四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

この日、朝からバンコクから南に位置するパタヤにある「ノンヌット トロピカル ガーデン」に納品とミーティングのために訪問を行ってきたので、その件をブログでアップしようと考えていたが、バンコクに戻る車内で、驚きのニュースが飛び込んできた。それは地震である。

 

車内でスマホをみているとFacebook友達のアップで、バンコクが地震で大きな被害がでている知り、そのことを同行者の現地パートナーに伝えると、「タイは地震がないから間違いじゃないか」と言われ、私も「そうだよね。タイは地震がない国だものね」と会話していたが、また別のSNSでも同様のアップがあり、中にはビルの倒壊する映像が飛び込んできて、本当のことであると驚きながら認識することになった。

そしてミャンマーが震源地であるという報道が遅れてやってきて、最終的に情報を繋ぎ合わせていくとミャンマーで巨大な地震が起こり、その影響でバンコクでも建設中の高層ビルが倒壊したということを理解することになった。その倒壊した建設中のビルは、毎回バンコクに来たときは立ち寄るチャトチャックの近くであることがわかりさらに驚きは増していった。

 

 

そのような中でも、バンコクの宿泊先に向かうため、車を走らせたが、市内に近づくにつれて大渋滞がはじまり、特に宿泊施設付近では1km動くのに1時間以上かかってしまうことになり、ホテルまで約5kmのところで車移動を諦め、最低限の荷物として着替えとPCなど貴重品をリュックに詰め込み降車した。

 

 

そして悪路や狭い道幅のためスーツケースは置き去りにして、あるかないかわからないような歩道や、車と車の間を縫うようにしてホテルをめざすことになった。

 

 

そして、その途中ではSNSのアップで見た高層ビルが目に入ってきて、ビル間の橋?が崩れ落ちかけている光景を目にすることになった。

 

 

移動の途中では高層ビルに戻るのが怖いためか、ビルの一階で待機する人も多く見かけることになった。そしてBTSや地下鉄などもSTOPしているため、歩道を多くの人が利用して歩きにくかったが、ひたすら歩くこと約90分で無事にホテルに着くことができ、重いリュックと共に心をなでおろすことができた。

 

 

報道では物凄い被害があるような状況で、日本の多くの方から私の安否を気遣う連絡はあったものの、私が泊まる古いホテルは比較的地震の影響などがなく、いつもと変わらない感じに見受けられた。またその周辺も軽微な停電や、いつも利用させていただいている24時間スーパーのシャッターが降りている光景を初めて見たが、ものすごく大きな被害は無いようにも感じていた。

 

そしてその後様々な情報が入ってきて、バンコク市内は震度2~3ぐらいの大きさであるとのこと。にもかかわらず多くの高層ビルで倒壊や損壊などがあったと言うことは、それだけ地震に対する備えがなかったためであろうと感じて、この先この国はどのように対応をしていくのであろうか考えさせられることになったとともに、NGOの国境なき奉仕団のメンバーとして今後被災国に対して、どのような支援をしていくべきか?阪神や東日本、北陸などでの震災に対して、日本がいただいた支援に対して、どのようなお返しをするべきなど考えさせられることになった。

 

ともあれ被災された方々へ心よりお見舞いを申し上げるとともに、これ以上被害が拡がらないことを心より願いたいと思う。このような中、不自由であるが活動ができていることに感謝である。

先月のインドネシアぶりの海外。今年2回目となるタイである。

 

今回の渡航の目的は、懇意にさせていただいている巨大テーマパークとのミーティング及び納品。そして進行中であるタイプロジェクトの重要なミーティング。そして昨年から現地にて取り組んでいただいている観賞魚育成資材の提案が主である。

 

 

いつものように朝一番の飛行機で羽田に向かう。途中窓からはいつもと違った富士山を眺めることができ、気分的にも良いスタートを切ることができた。

 

 

羽田空港での乗り継ぎの合間に、電話で色々なありがたい連絡が入り、お話をしているうちに搭乗時間となり、慌てて手荷物をまとめ、バタバタのまま機内へと向かった。

 

 

機内では無料Wi-Fiを利用させていただき、メールやMessengerで資料作りやデスクワークを行っているうちに、あっという間に6時間以上が過ぎ、スワンナブーム空港に到着となった。

 

そしてそこから車で移動。移動中も現地パートナーと前回以来の打ち合わせをしながら進捗状況の確認や花き流通についてなどを話し合うことができた。

 

そして日中には、開幕を間近に控えた大阪・関西万博で出展されている海外パビリオンの植栽施工を無事に完了したとの報告があった。

 

万博は私をはじめ協力企業様や弊社スタッフも初めての経験であったが、世界的に活動されている大手クライアント様から、幾分お世辞も入っているかもだが、今まで依頼した植栽事業者の中で、一番素晴らしいとまで言っていただけ誇りに思う。これも今回の植栽における職長を担ったメンバー、植栽の施工・管理における協力者の手配などをおこなったスタッフはよくやってくれたと思う。明らかに腕をあげ逞しくなったなと感じられた。

