続いて村人みんなで植林を行った。通訳兼学生インターンとして参加させた娘も積極的に参加をしていた。
村でつくられている木彫りを拝見し、次回の打ち合わせやオーダーをさせていただいた。
その後、湯浅先生からの届け物を村長と学校の先生に渡して、出発の時間となったので名残惜しいが再訪を約束して、この村を後にした。
そして隣村のANTANIVINANKYに移動し、ここでも植林をさせていただくことになった。
私の到着を待っていてくれて、どこに植えようか考えていると、この場所の中心にある岩に囲まれたところのシンボルの木が、以前のサイクロンで倒れてしまったので、是非その場所に植えて欲しいとリクエストがあり、僭越ながらその場所に植えさせていただくことにした。
この村でも、バオバブやコミフォラの木、合わせて10本ご用意いただき、皆さんと一緒にシンボリックな1本を植えさせていただいた。
そしてこの村でも時間が来てしまったので、再訪を約束して帰路についた。
来るときと同じく2時間30分くらい悪路に身をゆだねながら、黄金に輝くユーフォルビアに魅了されたり、山から村へ炭を運ぶ人たちや、牛を連れている人たちとすれ違ったりしてフォール・ドーファンの街へと戻った。
そしてNGOサザンクロスジャパンのRivoさんの家で、奥さんが用意してくださった歓迎のディナーをいただいた。その料理はどれもが本当においしい。
さらに大好物の生カキも用意してくださっていた。でもしかし以前の私のブログをお読みいただいている方ならわかるかもしれないが、さすがに中々手を伸ばせなかった・・・
それでも、Rivoさんと奥さん、一昨年 一緒にサザンクロスの事務所で植林をしてくれたNorioくんとNorikoさん、そして私たちの7人で、楽しく懐かしく食事をさせていただくことができた。
そしてワイワイ話をしていると、急に強い雨が降ってきた。乾季なので中々雨が降らないハズであるにも関わらず断続的に降ってきて、恵みの雨、さすがレインマン又右衛門と喜んでいただけた。
そのような楽しい時間は過ぎるのが早く、子どもたちは明日の学校、私たちは朝から近くの視察などがあるため宴はお開きとし、別れを惜しみながらホテルへと戻ることにした。そして眠気の限界までデスクワークを行い、深夜 蚊帳の中で眠ることにした。
朝、寝苦しさと悪夢で目覚める。夢でうなされるのは久しぶりである。蚊帳が苦しかったのかもしれない。確かに朝起きたら地引網にかかったマンボウのようになっていた・・・・・。
その後ホテルをチェックアウト。2年前にNorioくんと「みどりのサンタ」と一緒に植えたバオバブの成長を確認後、皆さんとお別れをして空港へと向かった。
その途中、昨日山から持ってきた炭を街で集めてトラックに積み込む人、その炭をさらに中継する人、自転車で届ける人、キャッサバを運ぶ人など、多くの人とすれ違いながら空港へと到着した。
飛行機は、はじめ30分の遅延と聞かされたのだが、結局は1時間30分ほど遅れて空港に到着。
そして、乗り込むときにボーディングパスを出すと座席番号を赤ペンで消され、自由席でよろしくと伝えられ、え~~っと思いながら乗り込むことに。さらに、座っていると経由地の空港から新たな人が乗ってきて、私の席ですよ、と言われる始末。それでも欠航にならなかっただけ有難い、と、ほのぼのとした気持ちにすらなったのは、さすがマダガスカルの国内線、という感じがする。
日本の航空会社がいかに素晴らしいかも、あらためて感じることができた。
遅れはしたものの、何とかチュレアール空港経由で無事アンタナナリポまで戻れた。朝食を取る時間はなかったのだが、昼食も簡単なもので済ませ、夕方からは新たなご縁による大事なミーティングを行い、とても重要な情報を教えていただくことができました。
その後、スーパーで今日の夕飯と、明日移動しながら車で食べる朝食と昼食を買い込んで、車に積み、ホテルの部屋に戻ってブログを書いています。
明日は3時起床、4時前には出発のため、早く準備をして眠ります。今日はうなされませんように・・・・・ おやすみなさい。
3日の昼過ぎにアンタナナリボ(通称 タナ)に到着。
空港は1年前より少しきれいになっており、そこには今回もアテンド役を担ってくれるセルジュ氏が待っていてくれた。
そして久しぶりの再会の挨拶をして、早速 まずはお世話になっているJICA マダガスカル事務所を訪問させていただいた。
そこではJICA マダガスカル事務所 梅本所長はじめ皆様とご挨拶をさせていただき、今回のマダガスカル訪問の理由と、私たちバラエングループの取り組み、今後の進め方についてディスカッションをさせていただいた。
やはり現地で活動されている方々の声を聞かなければわからないことも多くあり、短いながらも意義深いミーティングとなり、学ばせていただくことができました。
このことを無駄にしないように、今後も積極的につとめていきたいと思っています。
その後は、明日朝が早く、準備も必要なため、ホテルに向かったのだが、明後日のローマ法王の訪問にあたり、その警備や各地から集まってくる人々のおかげで、通常よりひどい渋滞となっていた。