 

そしてそんな彼らと数日であったが現場で私も一緒に活動できたことは良い経験となった。確かに雨に打たれ風に吹かれ震えながらの過酷な現場であったが、その分一緒に活動した時間は、又右衛門にとって、かけがえのないものとなり、私も含めみんなが大きな経験値を積めたと確信できる。

 

ただそれだけではない。そのようなメンバーを支えるべく、オフィス内で様々なヘルプをしてくれたスタッフの頑張りは大きかった。本当なら現場にでて手伝いたいという想いが強かったであろうが、その気持ちを抑えオフィスで通訳や書類の作成、全体への気配り、さらに自ら考え動いてくれたからこそ、今回無事に成し遂げ、クライアントから高い評価を受けられることができたと言える。

 

まだまだ結成されて間もない幼さも残るメンバーでの活動ではあったが、役割を果たすたびに、目つきにも変化が現れ、今回の実績を残すことができたこのチームは、現在会社を牽引している仲卸部門やその他部門のプロフェッショナルチームにも、引けを取らないほどチームに育ってきていると言えるであろう。今後が楽しみである。

 

 

現時点ではあくまでも施工が終わっただけでこれから第2章、第3章へとつながっていくであろうが、ひとまず無事に区切りをつけられたことに喜びを感じ、タイでの活動にも活力を与えてくれた。さ~~頂に向かってこの調子で頑張っていこう。

 

きっと登りつめられる。このメンバーとともに・・・・・

一昨日から沖縄へと向かった。今回の訪問は、昨年に起ち上がり、準備段階である沖縄名護プロジェクトの活動拠点となる施設建設の進捗確認および主要関係者とのミーティングである。

 

 

那覇行き朝一番の飛行機で伊丹空港を出発。少し遅れて那覇空港に到着。そこには本プロジェクトの中心人物であるナーセリーのパートナーが空港に迎えに来ていただけており、早速、車で名護方面へと向かった。

 

その途中で特別な植物を管理されている施設を拝見。今まで見たことがない種の植物や、魅力的なフォルムの植物に既に又右衛門は興奮状況となった。

そしてランチミーティングを挟んで、パートナーの各施設を巡回。以前訪問時よりも新しい圃場も増え、明らかに拡大しているのが直ぐにわかった。現在の生産面積を確認すると施設が約5,000坪、露地栽培面積が約15,000坪合計20,000坪、つまり65,000㎡。東京ドームのグランド面積の約5倍である。驚きの広さである。

 

 

食事を終え、拠点の中心地にて、植物生産について議論を交わし、昨年に大阪から名護に移動したビカクシダやバオバブなどもタイの環境にあわせた施設を準備していただき、その中で元気にしてくれていた。

 

 

その後昨年に起ち上げた名護プロジェクトの拠点となる伊差川ICに離接する事業地へと向かい、建築や路盤工事の進捗確認を行うことにした。前回訪れた時は、ビニールシートで覆われていた状況であったが、今回三度訪れると、すっかりビニールも張られて足場も外され、巨大なハウスがそびえ立っていた。

 

 

面積はそんなにも広くないが、カタの高さが8m、一番高いところで10mという生産ハウスはそうあるものではない。何故このような背の高いハウスをつくったかと言うと、色んな使い道は考えているが、まず当たり前に背の高い特殊な屋内用植物を受け入れることが可能になっていることは想像できるかと思う。ただそれだけではなく、ここの施設を運営するメンバーは、植物の知識、技術、保有数など日本を代表し、世界に誇れるメンバーであるので、どのような展開になるか今後を楽しみにしていただきたいと思う。

 

その後いったんホテルにチェックインしてボードメンバーだけでディナーミーティングを居酒屋で行った。毎度のように夜が更けるまで、腹を割って話し合い、今後についてを熱く語り合うことができた。
翌朝は課題解決のために地元の会社などを訪問、その後圃場に立ち寄り、真剣なまなざしで、一生懸命作業を行うスタッフの手をとめていただき、一緒にランチ向かい、食事をしながら情報交換をさせていただいた。

 

 

又右衛門は「てびち」特有のねっとりに、手や口がベトベトになり、スタッフの方々に手先の不器用さを露呈することになってしまった。

 

そして皆さんとは再会を約束してここでお別れ。私とプロジェクトリーダーと二人は、近隣の生産者を数件見学し、その後カフェにて今後の展開について再確認と、運営や役割についてなどを時間の許す限り協議させていただき、課題と目的を共有することができた。

 

その後はホテルまで送っていただき、私はまた別のメンバーとディナーミーティングや情報交換を行い、深夜ホテルにもどり、明日の帰阪の準備をして眠ることにした。

 

 

朝イチ簡単に食事を済ませ、チェックアウトした後、搭乗時間までにはかなり早いが、ゆっくりデスクワークがしたいため、空港へと向かい、ラウンジにて数時間パソコンと向かい合い時間となったので搭乗口へと向かったときに、少し考えさせられる光景を目にすることになった。

 

 

そこにはJALとANAの飛行機が重なって見えていた。飛行機をあまり乗らない人には、意味が分かりにくいとは思うがロゴやイメージカラーからJALは赤派や赤組、ANAは青派や青組と言われる。それは日本を代表する素晴らしい航空会社2社が、顧客囲い込みのためにマイルをためてもらえるポイントやステータスを、2社に分散させるよりも1社にまとめた方が優遇されるような仕組みにしているため、航空会社の会員からはJAL派とANA派すなわち青と赤で区別しているのである。

 

私は普段JALに乗らせていただいている所謂赤派ではあるが、八丈島や福島に行くときはANAにお世話になっている。このような2社やその他の航空会社は、ライバル?競合?にはあるが、戦闘機でないので撃ち合うことはなく、空の安全を第一に、サービスなどで競い合い、時には協力をしあいながら営業をしている。

 

 

花き業界においても、大手2社にわかれるとは言えないが系統はある。いくつかの大きな企業、著名な活動家もいる。そして彼らはチームを組んで活動する時もあれば企業として競合になり活動をする時もある。それは一緒であろう。しかし花き園芸業界の中には自己を優先させるための活動に注力し他社を敵味方に区分けしチームを組んで時には強引に敵を討とうと活動をしている人もいる。長きこの業界にいて感じるところであり、自らもそのような時には応戦しなければならないと思う気持ちが心のどこかにあるのも確かである。

 

ただ今、花き園芸業界はかなり厳しい状況である。そのような中で、互いが撃ち合うのではなく、協力し合いながら新しい扉を開いていかなければ業界全体が衰退してしまう。本当にピンチである。大阪・関西万博の次には2027年にGREEN×EXPO2027横浜国際園芸博覧会という大舞台が控えている。そこではつまらない小競り合いや自己を優先させた位置取りをするのではなく、それぞれが切磋琢磨し、敵味方ではなく次代の担い手が積極的に関われる環境を提供していかなければならない。

 

これからは私も、この海のように透き通った思いで花き園芸の発展に取り組んでいかなければとあらためて感じさせてくれた赤と青の翼であった。まだまだ修行が足らないことを気づかせてくれた2社に感謝である。

岐阜2日目の朝は、ホテルについている無料の朝食をいいただいてからのスタートである。

 

安価なホテルの無料朝食なので特別なものはないがサラダいっぱいと、厚焼き玉子を10切れに、魚などをお腹いっぱいにいただき、さらに給仕されるスタッフの方々がとても気配りのできる方々で朝から良い気分でスタートを切ることができた。

 

部屋では積み残しのデスクワークと、大阪のスタッフと別の打ち合わせをしながら、午前中に予定されている又右衛門がアドバイザーをつとめる重要なプロジェクトのWeb会議に出席をした。Web会議では通信の問題か、私から映像がうまく映すことができずご迷惑をかけてしまったが、何とか必要な意見や写真など最低限のことは伝えることができたと思う。何のプロジェクトであると言うことはできないが、どんどん変更がありながらも具体化していくために中心となって活動されている皆さんのご苦労は多大であろうと察する。大したことはできないかもしれないが、私が持つ特殊なつながりや技術を活かしお手伝いができればと思っている。

 

 

そしてホテルから行っていたWeb会議が終わり、荷物をまとめながらデスクワークなどをおこなっているうちに、レイトチェックアウトの制限時間が迫ってきたので。急いでチェックアウトをし、今回の岐阜訪問の主たる目的地である岐阜県立国際園芸アカデミーへと向かった。

 

 

そしてしばらくしてアカデミーに到着。12時30分という中途半端な時間の到着になってしまったが、今西学長や前田准教授に出迎えていただき、4年ぶりの訪問を歓迎いただくことができた。

 

4年前に又右衛門はアカデミーの記念行事にて記念講演の機会をいただき、その打ち合わせで訪問した時以来、久し振りにゆっくりお話をさせていただく機会となった。

 

そして今回訪問の目的の一つであるバラエングループとしての求人応募についてである。私たちの業界は人員不足のため、若いスタッフを募りたいとの考えもあるが、近年国内外で様々なプロジェクトに関わらせていただいているため、新しい視点や技能をもった学生を募りたく思い相談をさせていただいた。先生方からは花き園芸業界において、他社とは異なった取り組みを数多くしていたりしていることなどをご評価いただいていることと、生徒に様々な選択肢を与えるためにもと快諾いただけることができた。ありがたいことである。

 

そしてもう一つの相談は、弊社の開発するバイオスティミュラントや自然生態系調和型資材、弊社が代理店として活動させていただいているAIR-POTやノアソイルそしてアクアセルなどの環境に配慮した新しい資材の紹介と、それら使った研究について提案させていただいたところ、学校としても新しい取り組みによる学ぶ機会を学生に提供できることは喜ばしいと受け入れていただくことができた。さらにはこのような新しい資材の技能者養成についても、学生にとっては将来進む道の選択肢が増え、環境配慮の取り組みにもつながると互いの想いが合致し、早速今春から取り組んでいただけることになった。本当に判断も早く積極的にその機会を提供いただけた判断には嬉しいばかりである。