それでも何とかホテルに到着し、その後食事もとることができたので、今日は早めに準備を済ませて、約2日ぶりに眠らせていただきます。おやすみなさい。
TICAD7(第7回アフリカ開発会議)を終え、今度は私がマダガスカルへ。その模様を何度かに分けてブログアップさせていただきます。ただマダガスカルは通信状況が少し不安定なのと、前半は田舎に行っていますので、まとめての投稿になるかもしれませんがご了承をいただければです。よろしくお願いいたします。
さて2日深夜?早朝?に起床。暗い中、なまった身体を動かすために少し運動し、氏神様への参拝をしてから、事務所で準備を整え、その後リムジンバスに乗り込み、関西国際空港へと向かった。
お昼過ぎということもあり道はすいていて定刻到着。その後、お土産を買い込んで、バタバタと飛行機に乗り込み、関空を定刻に飛び立つことができた。
そして機内では、ダイエット中の又右衛門は、あらかじめ頼んでおいた低糖質の食事をいただいた。おかずは赤身のお肉で、通常メニューより少しお得感もあり小さな幸せを感じながら、あっという間に経由地である仁川空港へと到着した。
ここで次の飛行機まで約6時間待ち。ラウンジで食事をし、ひたすらパソコンで宿題を手掛けて、ボーディングタイムが近づいてきたので移動し、飛行機へと乗りこんだ。
そして深夜エチオピア航空で、アジスアベバ(エチオピア)をめざす。いつものように機内では眠れない私には結構拷問のような時間である。いつものごとく眠いような眠くないような苦しい時間を過ごしながら、ひたすらパソコンとにらめっこ。そして自分の中での無言の壮絶な戦いを繰り広げ約11時間30分後の3日の朝に、無事アジスアベバに到着をした。
この空港では乗り継ぎが約1時間しかないため、少し速足で空港内を進んだ。新しくなった?空港は、以前とは打って変わり、ありがちな近代的な空港のようになっていて、少しさびしさも感じるぐらいであった。
そして再び、飛行機に乗りこむ。離陸前には、お決まりの機内の殺虫剤散布。初めて経験するものは大概この行為に驚きを示す。私も初めての時はびっくりした。そして吸い込まないように口を押えたりしていたが、今ではもう慣れっこになり、その薬剤の香りもお気に入りにもなってきている。
機内ではCAさんが私の足にトマトジュースをこぼしてしまい、着替えの少ない私は、テンションが下がり気味。そのような中、飽き始めた4度目の機内食を食べながら、パソコン相手に眠れぬ苦しい時間を過ごして、さらに約6時間後、関空についてから約24時間後にやっとマダガスカル アンタナナリボへと到着することができた。
さ~~これからの約1週間。マダガスカルにての活動である。気合を入れて今回こそは落とし物をせずにしっかり頑張っていこう!
エキサイティングな2日間のミーティングを終え、興奮が冷めやらないまま、帰国の途に就き、いつものように機内でこのブログを書いている。
今朝も同じように心地よい目覚めをすることができ、朝食会場へと向かう。そして恩師でもあり友でもあり家族でもあるDannyと、今回も大変お世話になった海下さんと一緒に朝食をいただいた。そして2人から「Happy Birthday!!」と祝っていただき、とても素敵なモーニングタイムとなった。
そして名残は惜しいが、Dannyと必ず再会することと、他にいくつかの約束を交わして、このあと台湾に向かうDannyを見送ったのち、私たちも部屋に戻り、帰り支度をして、空港へと向かった。
さすがにきれいな空港で、壁面緑化も広大でとても素晴らしい。そして今後もまだまだ緑化を進めていくということで、この辺は日本も本当に見習わなければならないと切に思う。
そんな素敵な空港をうらやましく感じながら、飛行機に乗り込んだ。
機内で改めて今回のGBB国際会議を振り返って、この会議に日本が参加できたこと、私たちチーム又右衛門が抜擢されたことの意義を深く感じている。
そしていくつも送ってくださるお誕生日おめでとうメッセージに喜びを感じている。
おかげさまで皆さんに育てていただき無事に55歳の誕生日を迎えることができました。
今回の訪問を、世界を代表する植物のスペシャリストと一緒に過ごし、夜は日本にもどり親愛なるパートナーたちと過ごせるという本当に素敵な一日になります。
また言葉も満足に話せない私を家族の一員のように迎え、接してくれる各国のパートナーに心より感謝いたしております。さらにわがままな私をいつも支えてくれている皆様にも頭があがりません。
私、又右衛門は、これからも「人は植物がなければ生きていけない。しかし植物は人がいなくても生きていける。」という意味を深く胸に刻み込み、植物や大地への尊厳の念を強くもち「世界の感動を日本へ。日本の感性を世界に。」をモットーに一生懸命頑張ってまいりますので今後とも何卒よろしくお願いいたします。
Today, April 6, I could have my 55th birthday, thanks to everyone who kindly grew me.