 

今後は私たちや開発者、それらを巧みに扱うプロフェッショナルが協力し合い、各資材や人が単体ではなく、それぞれの良さをうまく組み合わさることによって、今までの花き園芸の生産や管理の常識を覆す新しい技術が生み出すことができればと思っている。是非学生の方々には今まで培ってきた先生方の知識や技術に加え、新しい資材をうまく活用し、数年後には社会実装できるまでにしていただければと考える。学生の可能性に大いに期待であり、とても楽しみでもある。

 

 

そして今西学長や前田准教授は次の予定がある時間いっぱいまで情報交換もしていただき、最後に再会と今後一緒に取り組むことをお約束いただき、私を最後まで見送っていただき、後ろ髪をひかれる思いでアカデミーを後にした。

 

そしてその帰る車の中では、目に焼き付いたアカデミーの20周年記念の横断幕に書かれていた「花と緑。そして仲間とともに。さらなる飛躍へ。」というメッセージをあらためて噛みしめていた。まさにその通りであると感じていた。私たちは2027年のGREEN×EXPOに向けて、花き園芸業界内で向かい合うのではなく、互いの企業がその価値を認め合い、協力し合いながら先人が創り上げてきた技術の継承と、新しい資材や技術をうまく組み合わせることに取り組んでいかなければならない。そしてそれらを次世代と共にすすめ、将来の花き業界の担い手を育んでいかなければならないと考える。あと2年しかないかもだが、その中でもまだまだできることもある。まさにそれが「仲間とともに。さらなる飛躍へ。」と繋がっていくと信じている。そのためには、学生だけが学ぶのではなく、この又右衛門自身も考え方を変えなければならないこと。行動を変えなければならないことも多くあるだろうとあらためて感じることになった。

 

 

そしてこのような取り組みに共感いただける方々とともに活動ができればと思う。そして考えを共有することができるメンバーは大先輩であっても学生であってもみんな「仲間」であると考える。さ~~みんな一緒に園芸しようぜ!!

 

そんなことを思いながら、まだまだ岐阜において訪問したい方はいたが、今日の夜の会議に出席するために愛車のチョロQを走らせ帰阪の途につき、アカデミーを出発し4時間弱で無事に宝塚に到着することができた。

 

この2日間。とても有意義な時間であった。貴重な時間を私に与えてくださった皆さんに大いに感謝である。ありがとうございました。これでまた岐阜への再訪がとても楽しみになった。二代目金岡又右衛門も喜んでくれているかな?ね。おじいちゃん(#^.^#)

先週初めの兵庫県フラワーセンターに刺激を受け、週中には宮崎からのお客様との打ち合わせ。そして木曜日からは岐阜へと向かった。

 

今回の岐阜の訪問先は、セントラルローズさんと、河本バラ園さん。そして岐阜県立国際園芸アカデミーの予定である。

まず朝一番に宝塚を出発。途中栗東にて用事を済ませて、お昼前にミニバラ栽培では著名なセントラルローズさんに到着した。

セントラルローズさんは、ヨーロッパの最新の栽培法をいち早く取り入れた革新的なバラ栽培の先駆者であり、広大な施設で栽培し全国に供給している。日本を代表するミニバラの生産者である。

この事業を創業した大西さんは、以前から日本フラワーマーケティング協会で一緒に活動をさせていただいたり、バラ生産つながりということもあったりで随分前から懇意にしていただけている先輩である。

そして今回の訪問は、現在の流通などに関することと、バラエングループが取り組んでいる資材について意見をいただきたくのが主たる目的であった。

まずは到着し、しばし歓談の後にハウス内を見学させていただくことにした。施設を訪問するのは2度目になるが、相変わらずの大規模かつ機能性高い施設での栽培には驚かされる。

まるで大規模工場で工業製品のようにミニバラを栽培しているように感じる。近年路地を中心に費用を抑えながら生産事業を始めた私たちにからすると、この機能的な施設や栽培法は、真似のしようもなく、凄いと言うしかない。あらためてバラ生産をこのような大規模生産体制にしてきた大西さんには感服する。

そしてお昼ご飯を頂きながら、生産や流通、業界の方向性など意見交換をしっかり行うことができ、多くの学びや情報をいただくことができた。そして食事の後、私の祖父金岡喜蔵(2代目 金岡又右衛門)の第2の故郷とも言える揖斐郡大野町へと同行いただいた。


なぜ第2の故郷かと言うと、金岡喜蔵は宝塚でのバラ生産を、岐阜県揖斐郡大野町と山梨県笛吹市に移し、その地で住居を構えて活動をしていたからである。そして同行いただいた大西さんからも岐阜の同地区にバラ生産を持ち込み、現在日本を代表するバラ生産地となるきっかけづくりとなったと教えられた。そしてその活動を始めるにあたり、一緒に取り組んでいただいたのが、河本バラ園さんとのことであった。河本さんは、現在もバラの育種や苗生産を手掛けられる日本を代表する存在である。

そして昨年当時一緒に活動をされていた河本弘元様がご逝去と大西さんから教えていただき、今回私を河本さんまでお連れ頂いたのである。本来であれば昨年にでも駆けつけるべきであったかもしれないが、海外などで訪問することができず今日となったのである。そして現在の代表である茂樹さま、2代目育種家である麻記子さまにご挨拶もさせていただくことができ、短いながらもとても大切な時間を過ごさせていただいた。

大変お忙しい時間にアポなしで訪れたにも関わらず、親切に対応いただいた河本さんには感謝である。そして河本さんを後にするときには、祖父2代目金岡又右衛門が毎日見ていただろう山々が目に入り、そしてその先には私には珍しい青空が広がっていた。きっと祖父が喜んでくれているのであろうと思えると同時に、同じ地の空気を吸うことができ、心が満たされたような気がした。

その後、大西さんに岐阜でも活動する開花園さんにお連れ頂き、情報交換などをさせていただくことになった。そこでの内容については今回控えさせていただくが、今後何かの繋がりになっていけばと思っている。そうこうしているうちに気がついた時には夕方になったので移動をすることにした。

 

今回、祖父やバラ繋がりとは言え、半日というとても長い時間を割いて、私のお相手いただいた大西様には本当に感謝である。おかげでとても大切な時間を過ごさせていただくことができました。そして再会を約束して、この地を後にし、私は再び一人で宿泊地である可児市へと向かった。可児市のホテルに着いた時には、すっかり陽も落ち暗くなったので、近くの飲食店で簡単に一人ご飯を食べて、その後部屋にこもって明日の会議の準備を行うことにした。さて明日は、岐阜2日目。明日も良い日になりますように。

又右衛門ブログやFacebookをご覧いただいている方々は、又右衛門は神社参りなどの投稿がしばしばあるため神様への信仰心が強い人物であると知っている方も多いかと思う。

 

そして今日は神といっても「食虫の神(食虫植物の神)」と呼ばれる土居寛文氏と面談があるため兵庫県フラワーセンターを訪問した。

土居さんは食虫植物の世界では知らない人は居ないほどの食虫植物栽培のスペシャリストである。その実績や知識などから『食虫の神』ともよばれ日本を代表する人物である。そう呼ばれる所以は、彼らしか持っていない特別な個体や、知識、栽培技術などが多くあり、同業者も神詣でをする人が絶えないぐらいである。

そのような神的存在である土居さんと又右衛門が知り合ったきっかけは、あるテレビ番組で一緒に出演させていただいたからである。そしてその時に育てている植物の種に違いはあれど、植物への想いや考え方が同様で強く共感し、互いがリスペクトしあう間柄となり、それから「どいちゃん。」「かなちゃん。」と呼び合うぐらいの間柄でお付き合いさせていただいている。

宝塚から車を走らせ約1時間30分で、兵庫県フラワーセンターに到着すると、相変わらずの雨。今日もレインマンぶり発揮である。そしてフラワーセンター入場ゲートには、土居氏が傘をもって待ってくれてくれた。本当に植物にも人にも優しい人柄である。

まずは施設のテーブルで互いが近況報告をし、兵庫県内外の重要なプロジェクトについてのディスカッションを行った。

そしてある程度話を進めることができてから、温室内にて実際の食虫植物を前にて色々なことを学ばせていただいた。

これはネペンテス トランカータ。かなり大きなピッチャー(捕虫袋)である。ここのトランカータは、その種の中でも巨大なピッチャーをもつ特別なものである。

実際に2022年にギネス更新をしたトランカータである。世界一になるまで数十年以上の間、毎日といっても過言でないほど、朝一番と晩に植物に声をかけ、見守りながら手をかけてきた土居氏には、本当に頭が下がる思いである。

これはペルビレイ。土居氏お勧めの種である。アップの写真を見ていただくと、わかるが葉の上にピッチャーあり、まるでクリオネのように見えてとても愛らしいのが特徴である。

その他にも見どころはたくさんあるが、是非皆さんは実際に兵庫県フラワーセンターに行かれて観ていただければと思います。

中には食虫植物より花が好き言う方も様々なコーナーがあるので、趣向に応じで楽しんでいただけるのではと思う。

そして現場でのレクチャーをいただいた後は、再びテーブルに戻って、打ち合わせと、バラエングループが開発している資材の案内をさせていただいた。その中でも、バイオスティミュラントであるマリネックス(高濃度フルボ酸)が食虫植物に合いそうだと興味を持っていただけたので、今度共同で試験を行うことになりそうで楽しみである。