I can spend the time with specialist of plants represent the world in the morning in Singapore, and after going back to Japan at night, will have precious time with my partners. It is very wonderful day.
I also thank the partners in each country who welcome and treat me like one of the family, even though I can hardly speak the language satisfactorily.
I can’t hold up my head before all of you who always support me, such a selfish man.
Taking that “Human beings cannot live without plants. However, plants can live without human beings.” to heart, with all the respect to nature, Kanaoka MATAEMON the Forth will continue to work hard by my motto that “Thrills from world to Japan, Sensibility from Japan to world”
Kanaoka MATAEMON the Forth
又右衛門。三度シンガポールへ。を最後までお読みいただきありがとうございました。
相変わらずの乱文失礼いたしております。これからも下手な文章ですが書き続けていきますので何とぞよろしくお願いいたします。
またFacebookは金岡信康でアップして、日々の情報やプライベートの一面を掲載しておりますので、お読みいただければ幸いです。
それでは~~~
四代目 金岡又右衛門
今日も早朝に起き、食事をとってから、再び資料準備を行い、お迎えの車でGBBの会議場へと向かった。
今日はまずGBB代表など約20名とGBBより選び抜かれた8か国の代表との全体ミーティングである。先ほどまでの和気あいあいとしたムードは一変し、緊張感が漂ってくる。
そしてまずは代表からの趣旨説明があり、その後各担当からの今までの取り組みと、今後の取り組みについての説明とディスカッションがなされた。
そのどれもがユニークであり興味深いものである。そして各部署からの発表が終わり、全体でのディスカッションを終えて、午前の部は終了となった。
そしてお昼は簡単にランチBOXをいただき、午後の各国代表の個別のミーティングタイムに入った。
私たち日本はしんがりをつとめるため、発表までは約3時間ある。その時間にちょうど今日日本から送り出されてきた植物の状態をチェックしに行くことにした。
箱を開けると大栄花園さんからの素敵なアジサイが良い状態で着荷しており、GBB担当者にも喜んでいただきホッと胸を撫でおろした。
更に時間があったので、先月とても好評だったSAKURA MATSURIに花を添えた菊人形の衣装などを持って帰るための荷造りを行うことにした。
荷造りしながら、荷物検査で開封した時に検査官はきっと驚くだろうな~~と思いながら、丁寧に丁寧に作業をすすめ無事に終了。
そうしてまたオフィスに戻り、個別でのミーティングにてプレゼンをさせていただいた。内容の詳細はOPENにはしないが、素敵な植物での驚きに加えて、文化と融合させた物語や最新の体験型を提案させていただき、かなり手ごたえを感じることができた。
そして他国より長いであろうミーティングを終えて、今後の末永いパートナーシップを要請いただき価値ある時間とすることができた。
そしてミーティングを終えると、みんなで最後の晩餐を隣接するサテイバイザベイで行い、さらにGBBと各国の植物のエキスパートとの絆を深めることができた。
今回のGBB主催の国際会議において8か国が選ばれ招聘されたのだが、何といってもその8か国の中に、日本が選ばれたということは大変価値があることであると言える。
ちなみに8か国はシンガポール、南アフリカ(アフリカ諸国)、ニュージーランド、オーストラリア、オランダ、アメリカ、中国、そして日本である。
そして日本代表としてチーム又右衛門が選ばれたことは本当に名誉であると感じている。これもひとえにGBBと私との接点を作ってくれたオーストラリア 代表のDannyのおかげであり、日々一緒に取り組んでいただいている生産者や日本花き輸出協議会の方々のおかげである。本当に感謝である。ありがとうございます。
そうしてエキサイティングな2日間のGBBでのミーティングを無事に終え、明日は帰国である。
まだまだこの国、このGBBは伸びていきます。ですので、これに甘んじることなく、引き続き日本の花き園芸の素晴らしさをGBB、そして世界に伝えていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
GBBの皆さん。世界のパートナーの皆さん。エキサイティングな2日間本当にありがとうございました。