このように久し振りにテーブルで植物管理について話し、このような技術を次世代に継承していく方法などについても話させていただいた。各種の生産者で際立った知識や技術を持っている人の多くは、ほぼ毎日といって良いほど、朝一番と夜には植物に声をかけ、その表情を見逃さない。そして常に探求心をもち研究しつづける。これが神・プロフェッショナルと呼ばれる所以であろう。近年の次世代継承者に同様のことを求めることは酷ではあるし、かなり難しいとは思う。ただ他の関わり方によって達成する方向もあるかもしれない。是非このような時代でも、神・プロフェッショナルと呼ばれるぐらいの人物が出てきてくれることを切望する。大切なものを護るために・・・・・。

そのようなことを話しながらあらためて土居氏から学びと元気をいただけ、名残惜しいが施設を後にした。土居ちゃん。また来るね。(#^.^#)

そして車を走らせ、自然いっぱいの加西市から都会の真ん中である大阪市内のど真ん中へと向かった。そして夕方からの理事会に滑り込み、ここでも新しい取り組みについてのミーティングとなった。ここでは健康な植物の効用について話をさせていただいたところ、大学の先生方に共感いただき、研究をはじめることになりそうである。これもとても楽しみである。この件につきましては、またいずれ報告をさせていただきますので楽しみにしていただければと思います。ではでは~~~。

様々なプロジェクトや取り組みが同じような時期に起ちあがり、そして進行しているのが実感できている。

 

そしてその中の取り組みの一つである大阪・関西万博に関するものがある。思い起こせばEXPOと名の付くものの取り組みとしては、私が花き業界に身を置き、生花卸のまねごとを始めた頃に、一部の花材手配を依頼いただいてからしばらくご無沙汰をさせていただいたが、主たる事業の生花、植物卸が成長し、植物貿易も実績を重ね、近年では環境に配慮した生産資材開発・製造。それらを活かした生産事業を国内外で手掛け始めることまでに至った。

 

それらの活動を評価いただいたのか、大阪・関西万博ではいくつかの国から、パビリオンの植栽全般や植物供給などのご依頼をいただけるようになってきた。そして今週、植栽全般をご依頼いただいたパビリオンの植栽施工の前期工事が始まり、又右衛門も現場入りすることになった。

 

現場では初日から雨が降り続き、又右衛門は相変わらずのレインマンぶりを発揮してしまった。特に初日、2日目は冷たく強い雨と風が身体をたたき、新しい合羽であってもわずかな隙間から水を通してしまい、ジャミラやアンパンマン並みに雨に弱い又右衛門は、顔色なくなってしまうほどで、若いころに何度か行ったことがあるびわ湖バレイというスキー場で、長い時間リフト待ちをしていた時のことや八甲田山という映画を観たことを思い出すほどであった。ただそのような中でも、緊密な関係であるパートナーであり今回の現場の職長をつとめていただいている半田氏はじめ、様々な準備や現場にて調整を行っている弊社植物管理・施工担当スタッフや施工協力メンバーは、過酷な状況にへこたれることなく、しっかりその責任や役割を全うしてくれていることは大きく評価できる。またそのような彼らや私を事務所にて支えてくれるスタッフの支えと連携、さらに各部署の理解と協力があってこそである。本当に貴重な経験を積ませていただいている。

 

ただ何とか大きな山である前期を終えることができたが、まだまだ施工は途中であるので、さらに気を引き締めて取り掛からなければならない。施工現場から私が離れた週末は天気も回復し、落ち着きをみせてきた。そしてまた新しい取り組みのお声掛けもいただけ、とても充実した思いを持て、心身とも少し充電をすることができた。

 

それにしても今週は良く雨が降った。昔から「雨降って地固まる」という言葉があるが、私たちの仕事は雨が降ることは決して悪いことではないため、この使い方は正しくないかもが、この厳しい環境があって、さらにこのチームは強くなったように思う。自然の全てに感謝である。さ~~来週も引き続き頑張っていこう。

 

皆さんからの、てるてる坊主の贈り物をお待ちしております。よろしくです(笑)

今回は、様々な関係から写真がないアップになりますことをお許しくださいませ。

今日で月も変わって3月。気温も数日前から上昇して春を感じるようになってきた。今週初めは祝日であったが、海外企業とのやり取りに日本の祝日は関係ないため、Webミーティングなどを行い、デスクワークが多い1日となった。

 

火曜日午前には、JETROの輸出大国コンソーシアム支援企業に採択され5年間学ばせていただいてきた取り組みの卒業を迎える最終ミーティングが行われた。思い起こせばドバイへの植物工場輸出のチェレンジに始まり、関連会社のバイオスティミュラント「マリネックス」のアジア輸出などに取り組み、多くの経験値を積み重ねることができた。正直そのことによって会社の金銭的な利益につながったとは言い難いが、時間は少し費やしたが経費をかけることはあまりなく、それ以上に大きな学びを得ることができたのか確実である。JETROの素敵な方々には本当に感謝である。今回の取り組みは一旦終え、今後は私たちが今までの経験とネットワークを活かして、次に与えていただいた新しい取り組みに進んでいきたいと思っている。

午後からは関連会社マリネックスの本社所在地である堺市に移動し、はじめての方々とのミーティングを行った。マリネックスは30年前から開発・製造を行ってきたが、近年になってバイオスティミュラントとして日本でも注目を集まってきている様々な分野で期待の製品である。そして今回は某医科大の博士がお越しいただき、医療としての研究を深めたいとの打診があってのミーティングである。

私たちが以前に血栓溶解に関する特許取得などもしており、私たちにとっても関心が高い分野であり、また人々の健康増進に役立つのであれば、喜ばしいことなので、積極的に協力をしたいと思っている。場合によっては共同研究も始まるかものため、今後がとても楽しみである。

週中は先週に続いて関東方面へと向かった。まずは千葉。いつものように飛行機で羽田空港に向かう。そこからバスと電車を乗り継ぎ、房総半島方面へと向う。そして降り立った駅は君津。約半年ぶりである。

しばらくして駅まで迎えに来ていただいたのは最近新聞はじめいろいろな報道機関からも取り上げられ、さらに注目が高まってきたAlonAlonの那部社長である。どのような活動をされているかは、私の説明では足らないのでネットで検索していただければと思うが、那部社長はハンディキャップをもたれている方々と共に、とても高品質の胡蝶蘭やマンゴを生産する事業などをおこなっているとても素敵な方である。そしてこの事業所の素晴らしいのは働かれている方々の表情がとても生き生きした表情をしており、ハウスの温かさ以上に、人の温もりを感じられる場所であるからである。私たちは見習わなければならないことばかりであると来るたびに感じる。

そして今回は、昨年に納品させていただいた大型フィカスのチェックである。植栽日程が寒くなる時期に向かうため、少し心配はしていたが、とても丁寧な管理をしていただいているので元気な葉を茂らすことができていた。これからは日々温かくなっていくため、さらに茂らせていくと思われるので今後がとても楽しみである。

そして食事をいただきながら、今後の追加植栽や新しい取り組みの相談をさせていただいた後、早い再会の約束をして、再び駅に送っていただき都内へと向かった。

都内では、以前のお世話になったアドバイザーのご紹介で、お話する機会をいただけ、様々な情報交換をさせていただいた。その方はとてもご活躍をされている方で、多くを学ばせていただくことができ意義深い出会いになったと言える。他にもいくつかのミーティングを終えて帰阪することになった。

週末は、雑誌の取材や、代理店をつとめさせていただいている「アクアセル」や、最終段階に入った大阪・関西万博海外パビリオンの植栽などのミーティングが続き、最後までバタバタではあったが、ある意味充実した2月の締めくくりであったと言える。

そして今日はお朔日。朝一番から氏神様を参拝させていただいた。早朝のため辺りはまだ暗かったが、十分に春を感じることができる温かい朝であった。さ~~来週はいよいよ万博会場にて植栽することになる。天気は少し怪しいが、何とかレインマンぶりを発揮しても、大崩れがないことを願っている。

 

さ~植物ファーストの想いを強く持ち、みんなで力を合わせて頑張っていこう。楽しみながら・・・・・

先週日曜日にインドネシアから帰国。温かいところから寒い日本に戻って身体の節々がきしみながらの1週間であった。

 

週初めの月曜日は、不在中に停滞していたデスクワークを行いながら、身体のメンテも行い寒さに慣れる1日となった。

週中は、再び飛行機に乗り羽田空港へと向かった。都内では様々なプロジェクトをご一緒させていただいている大手企業の方々との情報交換や、また新たなプロジェクトを企画しているパートナー、さらには初めてご紹介いただいた方とのミーティング、そしてとても大切なところへのご挨拶など、盛り沢山であり、とても有意義な上京となった。ただ今回で全て行えなかったことがあるため、また来週の上京へ持ち越しとなった。

週の後半は、いよいよ大詰めとなった大阪・関西万博の海外数か国のパビリオン植栽工事の最終調整や、2年後に控えたGREEN×EXPO2027 横浜国際園芸博覧会に関する海外との調整、輸出大国コンソーシアム支援企業として支援いただいているJETROの方々と次年度への新たな取り組みについて貴重なアドバイスをいただけたり、25年間パートナーとして一緒に歩ませていただいてきている生産者との情報交換など、色んなことが交錯し、キャパの狭い又右衛門の頭をフル回転させていただき、寒さに負けない熱い1週間となった。

そして今日土曜日は愛知での展示販売会に追っかけて行く予定であったが、深夜まで作業が終わらなかったため、展示会は、腕利きのスタッフに任せることにして、私は居残り自宅でパソコンと向かい合うことにした。

そして作業中にカレンダーに目をやるとあらためて今日は2月22日ニャンニャンニャンの日であることに気づいた。ちょうど1年前には、家族の一員であった保護ネコの「ハク」が他界し、とても悲しく、体調に影響を与えるほどの日々であった。今もまだハクの幻影をみることもあるが、体調に影響を与えることはなく、しっかり活動をできていると自分では思っている。