チーム又右衛門 代表 四代目 金岡又右衛門
早朝一番にホテルで朝食をおなか一杯いただき、少し部屋で準備を進める。
そして予定時間通りにガーデンズバイザベイ(GBB)からのお迎えが来てくださり、参加者と初めてご挨拶をさせていただいた。
そして全員で車に乗り込み、GBBのオフィスへと向かい、約10分で到着。長崎から五日ぶりの再会を喜び合い、まずは簡単にスケジュールの確認を行う。
その後カートに乗り込み、全員で新しく出来上がったゾーンの視察を行った。
まずは日本庭園ゾーンを見学。ここで植物の状態の確認や、日本の感性などについてお話をさせていただいた。
その反対側にはチョリシアの樹がいっぱい植栽されていた。屋外で生育する気候であることが少しうらやましく感じたりもした。
その後、屋外の施設をいくつか周り、陽がきつくなってきたのでGBBの植物養生施設などの見学へと移った。
ここは完全に空調などコントロールされている施設で、すでに日本から到着し養生中のものや、展示を間近に控えた植物が多くあった。このような施設をディスカッションしながら順番に周っていると、早くもランチタイムになり、Caféへと向かった。
新しくできたCaféのあるスペースには、切花の販売を始めるためのスペースもできていた。
参加者全員がおのおの好きなものを注文し、ランチをしながらミーティングを行った。そしてこの頃には初めて会った方々とも打ち解け合うことができて、いろいろな情報交換をさせていただくことができた。
ランチ終了後は、4月14日にOPENするFLORAL FANTASYを見学させていただいた。
FLORAL FANTASYは、GBBのドームを凝縮したようなものであり、短時間の訪問者にも全体がわかるように新しくつくられたものである。
またFANTASY THEATREでは、3Dグラスをかけ、自らがGBBのシンボルマークになっているトンボになり園内を飛び回る映像を体験できる。他にも面白い仕掛けがあるが、それはここでは控えさせていただき、是非皆さんには直接いって体感してもらいたいと思います。
そして、その後もいくつかの視察をして、いったんホテルに戻り、ディナーに備えることにした。
そして再びGBB内のディナー会場に集合し、GBB CEOであるFelixさんや、前CEOのDr,Tan、役員のAndyさんBoon Geeさんたちと、各国代表とでディナーをさせていただいた。
そのような楽しい会食は長く続き、とても素敵な時間を過ごさせていただくことができた。
明日また会うにも関わらず、別れを名残惜しそうに、それぞれがホテルへと戻ることにした。
さ~~明日は今回の一番の目的である全体ミーティングと自国のプレゼンである。資料をまとめて気合を入れて頑張りたいと思います。
ではでは~~~。
昨日、東京から戻り、慌ただしく準備をして、今年になって3度目のシンガポールへ向けて出発である。今回のミッションは、毎年1回、シンガポール ガーデンズバイザベイが認めた重要なサプライヤーを招待して行われる国際ミーティングへの参加である。
今回、世界各国各大陸から選ばれる6カ国に日本が入り、その代表としてチーム又右衛門が招待されたのである。世界が注目する提案型植物園 ガーデンズバイザベイが選ぶ6か国に日本が入れたことは、大変意義深いことだと胸を張っていえるのではと思っている。
早朝 半日留守になるのでネコたちのご飯を山盛りにして、勢いよく自宅をでて、しばし車を走らせていると、ふと大事なものを忘れていたことに気づき、引き返した。
それは財布でもなく、パスポートでもなく、まさかのスーツケースである。さすがに自分自身に自信がなくなりながらも、車を走らせ関空へと向かった。
そして早朝のため交通渋滞もあまりなく順調にいっていたはずが、高速にのったときには何も問題なくETCレーンを通過したのだが、出口の料金所では急にバーが降り、それにあわせて急ブレーキ。でもさすがに間に合わず少しフロントガラスにバーが当たる。
そして急ブレーキを踏んだものだから後続車に追突されそうになるもギリギリで停まってもらえたが思いっきりクラクションを鳴らされてしまった。
そんなバタバタであったが無事関空に予定時間に到着することができた。
そして定刻に出発し、機内でいつものように資料など準備をしていると、あっという間にシンガポール チャンギ空港に到着となった。約2週間ぶりである。
そして到着後、入国審査が混んでいて、次の予定に送れそうになったので、携帯しているAPECカードを差し出して、クルーなどの専用レーンを使わせていただき、そのままタクシーにのりこみホテルに到着した。
そこで、オーストラリアのビジネスパートナーであり、いつも家族の一員として私を招いてくれるStation Creek Tree FarmのDannyと再会。お互い強くハグをした。
私にとってDannyは師であり、友であり、父であり、同僚のような存在である。私が近年ガーデンズバイザベイとの関係性を作ることができたのもDannyのおかげである。
そんなDannyと、その夜は食事をしながら今後のことなどを語り合い、再会の喜びをお互いがかみ締め合った後、明日に備えてGBBが提供してくれた素敵な部屋に戻り、各自翌日の準備をすることにした。
さーー今日を含めての4日間。どのような展開になるか楽しみである。