 

さ~~来週で2月も終わり、怒涛の3月繁忙期がくる。若干の不安もあるが、多くの仲間と一緒に仕事ができるのが楽しみで仕方ない。期待と花のつぼみが膨らむ3月が待ちどおしい。

今回のバリ島は、月曜日の夜に出発し、日曜日の昼に帰る行程であったが現地4泊、機中2泊で、実質活動ができたのは4日間であった。そして若干体調を崩したものの、無事に日本に向けて出発し、機内や4回の乗り換えの合間をぬって、インドネシア紀行の最後を書かせていただいた。

バリ島を訪れたのはおおよそ35年前。その時から比べて空港は大きく綺麗になり、中心街にはホテルが立ち並ぶ都会となっていたが、田舎に行くと自然の中にとても素敵なヴィラやcafeが多くできて、当時とは全く違う雰囲気であった。

ただ寺院や森など自然の素敵な風景も遺されておりとても素敵な光景を見ることができた。

また移動中にはとても記憶に残った2本の巨木があった。その一つがこの写真。移動中に目に飛び込んできた。その圧倒的な存在感に鳥肌が立つほどであった。恐らくであるがフィカスであろう。その見た時の驚きは、はじめて一人で訪れたドイツのケルンの大聖堂を見た時に匹敵するほどのものであった。枝などが落とされてていたため幹が露出し、まるでサクラダファミリアのような雰囲気を出していた。

もう1本の木もフィカス。先ほどの大樹とは対照的に、こちらは無残にも大きく折れてしまっていた。この樹の周りで折れた枝などを片付けている人の話では、三日前の豪雨と風で倒れてしまったとのこと。その姿は痛々しく、悲鳴が聞こえてくるようであった。この樹も数百年という長い間この地で無事に育ってきたのが、世界的な異常気象による自然災害にてこのようになってしまったのは天災ではあるが、その異常気象の引き金となったのは、度の過ぎた開発など人の手によるものであるなら人災とも言えるように感じ、この樹からとて強いメッセージが発せられていると感じた。

今回のバリ島では、私が客員研究員をつとめさせていただいている進化生物学研究所の湯浅理事長率いるご一行とも合流することができた。さらに以前オーストラリアのバオバブサバイブプロジェクトにてお世話になった広島市植物公園の方々や、湯浅理事長に同行したときご縁をいただいた方などにも再会することができ、とても嬉しく思えた。一行の行程もかなりのハードスケジュールのため、体調を崩される方も多かったようであるが、湯浅先生はご高齢にも関わらず、相変わらずお元気にされており、その体力には頭が下がる思いがした。また湯浅先生からはOPENにはできないが、とても大事な集まりについてお話をいただけ、帰国後あらためて研究所にお伺いすることになった。

今回、久し振りのバリ島にて短いながら色んなことを体感し、今後に繋がる可能性があるもの見つけることができた。ただマリネックスに関しては錦鯉の普及もタイほどではないため、また機会をみてのチャレンジとする。他には新しく現地でヴィラを建設されるオーナーから植栽についてのご相談もいただくこともできたのも有意義であった。また素敵な方々とのご縁もいただけ、ある方にお会いすることができ力強いパワーをいただけた。さらに素晴らしい場所にお連れ頂いた時には、ありがたい声を聞くこともできたように感じた。そんな素敵な訪問となった。

そしてこのブログの最後に、神々の島と言われるバリ島でとても心に残った言葉をお伝えしたいと思う。それは「Tri Hita Karana(トリ・ヒタ・カラナ)」という言葉である。

「トリ・ヒタ・カラナ」とは神、自然、人々との関係という3つの要因が調和して、初めて平和と繁栄が達成され、しあわせへと繋がるという考え方である。まさにその通りであるとバリ島に来てあらためて感じることができた。

このようにあらためて素敵な地に訪れることができたこと。そしてこの地に導いていただけた皆様には、とても感謝である。次にこの地を訪れることができるのは、年内か来年かそれとも35年後であろうか、まだ私にはわからない。今の私にわかるのは、この地に訪れることになったのは、きっとインドネシアとのビジネスのためではなかったのではないか?それはもう目の前まで来ている険しい峠を越え、大きくな山を登るために必要な心眼と勇気を養い、それらを登りきることが可能な様々な能力を授かるためであったのではないかと思っている。この又右衛門の言葉の意を理解できる方は、今はまだ誰もいないであろう。ただ近い将来きっと皆様にも、どのようなことか伝えることができる日が近づいていると信じている。そのためにも神と自然と人との繋がりを大切に実直に歩んでいくことにする。悩まずに。前へ前へ。

又右衛門インドネシア紀行をお読みいただきありがとうございました。相変わらずの乱文、失礼しました。これに懲りず引き続きブログをお読みいただければ幸いです。

 

テレマカシー